私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

FIREについて思うこと

最近経済誌などでFIREがよく取り出されている。

経済的に生涯年収に到達できる見込を早期に稼ぐことで本業を引退するなどして早期リタイヤすることを目標にしているらしい。
私はこういった考えは好きではないが。
近年株や不動産投資に一般人も注目していることが背景にある考えだ。
だがこの考え自体がビジネスパーソンらしい短絡的思考の現れだと考える。
 
まず本業で得れる賃金が今後も継続的に得れるかという問題がある
倒産とまで言わないでもボーナスが減額したりして将来の収入見込みに保証はない。
また副業で株や不動産に投資したとしても資産価値に振れ幅があることは大事な要素となる。
特にFIREという明るい未来を描くと不安定要素や価値下落という負の要素は軽視しがちとなる。
そして最大の懸念点は自分と周囲環境の変化だ。
大きな病気にかかり多額の現金が必要になったり、子供が受験に失敗して養育費が余分にかかったり、両親が要介護者となるなど自身でコントロールできない不確定要素によって明るい未来に影を落とすことになりかねない。
人生をコントロール可能だと考えることがビジネスパーソン思考の極地と言ってもいい。
会社の売上と同じ思考で資金を積み上げれば目標に到達できると考えているのが短絡的だと考える。
その目標自体がコントロールできない人生によって容易に変化することに思考が及ばない人にFIREは難しく、できたとして転落する可能性が高いと考える。
学生時代だって自分でコントロールできた事象は少ない。
友人や先生によって得れた情報によって取捨選択したことをコントロールできたというのはおこがましい。
 今参考にしているFIRE記事や識者も取捨選択したわけではなく、見たいと思ったときにたまたま投稿されたにすぎない。
 
ここまで批判的に書いたもののFIREという名称は別議にして早期リタイアすること自体は悪いことではない。
ただし早期リタイア後に労働時間を含めてチャレンジしたいことがあればだ。
例えば作家とか思索に巡らす時間がほしいといったり、起業したいとかである。
だがそういうチャレンジしたい人はFIREを目指すのではなく、本業をしながら少しずつ作品を作ることは可能だし思索に巡らす時間があっても作れるかは疑問である。
また起業したい場合は銀行融資やクラウドファンディング等で資金調達可能な時代でもある。
第2、第3の人生のためにFIREするのではなく、仕事という苦痛から逃れるためという人がほとんどという気がする
何かから逃れようとする人は、すぐに希望に飛びつこうとする。
だが株や不動産には飛びつく人をカモろうとするハンターもいる。
騙す、騙されるだけではなく、市場の中でプロと呼ばれる人たちの「洗礼」を受けることも含んでの話だ。
私も個別株に手を出し含み損を抱えている初心者であるが、FIREする気はない。
仮にFIREできるほど儲かっても仕事は定年以降も継続するだろう。
なぜなら金はあるに越したことはないというのもあるが、純粋に個別株投資に興味をもったからにすぎない。
損をしたくはないが損をすることは勉強不足で片付けることができる。
不動産投資は楽待をyutubeでよくみるが、やりたいとはこれっぽっちも思わない。
初期投資とリスクがあまりにも大きいからだ。
金よりも不動産にかける時間のほうが問題であり、本業に支障がでるレベルだと判断している。
私見ではFIREという概念と株や不動産は対極にあるように思う
パラドシカル・ロジックと同じように儲けようと考えるほどFIREから遠のくと思っている。
本当に儲かる話は雑誌や人から得るのではなく自身で考えることが大事なんだと思った。