結婚式をやっみて思ったこと
結婚をすると結婚式という行事がある。
多くの人はなんだかんだ言ってやることになる。
例外なくうちもやることになった。
最初はやるかやらないかという話合いから始まり、両親がやった方がいいと意見し、結婚した区切りのためにもやろうという結論に至った。
嫁がリゾート婚で新婚旅行も兼ねたいというたっての希望があった。
最初はネットで探そうとしたが膨大な情報の前に断念し、結婚式場紹介してくれる店舗型に行った。
いくつか候補を貰いその中から場所を決めた。
2箇所行っただけでだいぶヘトヘトとなったので式場決めるところから洗礼を受けた。
式場が決まったら早速打ち合わせとなる。
基本プランで大体の項目が網羅されており、決めることリストを貰い上旬迄に決める等ざっくりした工程の話をした。
コンシェルジュというのは会場の担当者にすぎず他のことは全て自分たちで連絡することにも驚いた。
なにせドレス、カメラマン、花屋とそれぞれ話をすることなる。
幸いなことに披露宴も同じ敷地内でできるため車等の手配はなかった。
また披露宴にありがちな会場内の飾り付けも遠隔地であるためしないことになった。
ビデオは金額が高すぎるのとカメラマンとダブルため断念した。
とはいえこれらの個人事業主達も式場の推薦された人たちであり、他を頼むと別途料金がかかるという囲い込みされている。
それぞれの業者と話をするが基本的にプラン内に収まることはなく足が出る。
こちらの要望を伝えると基本プラン+何万円という感じで総額が膨らんでいった。
最終的な金額は基本プラン+50万超えで妥結したが基本プランの詳細については最後まで謎だった。
例えば花を選ぶにしても基本の飾り付けが不明瞭だった。
ケーキに関してはスポンジとクリーム塗ったのが基本プランとしか思えない金額だった。
他にも色々つっこみどころは多かった。
この原因は結婚式が高額なのは素人に対するボッタクリのふっかけをするところにある。
町中でデザインケーキの大きいサイズを頼んでも1〜2万円で済むはずが式場になると倍以上する。
また高額な請求をする割には統括者が不在であるため打ち合わせの回数が多くなる。
苦労もお金で買っているようである。
こういう結婚式のあり方である限り、結婚式をやらなくなるのもわかる。
思い出づくりという先入観や社会規範がゆるくなった現代で払うメリットが少なくなっている。
金額がいくらかかっているか不明であり、少子高齢化であり、高額であるためこれからも式を上げる人は少なくなるだろう。
まずは明瞭会計にすることが必要だと思う。
ちなみに自分の式自体はうまくいったが、担当者の不手際でアレルギーの入ったご飯がでてきたりするなどいくつか粗相があった。
式の準備に伴う様々な苦労が終わったこともあり、今更指摘することもなく式場を後にした。
全体的に満足度は高かったが、人によっては不手際をあとになっても引きずることになりそうな出来事ではあった。
金額が高い分一つのミスが大きな問題となる。
結婚式場側にしても金額が高ければ小さなミス一つで裁判沙汰にもなりかねないと思う。
売上が高いことがいいというものではないと思った。
神風特別攻撃隊に対する考え方
今回はだいぶ長いので先に神風特別攻撃隊に対する考えのまとめから述べます。
まとめ
テロ行為は攻撃によって対象国の国民に恐怖を植え付けることで政府の正統性低下とテロ集団の認知向上を図っている。
神風特別攻撃隊は攻撃によって相手国の戦闘力に打撃を与え戦争目的に貢献する軍事行動の一種である。
よって両者は死という結果は同じだとしても与えられる根拠と目的が異なっている。
今年のお盆は神風攻撃隊の話が少し盛り上がった。
曰く無駄死にだったや意味のない攻撃だという主張がある。
一方で先人たちの犠牲を無意味とはなんだや手段のない中で最善の行動だったという声が出る。
主にイスラム系過激派が行っているテロ行為の源泉は特攻隊にあるという発言もある。
こういった話は私がミリオタになった時には既にあった話なので20年近く前には存在している。
未だに同じ話で盛り上がるのは日本の平和教育の実態をうかがい知れる。
