私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

北朝鮮崩壊後におこること

現在北朝鮮との対話という一時的な休戦がなっている。

仮に今後事態が進展し、北朝鮮の核の脅威を取り除くためにサージカルストライクが発生したとする。

いろいろあって北朝鮮の体制が維持できなくなったとして韓国との半島統一が現実化する。

もしくは中国による傀儡政権樹立の方法もあるだろう。

しかしどちらに転んでも日本の外交状況はあまり改善しない。

どちらに吸収されようと日本に多くの難民がくる。

また復興のための分担金も要求されるだろう。

解決したとしても敵対国家に取り込まれている事実に変化がない。

日本にできることは全ての難民をシャットアウトし、援助もせずにかかわらないことである。

そうすれば周辺各国の経済力を削ぐことができる。

労働者不足についての雑感

 労働賃金が上昇しないことについて前の記事でふれた。

 

seiryuu123.hatenablog.comあれから自分なりに考えてみた。

今回は労働力不足についてである。

経団連等多くの企業では人手不足を訴えている。

それは低賃金で働いてくれるという人材のことを指している。

政府はインフレにもっていこうとして政策を展開している。

その結果物価はゆるやかな上昇志向を迎える。

しかし企業は賃金上昇をインフレベースよりさらにゆるやかであるか、停滞している。

その結果消費がのびなやむ現状を多くの記事が指摘している。

中には移民を入れるとか頓珍漢なことをいっているやつまでいる。

それは無視しても保守系の人物でも労働者の賃金は低いほうがいいというやつもいる。

理屈としては日本には天然資源がなく、領土に対する人口が多いい。

そのため教育を施した上で低賃金で働かないと諸外国に追いつかないという。

その理屈で行くならば当然中国に軍配があがる。

戦前の東北での貧困や南米等への移民推薦の名残を感じる。

 

同じことをしていても無理なことは中国の急成長をみていればわかるはずだ。

高学歴の低賃金労働者なんていうのは日本以外にも多くいる。

人数でいれば発展途上国の成長後期にはそういった人材であふれかえる。

とはいえ仮に日本人が特別優秀だからとか言うのにも無理がある。

数の多さに質だけでは太刀打ちできないからだ。

もはや前提を変えるしかない。

つまり経済成長と国民の多さを比例しにくい経済を構築することになる。

 

経済において消費財というのは人間が必ず消費するものである。

全体量としては金持ちも貧者も消費するのにはかわりはない。

富めるもの貧しきものも食事する量には変化はほどんどないといっていい。

こういうのにはなにかことわざがあった気がするが…

まぁとにかく人数が大きければ消費財も多く消費することになる。

そのため人数が大きければ当然生産量も多くなる。

市場に投入される資金量も増大し、消費財を生産している会社は儲かるという話だ。

この構造を変化させるのは無謀ではある。

そのため低賃金労働者を社会からできるだけ少なくする方法があればいいとなんとなく想像してみた。

馬鹿に思われるだろうが、こういった発想がなければ世の中変わらんて。

 

まず簡単にできるのは全自動化だ。

初期投資を考えない場合、可能性は広がる。

コンビニで考えてみる。

レジについてはアマゾンが無人化実験店舗を出しているのでそろそろうまい方法が確立されると思う。

ICチップにしろ、カメラにしろ人間を監視していれば可能なことだ。

万引きについては出入りの際にはナナコカードをかざせばいい。

個人情報を入れておけば、店内で不審な動きをしていればカメラで追跡可能となる。

カメラで追跡するのもAIにできる。

商品陳列については人間の手が必要とはなるだろう。

ロボットまで導入するのはコストパフォーマンスが合わないからだ。

とはいえ各店舗には管理者が必要となるのだから品出し要員として一人いればいいようにオペレーションを組めばいいと思う。

また夜には商品補充をせずに、朝方やれば夜間は完全無人も可能となる。

レジでの会計業務以外の複雑な作業については、いくつか方法があるがローソンだとロッピィ等の端末を導入して行えば問題ないだろう。

荷物の発送についても宅配ロッカーを使用して支払いをナナコカードで行えばいい。

金額ともののサイズがあわなければもっていかないという仕組みになる。

清掃については床を格子状にしてその下を中国のトイレであったように水を流すといったことや、お掃除ロボットの導入で事足りるだろう。

こういったことは客に対して不便をしいることも多々あるだろう。

とはいえ効率化の第一歩は客にどれだけ上手に動いてもらうかから始まる。

 

