私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

『日本国記』を読んでみた

ツイッターで騒がれていたので買ってみました。

しかし時間を無駄にした感がある。

一章を読んで他はパラパラめくって終わった。

本の構成は縄文時代から現代までを500ページで網羅している。

これで2000円程度なら安い買い物だと思う。

ただ読者が百田ファンならの話だ。

参考図書や文中での出典表記はどこにもない。

あったら最低上中下になるだろうけど…

百田さんの私の考える歴史書を読みたい人はいい。

私はこう思うやこう考えるという主観での話に終止しているからだ。

しかし私は百田ファンではないため苦痛になった。

「多くの学者はこういう考えだが、私はこう考える。

 学者は間違っている。

 日本・日本人凄い!」

延々これが繰り返される。

学者にもさまざまな説を唱えている人がいる。

しかしどういった説を百田さんが採用しているかも調べなければ不明である。

主流派の説であれば問題ないが、そうでない説ならば説明は必要である。

なぜならあえてそういった説を採用した理由や考えが知りたかったからだ。

百田さんは私がこう考えるためという説明はする。

しかし学説名は挙げることなく次に進んでしまった。

一章読んでおっさんの垂れ流しを見ているようで疲れてしまった。

自分の専門分野が第一次大戦あたりから現代までなので読んで批評も書こうかと思ったが、おっさんの垂れ流したものをなんで自分が批評するんだろうと思ってやめた。

百田ウォッチャーなら是非ともおすすめする一冊である。