反省と反戦を謳うだけで学ぶことをしない。
試験の前日に机に向かってロウソクをつけて祈っている位滑稽な話だと思う。
1344年マリアナ沖海戦にて迫り来る米軍に対して攻勢にでた日本軍は大敗した。
多数の艦艇と航空機を喪失し、サイパン、グアムは陥落し本土攻撃されるようになった。
その後米軍はフィリピン開放を目指し、戦いがある中で誕生したのが神風特別攻撃隊である。
本来であれば何度も出撃して再補給を繰り返すのが常道だが、これだけの差となるとフィリピン周辺海域の制海権は全て米軍に掌握され補給もままならない。
また肝心の飛行場が複数回にわたって攻撃を受けることは必然だった。
補給中に地上で撃破されるか滑走路が使えなくなり鉄くずとなるかという状態だった。
戦局悪化に伴い軍では特攻に関する研究をしていた。
司令官である大西は軍事作戦とよべる代物でないことを承知の上で敵に一死報いること選択した。
一回の攻撃で必中させることで敵に少しでも打撃を与えることを目標とした。
攻撃は成功し24機で護衛空母1隻撃沈、他艦船5隻に損傷を与える戦果を挙げた。
司令官である大西は終戦時に自決した。
軍上層部と政府は戦争終結について米軍を打ち負かし、ハワイ諸島を含めた制海権取得は不可能と理解していた。
一方で無条件で降伏するつもりはなく、交渉によって妥協点を探っていた。
妥協点を引き出すためには、米軍に一定程度の損害与え日本との戦争継続は困難であることを示す必要があった。
政府思惑と陸軍、海軍の思惑は国体保持(天皇制存続)の点では一致した。
しかし軍の武装解除や中国、満州の扱いについて陸軍は譲ることはなかった。
政府内でも細かい点で相違があり、合意形成できていなかった。
とにかく米軍に打撃を与えることが困難を打破する唯一の道となった。
フィリピンでの神風特別攻撃隊の戦果は少数で多くの戦果を挙げられることから実施を拡大することとなった。
その結果戦力がさらに減少し、もはや攻撃=特攻という状態にまでなった。
神風特別攻撃隊は国軍の軍事組織の指揮統制のもと攻撃を実施した。
自らの犠牲を必然とした攻撃ではあるが、軍事作戦として立案・実施され、攻撃に際して軍人とわかる服装をしていた。
こういった話はアラモの戦い等挙げられる。
国内でも関ヶ原の戦いで島津勢が撤退に際し捨て奸を実行し君主を逃がすという目的を達成している。
劣勢である軍が捨て身で目的を成し遂げることは特記に値する話ではある。
しかし特別と呼べるほどではない。
実際死地に立たさる人はたまったものではない。
とはいえ政府と信認している国民がその政治目標のために自国民を犠牲にしても達成したいと明言されている。
軍としては最小の犠牲で最大限の成果が出るように死地に送る場合もある。
一方で街中で自爆テロや無差別乱射などテロリストと呼ばれる連中の攻撃は神風特別攻撃隊と別の話となる。
そもそもテロリストは軍隊ではない。
仮に軍隊と名乗っていたとしても自称にすぎない。
軍隊は国家に認められた正統性を有している。
当然指揮命令系統は政府とリンクしている。
軍隊が自国民を化学兵器で殺害したとしてもテロ行為ではない。
軍事作戦の一部であり、国家の政治目的達成に貢献する行動となる。
一時期ダーイッシュ(イスラム国もしくはISIS)が国家を自称した。
しかし国家は他国に承認され、国内で唯一の排他的な権力を有している必要がある。
権力が唯一でない場合徴税も満足にできず、正統性の依代がないためだ。
当然配下に軍隊が存在していた。
しかし彼らは自称国家の軍隊にすぎず、統一された戦闘服も用意していなかった。
彼らが装甲車を持っていたとしてもその攻撃はテロリストである。
また彼らの攻撃は正統性を主張するより、暴力と恐怖で支配下にする。
テロリズムの語源がテロル(恐怖)であるように彼らの行動は既存の政府の正統性を低下させ、離反を目的としている。
正規軍の撃滅に主眼がおかれていないことが特徴である。
また正規軍を撃破できるほどの力がないからこそ、テロによって目的を達成しようとしているともいえる。
よって最初に述べたような結論となる。
