東京五輪のゴタゴタについて思うこと
東京五輪は開催前から色んなことがありすぎた。
だが上層部の無作為に現場力で無理やり乗り切ることで開会式も無事に完了できた。
開会式が無事に完了し選手たちが大会に出場できていることは喜ばしいことである。
次の冬季五輪は北京開催だが、ボイコットする国が相次ぐ可能性があるため東京五輪が盛り上がれば差を世界に示すこともできる。
だが五輪に関わる一連の騒動は日本の閉塞感の原因を象徴しており、特に開会式を巡るゴタゴタによって拍車がかかったように見受けられた。
五輪準備委員会の機能不全、密室で決定される不透明性やご意見番や権威による意見によって物事が決定されるといった事象こそが閉塞した日本を象徴していると感じた所以である。
閉塞感というのは自分自身ではどうにもならない大きな力によって押さえつけられている状態といえる。
税金によって行われる大会のプロセスが不透明で利害関係者の恣意的な判断だとわかってしまうような中で物事が進んでいくことは閉塞感を生み出す原因となる。
リオ大会で安倍首相がマリオに扮して登場したことを受けて開会式はゲームなどのキャラクターを用いた演出をするのは自然な流れでもある。
だが一部のご意見番や権威によって開会式が歪められ、前日までごたつくという醜態を晒したことは決して忘れられてはならないと思う。
人様の金を使って好き勝手することは盗人と何ら変わらない行為であり、今回であれば国民、政府、IOC、企業スポンサーに多大な迷惑と不利益を与えている。
大会開催までのプロセスについて後日検証委員会を設置し、今後世界的な大会を運営していく上でのノウハウを整理することも必要だと思う。
だが五輪が行われたことで国民は関心を失い過去の話をクドクド考えることはできないだろう。
また利害関係者の横槍によってされることはないだろう。
こういった密室によって物事が決定されるのは国だけではなく企業でもあり、特に人事に関わる部分では顕著となる。
最近の企業では評価ポイントや基準は公表されており、一見すると公平な人事が行われているように見える。
だが実際のところは課長や部長でもわからない役員レベルでの綱引きによって決まっている。
肝心なところで密室になっているため結局のところ公平とは言い難い人事評価を下されることもある。
見かけ上は公平そうでも実際の運用部分では恣意的な運用をする。
これこそが閉塞感をもたらす元凶だと思う。
自身の頑張りとは関係ない場所で不透明な決定がされることがビジネスパーソンの愛社精神を削ぐ結果となっているように、国際的な大会で利害関係者のみで不透明な決定をすることはスポーツ大会の今後が危ぶまれる。
今後数十年、日本国民では五輪以外の大規模なスポーツ大会に対する心情的な嫌悪感がつきまとうことになるだろう。
大会をするたびに五輪のゴタゴタのようなことが再現されると考えるだけで嫌になるのも無理はないと思う。
これはスポーツに関わる競技者や関係者にとっても不幸な話だと思う。
自分たちの頑張りではない上層部の身勝手によってスポーツに対する印象が悪くなったというのはやるせないだろう。
本来ならば大手を振って大会に出場するはずだった選手たちは一様に「色んな考えはありますが、出場させていただきありがとうございます」と低姿勢にならざる負えない状態となっている。