コロナウィルスを巡る大手メディアの報道について思うこと
引っ越しに伴うゴタゴタの中コロナウィルスによる様々な報道や政府対応があった。
目まぐるしく情勢が動く中で報道を見ていると気がおかしくなると感じた。
ネット黎明期のとき2chは便所の落書きと揶揄されていたが大手メディアの報道は便所の落書き以下になったと改めて思った。
コロナウィルスが蔓延する前は桜を見る会問題ばかりを報道していた。
しかしクルーズ船でのパンデミックが出現する少し前、中国武漢からの脱出者に囲み取材することでやっと報道し始めた。
飛沫感染が言われていた中で囲み取材すること自体、記者の無知と無能を表していた。
私は帰国者より囲み取材をしていた記者に注目していた。
クルーズ船のときはテレビ局が如何に凄惨な船内の状況を描こうかと躍起になっていた。
船内にいる人との生電話取材で船内の環境がいかに劣悪かを引き出そうとやっきになり、政府批判の材料にする有様を見せつけられた。
クルーズ船以降は品物不足を盛んに喧伝し、混乱に拍車をかけた。
感染症の専門家でない医者を出演させ、政府が実施している選別検査を全数検査にするよう報道した。
韓国等で実施していたドライブスルー方式の検査を日本でも実施するべきだと気持ち悪い位各局足並みを揃えていた。
しかし一週間でドライブスルー方式を採用していた韓国医療が崩壊したことで何事もなかったかのようにドライブスルー方式については何も言わなくなった。
東日本大震災のときもそうだが大手メディアの報道によって二次被害が発生している。
不安に駆られることで企業が過剰な自粛やバカによる買い占め騒ぎへ拍車を掛ける結果をもたらしている。
不安を煽る報道を繰り返し国民をパニックすることで収益を上げる構造は社会にとって害となっている。
日本国内での感染者数はインフルエンザより少ないし死者も同様である。
この程度で済んでいるのは政府というより医療関係者の献身的な努力の結果であり、日本社会の公衆衛生の高さによるものだ。
だがしかしこういったプラスの要素についてはほとんど触れることなく公平性を極端に欠いた報道を繰り返している。
また初期報道も遅く日本に感染者が増大する段階になってやっと報道数が多くなった。
中国発のパンデミックに対して責任を追求することなく、日本政府批判ばかりを繰り返す特定のバイアスがかかった報道は視聴者に大手メディアの存在に疑念を抱かせるのに一役買っている。
中国国内での発症者は抑えられていると現在報道されているが、統計自体信用できない国の発表を真に受けて報道している情報収集能力の欠如は情報を扱っている企業としての存在意義も問われる。
報道公害が年々酷くなっているように感じる。
報道公害は造語であるが報道を通じて社会を混乱させたり群衆パニックを誘発させるよう誘導することである。
東日本大震災のときは原発によって日本全土が放射能に汚染されるような報道をしていた。
今回に関しては報道によって買い占めやコロナウィルスの感染有無について全数検査を実施するよう報道することで医療機関をパンクさせようとしていた。
こういった愚かな報道は今まで顕在化しにくかったのはネットにより可視化されたことによるものなのか、大手メディアの業績悪化による人材不足によるものなのかはわからない。
しかし言えることは今後も報道公害に悩まされることだ。
便所の落書きであるネット情報の方が報道より信頼性が高く感じられる時代が来るとは思わなかった。