前職では工事現場の監督をしていた。

施主からの要望はとどまることを知らない。

当然できないこともある。

そんなとき条件を出して店舗の人員にやってもらうこともあった。

その時は清掃や商品陳列の順番を融通してもらうことである。

おもてなしとか人とのふれあいとか企業では言う。

しかし現在多くの企業は接客マニュアルを基に教育を実施している。

店員はマニュアル通りに接客することを求められており、逆によかれと思ってやったことがネットに流出した場合の負の効果について非常に恐れる。

常々思っていたが、日本は本当におもてなしの文化があるのだろうかとも思う。

接客マニュアルは責任逃れに使用されているのが現状である。

例えば注文した場合「注文を繰り返させていただきます」といったことや「他にございませんでしょうか」といったことは客にお前の頼んだものはこれだからなと言っているようなものだ。

また全ての商品を運んだあとには「以上でお揃いでしょうか」となる。

これは客に対してお前の頼んだもんは全部か確認しろと暗に促している。

すでに接客マニュアルにより客に要望していることに変わりはないのだ。

そして多くの低賃金労働ではそれ以上を行うことは企業側にしてみればトラブルのもととなるためやらせないことになっているところもある。

 

すでに労働者がロボットみたいに動くことを想定しているのだから自動化したところで支障はないだろう。

自動化に伴うメリットは人件費の削減が最も多い。

しかしそれ以外にも制服等の備品が少なくてすむ。

また教育や人材管理も簡略化できる。

組織のスリム化となり、販管費が減る。

また福利厚生費も少なくなるため一人あたりの収益が増大するのだ。

そして何より体制の変革により従来必要とされていた多くの業務が見直される。

不必要である業務が削減できる。

客の要望だと思っていた業務について実は利益や集客に貢献していないことなどが発見される。

同時に必要とされていることもクローズアップされる。

 

これからの社会は人材の豊富さではなく、マニュアルにとらわれない変化に強い人物が多くの賃金を獲得する時代となるだろう。

横並びの賃金体系は戦後の一時期の特殊な形態である。

再び正常な社会が到来することになる。

バーチャルユーチューバーの事務所について思うこと

自分はバーチャルユーチューバーではミライアカリとシロをみている。

そんなかバーチャルユーチューバーの専用事務所ができた。

 


【重大発表】皆さんにお伝えすることがあります!!

とうとう来たかという思いと同時にこれ以上新規は難しいとも思う。

すでに大小100人以上がいる中で事務所にすることで囲い込みと新規開拓をするつもりだろう。

だが最大を誇っているキズナアイですら200万人程度にてとどまる。

市場のパイが小さい。

また新規ユーチューバー投入にしてもすでに数多くいるのでこれ以上増やしても儲からないだろう。

さらに新規顧客が獲得できるとふんでいるのかもしれない。

しかし商業化が露見することで3次元のアイドル業界との市場の重なりが懸念される。

多くの顧客がアイドルを見る視点と同じような人が多いように思う。

需要がすでに掘り起こされたように思う。

バーチャルユーチューバーもアイドルも若い女性で売っているという点では同じだ。

男性もいるが市場はさらに狭くなる。

バーチャルユーチューバーの方が年齢の制約を受けにくい傾向はある。

身バレはともかく声とキャラクター勝負であるからアイドルよりも偶像化していくのは当然だと思う。

アイドル業界のパイを取ることができれば業界は大きくなる。

だが行き着くところはAKB等の誰だか分からない連中の集合体となり、誰も興味をもたなくなってしまう。

事務所にこれから所属して売り出そうとか考えている人はその可能性が大いにあるだろう。

学校教育について思うこと

詰め込み教育とかゆとり教育等、学校教育について不満に思う人が多いらしい。

学校教育には税金を投入していることもあるのと、学校という特殊な場所についての想いもある。

よりよい教育という永遠のテーマについて皆がいろんな想いを巡らせている。

この話は以前にもした。

 

seiryuu123.hatenablog.com

 とはいえ近年特に顕在化しているのは、自身の人生を豊かにすることや危機管理や就職専門校といったことまで学校教育で行うべきという風潮がある。

この前提は人生に正解があることになる。

学校というのは先人たちの知識を学ぶところである。

人生におけるさまざまな問題や課題を学んだり教えたりするところではない。

また教えられるたぐいのものではない。

最近yotubeをみていて共感したものがある。


20代後半をどう生きるか?を年収200万円が答える

この中で人生を偉そうに語っているやつほど信用できないというフレーズがある。

ごもっともな話である。

人生を仮に地図として考えたとする。

他者の人生教訓というのは他者の地図から得られたものでしかない。

自分と地図を重ね合わせても合わないし、似た部分は使える程度のものでしかない。

 

