やりがいのある職場という考え方について思うこと
ワーク・ライフ・バランスや効率的な労働についての記事が増えた。
少子高齢化社会と国際競争の時代にあって短期的に利益を計上できても企業の存続ができるわけではない。
企業のお偉方は今後を見据えて過去最高の売上を計上しても早期退職者を募集することに変わりはない。
特に年々ビール等の嗜好品の需要が国内で低迷すると予想されるアサヒビール等は危機感をもって早期退職者を募集することで組織の新陳代謝を図っている。
一方で将来に対する正社員のあり方が問われている。
従来型の組織形態では高度化した第四次産業で求められている組織とのミスマッチが起きている。
今までの組織では上司は部下の行動と仕事内容を理解し、部下は理解のある上司に承認を求め組織として行動する。
判子文化と言われるように判子を押す意味はリスクの分散と部下の行動を制約することで取り返しのできない失敗を避ける意味もある。
だが今の会社で上司が部下の仕事内容を理解しきれていない事が多い。
上司は自身の仕事をこなすだけで大変な思いをしている。
その中でさらに部下の面倒や仕事の進捗状況を見るのは至難の業となっている。
判子文化も形骸化した。
今では判子は体裁を整えるもの以上ではなくなった。
書かれた文章に対して適切な反論ができる上司が不足し、部下に底の浅さを露見する上司も増えた。
中間管理職のマネジメント不足と会社としての教育不足が重なってマネジメントができる人材不足に悩まされている企業は多い。
問題は肥大化し複雑化した業務を上司が把握しきれなくなったことと、部下の仕事自体の高度化と複雑化によってパンクしていることある。
モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか (講談社+α文庫)
という本がある。
自身の仕事で目一杯の上司と関心が失われたと感じる部下がやる気を喪失しないための組織のあり方を書いた本だ。
曰く従来型の組織形態を変革しフラットな組織に改造することを唱えている。
特に第四次産業に求められているのは時間を切り売りする働き方ではない。
上記youtubeにあるようにエクセル一つとっても理解している人の仕事量はおっさんが必死こいてエクセル表を修正する作業と同じ給料では不公平なのは当然だと思う。
新しい発想やひらめきによって社会を変革する仕事をするにはフラットな組織にして自由に意見が言える環境と給与体系に変更する必要がある。
だがすべての企業が同じようにする必要はない。
工場系等の従来の仕事では従来型の組織があったから成功し、成長した経緯がある。
うまくできていたことを捨てて無理に合わせる必要はない。
だが欧米の言うことは模倣する癖のある日本企業は従来型の組織形態を保ったままでやりがいのある職場を謳いフラットさを演出しようとする。
部下と上司の垣根を超えて同じ職場の仲間として働こうという趣旨の話が横行する。
しかし実際は仕事内容を理解できていない高給取り気取りの残業代がでない上司と安月給でこき使われていると思っている部下の仕事量が増大するだけである。
やりがいのある仕事と称して部下にチャレンジさせ、失敗したら同責任をとるんだと迫る上司。
また上司はフラットな組織と考え部下が知る必要のない情報まで開示する場合もある。
会社の人事や昇給は明文化されているが、実際どのように運用されているかなどの評価基準は全員が納得できるものではない。
評価をする以上全員が納得できることはない。
センシティブ情報を開示することで部下のやる気が失われることになる。
また上司は孤独であるという立場を嫌がり、部下に自分の悲惨な状況を理解するよう求める場合もある。
最近の若い人は共感性が高いため話を理解して聞いてくれるだろう。
だが一方で部下にしてみれば組織を束ねる人物が孤独なのは立場上仕方ないとも思う。
悲惨な状況を部下に愚痴るよりもっと上に言えよと部下は思うことになる。
やりがいのある職場という理念を主体性をもって働けるようにする必要性を企業は理解している。
一方で従来型の評価体制と給与体制からぬけることができないため主体性をもって働こうとする人材は少ない。
本当に必要なことは経営者が主体性をもって会社をどのように成長させるかというヴィジョンの共有ではないかと思う。
人は誰かのために働こうと思う。
家族のためや顧客のため会社のため等誰かの約に立ちたいと思う。
経営者が明確なヴィジョンを持って部下に語りかければ自ずと主体的に働くだろう。
問題の根本は主体的に動けていない人が他人の言うことを鵜呑みにして、部下に主体的に動けと言っていることにある。