私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

自由と死について思うこと

人間にとって真の自由とは自分の死を自分で選択できることにある。

病気になったとしてベットに張り付けにされたり、痴呆になって意味消失した中で死んでいくことが本人にとって幸せなことなのかと思う。

自分はそこまでして生きたいとは思わない。

病気になったとしてどこまで生きるかということは自分で選択できる。

経済状況とか親類のこととか周辺環境である程度決められてしまうこともある。

だが大事なことはそれを自分自身で導き出す過程にある。

葛藤の末に出した結論だからこそ充実した死を迎えられる。

強制収容所や死刑は死を選択する自由を奪いからこそ意味を持っている。

強制収容所は人を死に追い込む場所であり死を強制される。

死刑制度は社会から自由を剥奪され象徴としして死刑が位置付けされているように思う。

医療が発達した現代社会ではいつまで生きるかという選択肢があったほうがいいと思う。

誰しもが長生きしたいとは思っていないし、それを強制することこそ自由を侵害していると思う。