こういった問題は学校や両親だけではなく、自分自身で考えることが必要である。

悩んだり行動したり、後悔することもある。

そいったことが人生を実りのあるものにして成長できる。

後悔も含めて自分の人生がこんなものだろうなと思えれば成功しているのかもしれない。

哀れみの目でみられる

転職して年齢層の高い会社に入った。

自分が一番若いということでほぼ全員が結婚している。

精神的に落ち着いているような人が多く、既婚者あるあるな話題がよく飛び交う。

自分は結婚どころか彼女すらできない。

そういった場では精神異常者だと思われているように思う。

仕事はできると自負している。

大体のことは一回で理解し、不明点はとりあえず自分で考えて、駄目なら人に聞くという柔軟性もある。

また業務について逆に質問されたりもするので入社して半年も経っていないが上出来だと思う。

とはいえ雑談のような共通した話題が少なすぎることは問題だと思っている。

 

しかしミリオタしかやっていない人間には酷な話でもある。

前職ではそういうやつと認知されていたのでまだいい。

社会不適合者の集まりである会社だったから問題はなかった。

とはいえ今回はそうはいかなかった。

既婚者で普通の家庭を営んでいるまぁまぁな幸せを送っている人たちだ。

既婚者たちの幸せ要求は自分より高いレベルにあるが、その人達にしてみれば当然だと思うのだろう。

既婚者同士の常識というのもある。

相手がどういう人間であるのかを子供という共通項でうかがいしることができるからだ。

だが年が5歳以上離れた若い独身だと共通項がない。

ほぼ全員が既婚者であったため自分は異質な人間となる。

子供とどう接したらいいかわからない親みたいな目でみてくる。

自分にとっては哀れんでいるように思う。

彼女もいなく人生の何を楽しんで生きているのだろうと思われているようで不快になる。

 

自分自身は結構人生を謳歌していると思っている。

他者から見ればつまらないと思うだろう。

とはいえ自分としては生まれ変わってやり直したいと思わない程度には充実している。

後悔がないわけではないが、それも人生と思える程度であるだけいいとも思っている。

キャパシディがないため自分のことでいっぱいである。

だから楽しめるんだと思う。

しかし他者から見ればつまらないのだろう。

充実した恋愛を通じた結婚という一つの理想がある。

恋愛をすれば自分自身の成長にもなるというのは一つの事実としてある。

そういったことをしてこなかった人間はその分成長できていない子供という扱いになってしまう。

恋愛を中心に置くかどうかで価値観が変わってしまうので自分としてはどうにもならないことだと割り切っているけど感情としては不満がある。

恋愛以外を充実させてきた自分にとってみれば、恋愛は最後にやり残した遊びに近い。

既婚者たちは恋愛をやって結婚してしまったがばかりに他にやりたいことをいくつも残しているように思う。

恋愛以外でも人は成長できるということを知らないのだろうかと思う。

恋愛至上主義という梅毒に汚染された思考のほうが哀れにも思う。

 

