教育勅語について思う
教育勅語について大臣が語ると問題発言としてマスコミに取り上げられる。
ツイッターでも賛否が激しく争っていた。
ブログでは1948年に決議可決ということで何いっているのということである。
また教育勅語の成立等については下記記事が参考になる。
否定派の見解はおおよそ下記のとおりとなる。
・戦後民主主義のもとで戦前の価値観を反映した文章を復活させることはおかしい
・天皇制については大日本帝国憲法と日本国憲法では扱いが違うため復活できない
・そもそも議会で否定されているものを大臣が肯定するのはナンセンス
他には教育勅語によって日本は戦争できる国家になったとか、軍国主義へ間接的影響を及ぼしたからけしからんといったこともツイッターには上がっていた。
肯定派の見解はおおよそ下記のとおりとなる。
・天皇を敬うのは国民として当然
・現在にそぐわない部分があるが書いてあることはおおよそ正しい
・教育理念として部分的に採用すればいい
菊の御紋を盾にして議論させない雰囲気を出している感じだ。
教育勅語が毎回これだけクローズアップされている背景には、現在の教育理念を明文化できていないことにある。
正確には教育理念があるが、広範な人々に受け入れられていないことにある。
そのため有名な教育勅語を引き合いにして両者が罵り合うという構図ができる。
教育勅語が成立した背景には危機的な日本の周辺環境に対して、みんな一つになりましょうといっている。
明治政府成立には様々なアクターが関わっており国として成立した。
しかし内情は派閥争いが激しく行われていた。
そのアクターを黙らせる印籠が天皇制である。
そのためこの時代の文章にはやたらと天皇について書かれていることが多い。
現在では教育勅語は右翼を歓喜させ、左翼に嫌悪感を与える魔法の文章として現代に伝わっているのは面白い。
最初に上げた現代語訳のサイトでは教育基本法の第二条も掲載されている。
文章自体はいかにも役人が作った法律文章で魅力はない。
これを学校で毎日朗読するのは苦行だろう。
教育基本法の第二条を反映した朗読できる文章を作成し、文科省の大臣が読み上げればみんなが納得すると思われる。
理念というのはみんなが読みやすいものでなくてはならない。
法律家には基本法で問題ない。
しかし実務に関わる先生や生徒たちが理念に沿って教育をしたり、受けたりするにはわかりやすさと読みやすさが必要となる。
教育問題が大きく取り上げられ、先生と生徒の関係性が難しくなっている。
理念をわかりやすく伝えることで秩序の回復と教育方針の明確化が必要と思われる。