私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

カルテル・ランドにみて法秩序について思うこと

カルテル・ランド(字幕版)
 

 中南米はどこの国もカルテル支配下にある。

国会議員や政府関係者、警察や軍隊に至るまでカルテルと結び付きがある。

メキシコはカルテルの影響力が極めて強い国であり、麻薬撲滅を宣言した候補者が数日で射殺されることもある。

そんな国にあって自警団を組織し地域の治安回復をしようする発起人を中心に話は展開している。

カルテルの末端構成員を次々確保して実績を作っていく。

自警団は規模が大きくなり、支配地域も増えた。

警察や軍は自警団の武装解除をしようとした。

しかし住民が取り囲み反対運動をすることで武装解除はできないほど組織は大きくなっていった。

一方で改宗したカルテルの人々も参入していき、自警団内でのグループができる。

また組織が巨大化することで質的劣化がおこる。

無関係の人を犯罪組織の一味として逮捕したり、窃盗や不法侵入するケースが多くなった。

発起人はリーダー格ではあるが、あくまでも合議制でありリーダーは何人もいる。

そのため末端構成員の制御が難しくなった。

政府は自警団の巨大化に対して方針転換する。

自警団を警察組織の一部とすることで制御下に置く方針に切り替えた。

非合法なまま組織を維持するか、政府の制御下に置かれることで合法化できるかで組織は2つに割れた。

最終的に組織は分裂した。

 

この映画を観て住民の願いは一つで安心して暮らせる社会だ。

これが達成できるならば政府でもカルテルでも自警団でもいいと考えている。

秩序の維持には武器と兵員が必要であり、保証してくれる存在を住民は求めている。

政府は法を定め、法に則り仕事をする。

カルテルは利益のために住民に安定を供給する。

自警団は政府もカルテルも信用がないため自分たちで成し遂げようと考えた。

しかし政府は法があっても警察や軍の腐敗によって実行ができていない。

カルテルは都合が悪くなったり、構成員の心変わりによって秩序の破壊者となる。

自警団は個々人の良識に頼るため、正義の基準や行動基準に差異が生じる。

このことから分かるのは、政府は信頼を喪失している。

そしてカルテルや自警団は判断基準がないため信用がない。

自警団の信用性を回復するためには法を作り運用していくことが求められる。

明瞭は判断基準を万人に公開することで信用を勝ち取る。

法は支配者と被支配者との約束事である。

約束を守らないような支配者は信頼されることはない。

日本でも法の不公正さに対する疑念の声がある。

だが信頼されていないわけではない。

秩序の破壊をしようするならば、権力者や暴力装置が法の遵守を破ればいい。

法の遵守を放棄することで制御が効かなくなり暴走する。

共産主義等を信奉している連中が自分たちの考えを押し付け法律を停止させようとする行動をすることがある。

この法律停止こそ彼らが望む秩序の破壊である。

秩序が破壊された後、自分たちの主張を通すことが可能となる。

しかし秩序の破壊後に主張が受け入れられるかは別儀である。

だから安保闘争に負けたのだと思う。

個々人が法令遵守をしているとき、秩序も守られている。

私達一人ひとりが秩序の擁護者なのだ。