2019年の参院選挙をみて思ったこと
結婚式の準備に忙しく参院選挙についてまとめる時間が作れなかった。
今回の選挙も下馬評ですでに自民党圧勝と予想されていただけに当然の結果となった。
メディアでは自民大敗と騒いでいたが、消費税10%にするとか憲法改正すると名言している中での選挙としては大勝といってもいい。
ツイッターで流れていたが参院の改憲勢力を7人取り込めば憲法改正の発議可能となってしまう。
そして維新の会や無所属議員を集めればできてしまう。
野党の勝利とは薄氷の上のものであった。
年々野党の与党罵倒はレベルが低下しているのかもともとそうであったのが露呈しただけなのかはしらない。
とはいえ国民が現在の野党に期待していないことも得票として現れている。
この19歳の意見が若者の感覚何だと思う。
ようは野党は民主党の残像があり信用できないという一点に限る。
日本で長年唱えられてきた二大政党制は失敗したといってもいい。
政策を論評することができない政治家ばかりが当選していたことが、自民党に匹敵する政治家を生み出せなかったのだと思う。
野党は元モーニング娘とか徳川の末裔を担ぎ出したりしたが無事に討ち死した。
今の若者は特に将来に対する希望を持っていない。
現状がひどい状態であり、将来もっと悪くなると考えている。
その環境の中でほしいものは扇動政治家ではなく、理論的にメリット・デメリットを説明できる能力のある政治家だと思う。
今回N国党が1議席獲得した。
私も以前から知っていたことあり投票した。
代表の立花議員は決して高潔でもなく、むしろ昔はやんちゃしてたりした個人的には好かない人物である。
しかし彼の目指している目標は明確であり、その目標達成のためにリスクもあることを説明した。
すなわち当選した議員が立場を翻意したり、N国党の方向性も組む相手によって変化することだ。
しかしあくまでもNHKにスクランブル放送をさせるという目標のために行うという説明だ。
単純で明確である。
他の野党は消費税をなくすとか綺麗事ばかりを述べていた。
しかし30年近くのデフレ経済において綺麗事だけで世の中が回っていないことを多くの人が気付いてしまった。
綺麗事の裏には犠牲になることやリスクがあることを承知している。
何より財源がないことを国民は理解していて、財源議論ができない野党は今後も衰退するだろう。
選挙のたびに日本は滅びる論が噴出する。
私が初めて日本終了だなと思ったのは中学生のとき、テレビにモーニング娘が登場したことだ。
自分と同い年のような子供がテレビで露出した服を着て踊っているのをみて日本は終わったなと思った。
あれから何十年と経過したが、未だに日本は存在している。
いつの世にも憂う人がいるから政治が機能するのだろうと思う。
二大政党制だから政治が安定するという幻想も野党不在である以上幻想でしかない。
政策提言を行うシンクタンク等政治を支える仕組みが不足している以上、有力な政党は誕生しないだろう。
複数政党制で健全にするならば政治のインフラ構築がなにより必要となると思う。
愛知トリエンナーレの表現の不自由騒動について思うこと
あいちトリエンナーレの表現の不自由展が開催中止となった。
慰安婦の女子像を展示したり昭和天皇の肖像を焼いた映像をみせるなどしたためだ。
国費10億投入したとも言われており批判が殺到した。
各人が好き勝手言えることが香港とは違い民主主義が根付いている証拠だと思う。
本件に関して思うことは唯一、国費でやる必要はなかったに尽きる。
どういう思想であれ日本では表現の自由が認められている。
戦前の日本のように天皇批判をしたら特高警察に拘束されることはない。
第三者の目を気にしなければ皇居前広場で天皇の写真を燃やしてもいいことになっている(別の容疑で拘束されるけど)。
今回の騒動は左翼の典型的なパターンで面白みは何一つない。
お決まりの幼稚な表現の体制批判の展示会である。
見ている人を不愉快にさせることについて他の追従を許さない展示会である。
思春期になった子供が不良になって世の中にケチをつけるように大人になっても成長しなかった幼稚な大人の夏休みの自由研究でしかない。
