富国と強兵 中野剛志著 を読んで思ったこと
まだ途中までしか読んでいない。
とはいえリアリズムの観点から経済を語っているため示唆に富む本である。
経済学の本をみて消化不良であった金属主義の矛盾について表券主義と信用貨幣論を用いて反論し解説している。
何故金属主義について消化不良なのかというと失われた30年という経済状況において彼らの政策は為す術がなかったことにある。
また現在の経済規模は金本位制度では考えられない位大きな規模となっている。
しかし経済理論の多くは貨幣=経済の大きさと考えているためだ。
それだけ貨幣自体に価値があるとは思えないし、別の理論が動いていて今の経済を動かしていると主観的に思っていた。
この本は近年散見されるようになったMMT(現代貨幣理論)が書かれているらしい。
最初にMMTをみたときは「胡散臭い」という第一印象であった。
なぜなら公共事業を国の国債発行でバンバンやっても問題ないし、むしろ経済が向上していくというのは極端な意見だと思うからだ。
この本でも信用貨幣論の観点に立脚すれば国債発行は問題ないとしている。
国債発行に心理的な抵抗感を示すのは金属主義で考えるからだとされている。
国の借金がデフォルトしないのは預金が借金より多いためであるが、少子高齢化社会で今後預金が減少するから大変というのがニュースでよくやっている。
すなわち国債>預金になるとダメと言う前提がある。
これは債務も預金も量的なものとして考えている。
こういう量的な考えである金属主義の前提は端的にいえば金に対してどれだけの価値があるかとなる。
金属主義は硬貨に対する銀や金の価値=貨幣価値となる。
しかし電子マネーに代表されるように今のお金は数字で表されている事が多い。
日本全体の富はおそよGDPで550兆円あるとされている。
しかし実際の紙幣流通量は110兆円程度である。
残りは銀行等の数字上の表記となっている。
端的にいえば銀行が倒産することはないという信頼があるから価値を保っている。
その裏付けは政府が銀行の預金を保護したり、銀行倒産を回避するために手段を講じることにもある。
また紙幣にしても原価は20円前後である。
これを1万円としているのは他ならぬ日本国である。
日本国が将来消滅するという可能性がないという信頼があるから価値を保っているのだ。
こういった国家主権の権力に裏付けされていると考えるのが表券主義という。
理解が難しいがこの国家権力によって裏付けされた貨幣により国民に納税させることなる。
納税することで国家に対する負債を解消することができる。
言い換えるならばクレジットカードを使用することも同様である。
クレジットカードを使用すれば先に商品やサービスを受け取ることができる。
後から銀行引き落としされるが、それまでの間は負債となっている。
銀行から引き落とされて初めてクレジットカード会社に対する負債が解消する。
この貨幣を負債として考えるのが信用貨幣論というらしい。
個人であれば負債の返済義務がある。
しかし表券主義に立脚すれば貨幣の製造と信頼の担保は国が行っている。
国は貨幣を流通させる責務を担っているため債券発行等を通じて貨幣を流通させる。
国の債券は民間企業に売上として還元される。
民間企業はその売上をもとに従業員への支払いや材料の支払い等を行う。
こうやって貨幣が流通していくことになる。
そのため流通を増大させるためには財政赤字が健全な状態となるらしい。
貨幣の流通のコントロールによってインフレやデフレの調整を行うならば国の国債発行額は民間への貨幣流通の指標となる。
国債発行額が多いほどいいとなるらしい。
この辺については理解が追いつかないところがある。
発展途上国で貨幣が使われないのは国家権力が脆弱であるため貨幣の信用力が担保できていないことにある。
国債発行によって国から民間へ貨幣が流れていく流れは経済規模を大きくしていくことも理解できる。
借りた側の返済能力が無限にある場合国債発行は問題ない。
しかし現実は借りた側の実際の返済能力は不明である。
サブプライムローンのように返済能力がない人をあるようにみせていたのが露見したことがあった。
このように国の財政赤字が返済能力より著しく高かった場合、信用が毀損される。
こうなった場合国家破綻するように思う。
理論の理解が難しいが面白い書物である。