正社員の責任回避傾向について思う
前回の記事で思考停止した人間について書いた。
正社員でも居場所がなくなりつつあることに言及した。
しかしそれでも亡くならない傾向がある。
責任回避傾向だ。
現在自分は大手にいる。
まともな職場、まともな人間、まともな労働環境という今の所恵まれている。
大手である以上さけて通れなこともある。
その一つが責任の所在についてだ。
すべての書類やメールがその責任を回避するために存在すると過言でないほど徹底されている。
何かしらの書類はすべて上司の承認を必要とする。
その書類もいろんなところを旅する過程でパスポートに押される入国許可印のように数人の印鑑が押されて返却される。
それから次の工程に進むことが可能となる。
メールについても必ず数人のccをつける。
何かをするにしてもすべて誰かしらの承諾や相談を必要とする。
しかしいざ問題が発生した場合、印鑑を押した人は責任を取ることはないだろう。
責任を取るのは現場担当者だけであり、その上司は重くて減給処分という扱いとなる。
特に問題となるのは複数の部署にまたがった仕事である。
誰か音頭をとる人間がいないと話が漂流船のように漂うだけとなる。
資源を浪費し成果を得られない。
そのせいでもあろう。
たまにすべての責任を人に押し付ける素晴らしい社会人に遭遇する。
ビシネスパーソンの鏡のような人物は報連相を徹底する。
そして私には責任はありませんという檻を形成するのだ。
自分は檻に入っているので安心となる。
檻の外にいる自分からみると見世物になってさぞかし気分がいいのだろうと想像するしかない。
来園者である自分はふと思う。
正社員ほどリスクを負う必要のない雇用形態はないのだと。
今の時代失敗しても最悪別に行けばいいのだ。
また昇進しても苦労が増えるだけで給与に反映されない。
しかし手っ取り早く昇進するならリスクを引き受けて成果を出しやすくなっている。
なぜなら誰もやろうとしていないのだから。