とはいえ現実として自分は恋愛ができなかった奴である。

できていて当然という連中をみるのは辛いものがある。

人として当然とされているような常識というものを理解し得ない気持ちはわからないだろう。

結婚していればわかるようなことがわからない。

子供向け番組をみることもないし、家族でショッピングモールに行くこともない。

子供が熱を出して大変とか、学校での困ったことなぞ知る由もない。

自分が社会から孤立していることをつくづく思い知らされる。

そしてまた子供とどう接したらいいかわからない親みたいな目でみてくる。

孤立しているのは構わないが、仕事をする以上寂しいという感情が露呈することは避けられない。

人の温かみの喪失感を味わう。

自分を大事に思ってくれる異性がいない。

守りたいという家族がいない。

哀れみの目を感じる。

哀れみの目の正体は自分自身なのかもしれない。

だがどうにもならない。

婚活に資源を投入しても得るものがなく、袋小路に入っている。

ミリオタ以外にやりたいことがない。

社内恋愛も絶望的だとすると手段がないと思う。

最後にやり残したことがあまりにも複雑すぎる。

真面目であることでの弊害

真面目で誠実な男はつまらないと言われたり、表情から察することができる。

それが行き過ぎると相手がよそよそしい態度で接してくる。

まるで危険物のような扱いもされる。

自分がなにかしたわけでもないのに、相手がそういう態度を取ることで腹が立つのは人として当然だと思う。

人として正当な扱いをされていないことに怒りを覚えるのは当然だ。

 

真面目であることで面白みがないとも言われる。

お前が面白くないだろと思う。

自分の人生を自分で面白くできないやつに面白さの何がわかるんだと思う。

馬鹿だなと思う。

池にいる鯉のように馬鹿面晒してパクパクしているように滑稽でもある。

誰かが提供した面白いという餌を食うだけのやつに何がわかるんだと思う。

だが世の中そういった自分を棚に上げる人間が多い。

そのため実害も被るハメになる。

婚活が進まない原因もそんなところにある。

年収500万以上でルックスがよく、話が面白いやつがいたらそもそも婚活すらしていないだろう。

そんなことも理解できないのかと思う。

結婚とは普段の生活の延長上にあるものだ。

面白さが常時必要なわけでもない。

夫婦として生活していく上で面白さといった諸々は培っていくものだと思う。

その前提を覆して最初から求めるのは無理な相談だと思う。

 

会話をしていくなかで真面目さが出てくる。

そうすると相手はつまらないやつという評価を下す。

相手が途端にこちらに興味をなくし始め、心が離れていくのを感じる。

何十回と繰り返した作業でもある。

女は男の見る目がないんじゃないかと思う。

よく社会不適合者やチャラいやつがモテたりするのもそういったところにあると思う。

日本では真面目なやつはバカにされる対象でもある。

ただひたむきに生きているやつを馬鹿にするという精神構造は理解を絶する。

本気で生きたことがない、ぬるま湯に浸かっているから馬鹿にできるんだと思う。

そういう奴らは皆死ねばいいと思う。

そっちのほうが世の中のためだと思う。

婚活の愚痴

婚活をしていて思うことがいくつかある。

婚活アドバイザー存在などが現在の婚活における各種サービスというものと、実際の婚活を行っている人間のスキルに対して適切なアプローチができてるとは言い難い現状がある。

その原因の一つは婚活をする人間が バリエーションにとんでいることもあげられる。

均一化したサービスを行うにあたって企業は低い人間の底上げをすることに対して重点を置くことになり、社会人として最低限必要とされる身だしなみやスキルやトークといったスキルを向上させることに重点を置くことになる。

最低限の身だしなみを整えることもできない人間が婚活市場に参入する一方で、すでにできている人は自らのファッションスキル等を高めている人間にとって不要なサービスとなる。

そういう普通な人にとって婚活をしていくうえにおいて婚活アドバイザーという人たちやサイト運営にとって明確な支援ができていない現状がある。

基本的に総当たり方式であり、あった人と合わなかった人を見分けたりするシステムはない。

フィードバックがないまま数多くの人間とあい、そして数多くの人からダメ出しをうける婚活疲れという現象は広く認知されるところとなった。

こういった現状を改善するにはもはや現状では改善が難しい。

いっそうのこと星占いや星座占いといった神に頼るようなものによって婚活をすることが最適なような気がする。

人がいつ出会ったり、親密になることはわからない。

これには運が必要となる。

当然その人にもっている運や運命などは目に見えない。

神の見えざる手によって動かされている部分があることは否定できない。

このアプローチは婚活業者にとって望ましいものではない。

婚活乗車にとっては短く成婚退会してもらうことは重要なことではある。

しかし太い客を引き止めておくことも重要である。

常にその企業を利用してもらうことが婚活業者にとって重要なのだ。

これが最善である以上特に大手は野放しな状態になる。

自分自身の婚活の状況を思うに、去年と違い今年はかなり多くの人とを出会うことができた。

そして有益な情報や気づきをえることができた。

流れが確実に良い方向へと変化していることを感じている。

それは自分の星占いの結果であり、今後3年間家庭を作るにあたって最善な年である。

多くの人がいつ終わるともしれない婚活にかなり神経を注いでいる。

労力や時間と金銭面において多くの負担を強いられながらもやっていることは総当たりでしかない。

この現状は21世紀において昭和のような非効率性の塊でもある。

 