これを私費や募金を募って開催したのならば彼らにしてはイケてると思う。
権力に縛られることなく自分たちの不自由さを表現したのならば本懐であったと思う。
しかし今回は公費が投入されている。
税金が投入されている以上、今回の展示会は不適切となる。
政府の方針と異なる刊行物を政府が作ったら問題になるのは当然である。
今回の展示会も国費を投入した以上はオーナーの意向に従うのは当然である。
左翼の幼稚な考えでは金はふんだくるけど口は出させないということはある。
しかし金を受け取った以上は政府の方針に従うのは当然である。
本件に関して金を出す方は当然一番の責任がある。
政府の意向と正反対の刊行物を作る許可を与え、国費を投入したことは罪である。
表現の自由を謳う前に公僕であることを失念している。
公費の横領と言ってもいいだろう。
しかし展示会の主催者も表現の不自由を謳いながら公費でやる浅ましい考え、批判が殺到したら中止にする腑抜けっぷりにはがっかりさせられる。
他人の神輿に乗って表現の不自由とか言っても説得力がないしコンセプト倒れもいいところである。
また中止にする判断もダサい。
賛成者と反対者が会場で衝突することも表現の不自由を表す展示物の一つとなり得た。
誰かが血を流し、作品が傷つけられることも表現として現れる。
だがそれもしなかった。
最終的には自治体も主催者も芸術について理解していなかった。
にも関わらず大金を投入してゴミを作ったと言っていい。
そしてゴミに賛否両論言えるこの環境でもって表現の自由を表してしまった。
興醒め甚だしい。
ニューズウィークのMMT理論の批判記事をみて思ったこと
MMT理論において批判の集中となっているのは財政赤字とインフレの関係性だと思う。
現在の日本に当てはめるなら財政赤字でありながら、インフレに移行しない経済状態について批判されている。
これについては経済に対する明るい見通しがないから赤字のままデフレ状態となっているように思う。
インフレにするためには内需拡大が必要だが、肝心の個人消費が低迷している。
これは個人が支払う税率が年々高くなっていることとがある。
社会保障費の重荷が個人に割り振られており、将来に対する希望をなくしていることが主要因だと思われる。
戦後直後とは違い、表面的には物質にあふれ、適度な娯楽もあるため貧困を感じにくい。
しかし社会階層の固定化がしやすく、独立等の能動的な動きになりにくい現代の日本はデフレが継続しやすい環境となっている。
仮にMMT理論で財政拡大を実施したとしても将来に対する希望がない場合はインフレに移行しない可能性がある。
MMT理論の肝は財政拡大はあくまでもインフレを誘発させることがセットなり効果を発揮する。
消費税が10%となり、軽減税率導入により将来さらに増税する可能性を考慮すると消費低迷は続くものと思われる。
また社会保障費が増大し続けることで年金問題等の暗いニュースもデフレに拍車をかけている。
理論がどうこうより将来に対する展望が描ける政治家や私達の心の持ち方がなにより大事な気がする。
富国と強兵 中野剛志著 を読んで思ったこと
まだ途中までしか読んでいない。
とはいえリアリズムの観点から経済を語っているため示唆に富む本である。
経済学の本をみて消化不良であった金属主義の矛盾について表券主義と信用貨幣論を用いて反論し解説している。
何故金属主義について消化不良なのかというと失われた30年という経済状況において彼らの政策は為す術がなかったことにある。
また現在の経済規模は金本位制度では考えられない位大きな規模となっている。
しかし経済理論の多くは貨幣=経済の大きさと考えているためだ。
それだけ貨幣自体に価値があるとは思えないし、別の理論が動いていて今の経済を動かしていると主観的に思っていた。
この本は近年散見されるようになったMMT(現代貨幣理論)が書かれているらしい。
最初にMMTをみたときは「胡散臭い」という第一印象であった。
なぜなら公共事業を国の国債発行でバンバンやっても問題ないし、むしろ経済が向上していくというのは極端な意見だと思うからだ。
