私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

明治大学クライス集団昏睡事件

ことの内容はネットで散々拡散されており、大学の謝罪まで発展している。

対策に関しては『「デートレイプドラッグ」に気をつけよう! - Togetterまとめ』に詳細があったのでことさら述べるまでもない。

男子学生の道義性や女子大生の無用心さもネットで騒がれていて、中には行かなければ巻き込まれずに済んだという意見まででている。

とはいえ若い男女が出会いを求めているのは古今東西変わらぬことであり、酒の席は格好の場であることも否定できない。

ゆえに女子大生に行かなければいいというアドバイス?はまったく役に立たない。

同じように男子生徒の道義性を論じたところでこういたった犯罪はやむこともない。

いえることは単純に女子生徒側の危機管理をいかにして高めるかということを論じるのが有効な議論となる。

 

日本はテレビの報道とは違い実際のところ犯罪が少ない国の一つであり、夜道女性が一人で外出できることは安全な証拠でもある。

だからといって犯罪や性的被害に巻き込まれないということにはならないし、第一世の中に絶対の安全なんてものはない以上身を守るのは当然の事でもある。

道を歩いていてスマートフォンをいじっているようなことでは安全に対する意識は低いことの一つである。

事故にあう確立はもちろんのこと目の前にナイフを持った人に気づかないという間抜けなことにもならなくもない。

そもそも「なんで私がこんな目に?」という事態を引き起こしているのが自分自身で呼び込んでいる部分が多いのである。

 

国際社会において軍隊を持たない国は12カ国?程度いる。

しかしその内訳を見てみると太平洋の真ん中にある島や大国に囲まれていて彼我戦力が隔絶している場合などであり、言ってしまえばあってもなくてもわからないくらいの価値のないところなのである。

行ってしまえば安全に気を使わない人は自らを価値のない人物と認定しているのとさほどかわらない。

さらに軍隊を持っている国はこぞって自らの軍隊の精強さを示すものである。

それが身を守るすべであることがわかっているからだ。

仮に他国からの侵略を受けた場合、戦わずに他国に防衛を任すような国があったとしてそんな国に一体誰が庇護を与えるのか?

WW2のときベルギーはドイツのフランス進行のための道路とするためだけに侵略を受けた。

しかし我戦力が隔絶しているにもかかわらずベルギーは奮戦し意地を見せた。

結果として領土と主権を回復することができた。

安全に気を使うことは自らの存在を示すのと同時に自身の人権を尊重してもらうことでもある。

 

安全に気を使うとは下手な隙をみせないことであり、安易な過信をしないことでもある。

たとえば電車を待っているときのホームでの立ち位置からもわかる。

黄色い線のすぐ後ろで待っているというのは論外である。

時たま起こる事件として待っている人を後ろから突き落とす人がいることである。

そもそも黄色い線の存在理由はあくまでホームに入ってくる電車と接触しない安全距離を明確化したものに過ぎない。

当然乗客の転倒などは想定していない。

他にも信号が青だからといって左右確認しないで渡り始めることも挙げられる。

神奈川に住んでいればわかるがそもそも赤信号でも車が突っ込んでくるところにいれば青になったからといってわたれるとは限らないのである。

青でわたれるのはあくまでも全ての車両がルールを遵守しているという前提があるからに過ぎない。

一台でも破れば当然前提は崩れる。

世の中は危険に満ち溢れていることは古今東西変わらぬことであり、現代は危険が視覚化されにくくなっているのである。

安全は周囲をつぶさに観察しほんの些細な違和感から察知することである。

その精度が上がってくれば隙を見せなくなるし、過信もなくなる。

安全は自己を正しく評価できる人にあたえられるものである。