医療業界等においてIAが使われつつある。

実験的にIAが患者を診断し、その結果は時として医師の診断結果を上回る結果をもたらしている。

現在婚活において入会時にいくつかの質問に答えることによって、利用者がどんな人と会うかという方式が取られている。

これをさらに発展させ、IAに引き継ぐことによって明確な結果が得られるだろう。

それは明確にこの人と合うという結果として現れる。

それは本人にとっていい結果であるかはわからない。

だが婚活を始めるにあたって多くの人は希望を持って参加する。

そのため理想を高く持つ傾向がある。

相手を選ぶという行為自体に婚活の難しさがある。

誰がいいか、わるいかをたった数時間で決めることほど難しいことはない。

最初は30分1時間の面談で評価され、一回~三回あってく中で評価され続ける。

そのような短時間で相手の何がわかるのだろうか。

まして相手を評価する際にはどうしてもマイナス面が強調される。

評価をされている場面でミスをせずに好意的な行動ができる人物は非常に少ない。

もはやサイコロを振ったほうがいい結果が得られるかもしれない。

30分程度の面談で相手のことがわからない以上、入会時における質問の回答によってIAが自動的に選別するほうが確率があがる。

それは「よりよい結婚」という婚活の最終目標に到達できる。

これは婚活業者にとっても顧客満足度の増加に繋がる。

また良い結婚をしたという評判は顧客を増やすネタとなる。

早期退会により継続費用を稼ぐことは難しくなる。

しかし管理費の圧縮やアドバイザーの不要化、完全に少人数の運用が可能となり、店舗を保つ必要もなくなるかもしれない。

そうなると巷にあふれている婚活サイトと一緒になる。

しかしアプリと同列に並んだとしてもアプリ会社は得体のしれないものであり、信用度においては店舗を持っていた大手が有利となる。

婚活産業が信頼性を重視される業界である以上、大手が店舗を廃してサイトに特化したというニュースは新規顧客にとって安心して利用できる。

婚活アドバイザーの位置づけが不透明であり、人によって質のばらつきがあり、利用者の結果に対する評価やアドバイスの仕方というものも一定ではない。

これは人間同士である以上評価がブレるのは当然である。

そして定量化し、数値化することの難しさに拍車をかけている。

このようなぬるま湯につかったいかにも昭和的な業界である。

そのため大金を投じて利用者は報われることがない。

運の要素もあるが、IAによって婚活市場が明るくなることは想像にかたくない。

人間の出会いというものを機械によって行うことの心理的な抵抗感は非常に大きいものと予想される。

とはいえ元来出会いというものは神の見えざる手によって行われているのである。

それは人は本来介入する余地が小さいものである。

昭和においては会社の上司や世話好きな親類や近所の人が婚活業者の代行を務めていた。

現在では婚活業者によって行われている

とはいえ大事なことは相手を紹介することであり、気のあった人と結婚というゴールに向かって進むことこれがどの婚活の形態をとったとしても大事なことである。

今後IAによってさまざまな分野に浸透し、豊かな社会を創造するだろう。

そのような中においてIAを導入せず、人同士の関わりを重視するような経営は危うくなるだろう。

婚活の成婚率は10%といわれている。

この数字はあまりにも低い結果であるが、総当たりである以上この数字を上げることは難しい。

なにより利用者自身の婚活に対する知識や意欲の差等によって、本来合っているというような人同士が結びつかないということも現れるからだ。

よりよい高い目標や大金を投じたことにより判断能力がおかしくなる。

主観に基づく選択でしかない。

たかだか10時間に満たないような出会いで結婚をしなければならないという状況が普通の状態ではない。

これは極めて異常であり、この方法自体も異常である。

それをIAを利用することで少しでも確率をあげられるというのであれば、婚活業界においてターニングポイントなる。

金融業界においてお金が動いている以上、人がかかわらなければならないと思われている業界においてもIAによる自動売買が行われている。

そしてトレーダーよりも多くの資金を運用したり、成果を上げてもいる。

どちらかがいいということではなく、両方できれば一番望ましい。

