京アニの放火殺人事件で情報量の多さについて思うこと
センセーショナルな事件であるため雑多な情報が往来し情報多寡となっている。
災害や大事件が起きたときこそ正確な情報を必要とする。
しかしメディア情報はセンセーショナルな報道が多く有益性の乏しいものとなる。
ツイッター等のネットは情報量が多すぎ取捨選択に時間と精神的な労力を必要とする。
結局情報精度を求めるならば情報収集を中断し、時間が過ぎるのを待つか、有益な情報を発信する人のみを見ることが肝要と思われる。
情報は膨大だが人間の精神力は有限であり、特に当事者であるときは体力や精神力を浪費しないことが大事だと思う。
緊急時こそ目の前の事柄に集中し生き残ることが大事だ。
今回の事件で改めて情報精度について考えさせられた。