この本でも信用貨幣論の観点に立脚すれば国債発行は問題ないとしている。
国債発行に心理的な抵抗感を示すのは金属主義で考えるからだとされている。
国の借金がデフォルトしないのは預金が借金より多いためであるが、少子高齢化社会で今後預金が減少するから大変というのがニュースでよくやっている。
すなわち国債>預金になるとダメと言う前提がある。
これは債務も預金も量的なものとして考えている。
こういう量的な考えである金属主義の前提は端的にいえば金に対してどれだけの価値があるかとなる。
金属主義は硬貨に対する銀や金の価値=貨幣価値となる。
しかし電子マネーに代表されるように今のお金は数字で表されている事が多い。
日本全体の富はおそよGDPで550兆円あるとされている。
しかし実際の紙幣流通量は110兆円程度である。
残りは銀行等の数字上の表記となっている。
端的にいえば銀行が倒産することはないという信頼があるから価値を保っている。
その裏付けは政府が銀行の預金を保護したり、銀行倒産を回避するために手段を講じることにもある。
また紙幣にしても原価は20円前後である。
これを1万円としているのは他ならぬ日本国である。
日本国が将来消滅するという可能性がないという信頼があるから価値を保っているのだ。
こういった国家主権の権力に裏付けされていると考えるのが表券主義という。
理解が難しいがこの国家権力によって裏付けされた貨幣により国民に納税させることなる。
納税することで国家に対する負債を解消することができる。
言い換えるならばクレジットカードを使用することも同様である。
クレジットカードを使用すれば先に商品やサービスを受け取ることができる。
後から銀行引き落としされるが、それまでの間は負債となっている。
銀行から引き落とされて初めてクレジットカード会社に対する負債が解消する。
この貨幣を負債として考えるのが信用貨幣論というらしい。
個人であれば負債の返済義務がある。
しかし表券主義に立脚すれば貨幣の製造と信頼の担保は国が行っている。
国は貨幣を流通させる責務を担っているため債券発行等を通じて貨幣を流通させる。
国の債券は民間企業に売上として還元される。
民間企業はその売上をもとに従業員への支払いや材料の支払い等を行う。
こうやって貨幣が流通していくことになる。
そのため流通を増大させるためには財政赤字が健全な状態となるらしい。
貨幣の流通のコントロールによってインフレやデフレの調整を行うならば国の国債発行額は民間への貨幣流通の指標となる。
国債発行額が多いほどいいとなるらしい。
この辺については理解が追いつかないところがある。
発展途上国で貨幣が使われないのは国家権力が脆弱であるため貨幣の信用力が担保できていないことにある。
国債発行によって国から民間へ貨幣が流れていく流れは経済規模を大きくしていくことも理解できる。
借りた側の返済能力が無限にある場合国債発行は問題ない。
しかし現実は借りた側の実際の返済能力は不明である。
サブプライムローンのように返済能力がない人をあるようにみせていたのが露見したことがあった。
このように国の財政赤字が返済能力より著しく高かった場合、信用が毀損される。
こうなった場合国家破綻するように思う。
理論の理解が難しいが面白い書物である。
京アニの放火殺人事件で情報量の多さについて思うこと
センセーショナルな事件であるため雑多な情報が往来し情報多寡となっている。
災害や大事件が起きたときこそ正確な情報を必要とする。
しかしメディア情報はセンセーショナルな報道が多く有益性の乏しいものとなる。
ツイッター等のネットは情報量が多すぎ取捨選択に時間と精神的な労力を必要とする。
結局情報精度を求めるならば情報収集を中断し、時間が過ぎるのを待つか、有益な情報を発信する人のみを見ることが肝要と思われる。
情報は膨大だが人間の精神力は有限であり、特に当事者であるときは体力や精神力を浪費しないことが大事だと思う。
緊急時こそ目の前の事柄に集中し生き残ることが大事だ。
今回の事件で改めて情報精度について考えさせられた。