しかし婚活業界はあまりにも知識と経験というものに重点を置きすぎている。

経験に基づきアドバイスをするという行為自体が、アドバイザーによってアドバイスの方法が変化する。

人間同士である以上、合う合わないということもありこういった部分も含めて運の要素が強すぎる。

何十万という金額を投入し得られるサービスと結果があまりにも伴っていない。

初期投資で20万~30万という成婚退会をすぐにしたとしてかかってしまう。

この金額は安い中古車が買えてしまう金額であり、一ヶ月の給与分を払っていることにもなる。

このような膨大な金額を投じて得られるリターンの少なさには呆れるばかりである。

なにより婚活業界における実際の成婚退会者数は10%いっているかも怪しいのだ。

多くの企業は在籍者数と何人成婚退会したかという数字を出すとこは少ない。

どちらか一方か、自ら作った数字を公表しているにすぎないのだ。

これでは比較検討もできない。

利用者に対して不備を強いて、利益を上げることのみに血なまこになっているような業界であり腐っている。

綺麗事を述べているが実際は薄汚いろくでなしがはびこっている。

そのような業界であるが、登録してくる人はよくいえば擦れてない人が多いのかもしれない。

婚活アドバイザーの言う通りに行動し金をさらに巻き上げられる。

何かのセミナーに参加したり、自分磨きをしたり大して面白く思っていない趣味サークルに参加する人もいるだろう。

方法はまちまちではあるが婚活だけに頼らない方法を取らざる負えない。

時間と労力と資金がガリガリ削れていき、さらに仕事をしている。

いっそうの事ディストピアの世界のようなIAによってどの人が結婚するかを予め決定しておくおさなごのような制度のほうがマシな気がしてくる。

しかし現代日本は民主主義国家であり、結婚相手は自由に選択できる社会である。

それはいい結果をもたらす人間とそうでない人間とにわかれる。

人間には得意と不得意があり、得意な人げにとってみればパラダイスだろう。

多くの女性や男性を捕まえたりして人生を謳歌することができる。

だが婚活以外のスキルがいかに高くても、対人スキルが乏しい人も数多く存在する。

そういう人間にとって見れば自由恋愛市場というものはコンプレックスを増大させ自己否定に走る元凶となる。

ここではクズのほうが有利となり、真面目である方が不利となる。

恋愛に長けている人間は恋愛だけをしてきている人が多い。

社会不適合者がモテることが多い。

逆転可能という聞こえがいい言葉もあるが、真面目に生きてきた人間が報われないというのはキリスト教における受難に耐える信者のような心境になる。

苦難の先に明るい希望があるかというと基本的にそんなものはない。

報われない人間はいつまでも報われずそして否定され続けるのだ。

顔が悪い、ルックスが悪い、年収が低い、コミュニケーション能力にかけている、ココが駄目、あれが駄目、しかも何が駄目なのかもよくわからないまま何十人と総当たりを行う。

時間が1年二年と経っていき、自分の年齢が結婚適齢期の限界に近づいていくのだ。

そこに更に焦りをおぼえる。

このような現状を打開するにはより効率的なシステムの導入が早急に求められる。

婚活業界における、料金体系もおかしい。

ただの成果主義でもなく、月額使用料を高くしているところもある。

こういった料金体系では成婚させるというインセンティブに乏しくなる。

婚活業者は会員数を増やすことによって自らの利益を拡大させることになり、成婚退会に導こうとする意識かけるだろう。

完全な成果主義であればより多くの婚活業者が真剣に行うであろう。

しかし最後の決め台詞は出会いはいつ訪れるかわからないためできないのだろう。

そうであるならば婚活アドバイザーは不要である。

必要なのは当人同士がいかにあっているかという客観的に示すデータだ。

指標を基に両者が会ってみればいいのだ。

婚活産業は今後も成長が見込まれている。

とはいえこれから同じことをし続けることはできない。

なにより過当競争化している。

一歩抜き出るためにも運用人数の削減やコストパフォマンスの改善、成婚率の増加が求められる。

他の業界とは違い率が低いのだから、2倍、3倍も可能となる。

一歩抜きん出きることにより堂々と数字をあげることもできる。

そして多くの入会者を獲得することも可能となる。

企業の存続のためにもIAの導入はしてほしいと思った。