トラウデン直美氏の発言について思うこと
店員に「環境に配慮した商品ですか?」と聞くことで店側の意識改革をしていく旨の発言をしたことが話題となっている。
社会でもまれた経験のある人ならバカなやつだなぁというエンタメとして捉えることができるが、対応する店員はお気の毒だと思う。
こういった話は高学歴の意識高い系にありがちな話の典型例だと感じた。
自己評価が高く、高学歴特有の行動力によって自分が世界を動かさなければならないという謎の正義感を抱いている事が多い。
このためフォーラム等内輪では高評価を受けるが、一般的な「意識低い」人々には鼻白む評価となる。
だがこういった人種はやらない偽善よりやる偽善とも考えているため一般的な評価を栄養源により積極的な行動へと走らせる。
緊急事態宣言のときに平田オリザ氏は下記のような発言をして炎上した。
製造業の場合は、景気が回復してきたら増産してたくさん作ってたくさん売ればいいですよね。でも私たちはそうはいかないんです。客席には数が限られてますから。製造業の場合は、景気が良くなったらたくさんものを作って売ればある程度損失は回復できる。
平田オリザ氏炎上にみる、コミュニケーション教育は「他者と相互理解する能力」を害しているという現実|ヒラヤマ タカシ|note
教育によりコミュニケーション能力に長けた人物たちが社会に放たれるようになった。
自分の主張が第一で他者との距離感を図ることことができない図体だけ大人になった精神的未成熟児が多くなったことで社会コストが増大している。
客と店員という立場の違いを理解せず、客という優位な立場を利用して店員に特定の方向へ誘導するような質問は控えめにいっても脅迫と変わらない。
例えばこの野菜は土から掘り出しただけなのだからタダにしろと難癖つけているのと変わらない。
商品に関する改善案や環境に配慮しているかという確認する相手は店員ではなく製造業者やバイヤーに対してであり、環境に配慮していないと思われる商品を取捨選択し購入する権利があるのは客にある。
店舗型にしろネットにしろ訪問販売でない以上客は購入する希望がある上で来店している。
商品を比較検討する中でどちらがより環境に配慮した商品かを質問することは問題ない。
だがすでに決めた商品に対して環境に配慮しているのかと質問しても結果は何も変わらない。
購入するか否は客が決めることでしかない。
ましてや店員に言外で今後はより環境に配慮した商品を作れというのは論外である。
まるで妻が旦那を合法的に殺害するために大量の食品添加物を食事に混ぜ込んでいるようなものである。
第一環境に配慮した商品ですかという問いは語彙力の乏しいバカっぽさの象徴でもある。
環境に配慮した商品というのは何を基準に述べているのか前提を定義を示す必要がある。
環境に配慮した商品ならば20年前の車よりトヨタのプリウス型の方が配慮していることは疑いないだろう。
だがプリウスに搭載されているバッテリーは製造段階で大量の二酸化炭素を消費して製造されている。
そういう意味ならばスズキのアルトなど軽自動車の車体が軽量でガソリン消費量が小さい車両の方がトータルの二酸化炭素消費量が少ない計算も成り立ってしまう。
両企業とも環境に配慮した車造りをしていることは疑いない。
ならば両企業とも問題ないのだろうか。
また今の製造業ではコスト削減の観点からも環境に配慮した製造はスタンダードとなっている。
環境に配慮するという定義も曖昧な質問を相手にすることで考えるコストも相手に押し付けている。
相手は理不尽な客の質問にどう返そうかと当然悩んでいる。
その姿を見て自分は環境に貢献していると考えているのはウルトラバカでしかない。
今回の一番問題だと思っているのは国が主催するフォーラムの中で発言されていることだ。
菅総理大臣も出席するフォーラムともなればうかつな発表は政権や官僚たたきの標的となる。
このため政府関係者は事前に発言の内容をある程度精査しているはずで、トラウデン直美氏の発言を良いものとしてフォーラム内で取り上げたのだろう。
だが政府が本当になすべきことは火力発電所を削減し原子力発電所の稼働を推進することや製造工程のオートメーション化等に対する補助金を出すなどの持続可能な経済成長に必要な各種政策であり、店員にイチャモンをつけることではない。
国民の環境への意識変革のためとか言って下級国民に指導する前に官僚たちの傲慢さに対する意識変革が必要だと思う。