私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

アメトーーク特別編 雨上がり決死隊解散報告会を視聴した感想

abema.tv

雨上がり決死隊が解散することになった。

結成32年での解散なので筆舌に尽くし難いことだ。

私は彼らが好きでも嫌いでもなかった。

お笑いライブに行ったことも無い。

ただテレビをみていた時期には中堅芸人として第一線で活躍されていた記憶はあった。

2年ほど前に闇営業問題で謹慎処分となり、一般人とは違い期間満了となれば次々と芸人達は復帰していった。

だがその中でも宮迫さんは様々な支援を裏切る形でyotuberとして別の道を進んだ。

一連の騒動はエンタメに詳しくない私も目に入るほど大きな騒動となっていた。

様々な批判で目についたのは彼の芸が好きではない人が多かったことだ。

他人の欠点を指摘して笑いをとるやり方をスタイルにしたキザを気取るような芸風は指摘されるとうなずけてしまった。

特にここ数年で彼のようなスタイルは悪目立ちし、他人を傷つけない笑いに移行しつつある気がする。

 

そんな風潮の中でたまたま解散するとのニュースが目に入った。

どうせお涙頂戴のつまらない番組なんだろうなと確認程度に視聴した。

予想とは違い暴露大会の様相となり、2人の考えや集まった他の芸人達とのやりとりの生々しさに新鮮な驚きがあった。

テレビ局側がどう考えていたのかは存じない。

だが番組としては熟年離婚の模様がみれ、週刊誌を読んでいるようで面白いと評価できた。

私が気になったのは2年ほど芸能から離れた人間がこれほど噛み合わないのかと思えた点にある。

噛み合わないのは他の芸人との絡みもそうだが、何より場の雰囲気を読むことができていない点にある。

この解散報告会は雨上がり決死隊のために行われているにも関わらず、聞き手役のひな壇芸人をイジったり、自分の非があることを話すときはキザな話し方をするなど場を読めないと感じさせる箇所が多々あった。

単純に自分大好きおじさんとして宮迫さんをみてしまった。

彼以外だったら2年のブランクがあっても復帰できたのかもしれない。

だが2年という空白は興味本位で観ている視聴者に違和感を覚えさせるほどの間の途切れをもたらすのかと驚愕した。

彼が話し終わると場が停止するのだ。

ほんの一瞬のことだと思うが、数秒のように長く感じるほどに停止する。

これではテレビで単発ならいざしらず、レギュラーをとることはできないだろう。

こんなに違和感を覚えるほど浮世絵したのはyoutuberになり自分の殻に引きこもったからだと考える。

youtuberなりたての頃は素晴らしい成果をだすのは当然と言っていい。

話題性のある人物がやるのだから成果は自然とついてくる。

ただ自分の殻に引きこもってしまうと後が続かなくなる。

テレビにしろyoutuberにしろ視聴者はより面白いもの、新しいものといった刺激を求める。

だが彼の報告会での振る舞い方は2年前で停止しており、youtuberとして1年程度かけてやってきたことをテレビ上でなにか残せたわけではない。

完全にしゃべり上手の素人おっさんがそこにはいた。

この2年という空白期間は一流をあっという間に錆びさせるには十分な時間だったということがわかった。

2年あれば芸能だけではなくあらゆる業界に携わっている人でも同じようになる可能性があることも失念してはならないと思った。

例えば転職して、2年後に元の業界に戻ろうとしたときも同じ状態になるかもしれない。

なまじ経験があるだけに以前のやり方に固執し、周囲との軋轢を生じさせるなど浮く存在になることだって考えられる。

これは第一線にいても同じことで新しいものや環境を貪欲に吸収していかないと、特定の技術に秀でた小うるさい面倒な人という烙印をもらうことになる。

対して蛍原さんは頑固で繊細な人物だそうだが、自説を何でも通すわけではなかった。

倫理をわきまえた上で周囲の意見を聞き、廃番にすると話していたアメトーークも存続させると決心した。

一方で宮迫さんがyotuberになった時期をロンドンブーツの再出発にぶつけた倫理観を疑い、同業者潰しをした彼を許すことはできなかったといった。

これは頑固というより分をわきまえた人物と言っていい。

蛍原さんは面白い芸人ではないと騒動前から今も思っている。

だがそんな人物でも長年やってこれたのは倫理に配慮することや他者の意見を取り入れる姿勢といったことだと思う。

蛍原さんが今後一人でやっていけるかは私もわからない。

だがどちらが生き残るかと考えると蛍原さんだと思う。

たった2年の空白期間が与える影響について観れたいい番組だった。