物語の非言語性について思う
銀河英雄伝説の新作を毎週見ている。
旧作セットも購入して何度も見ている。
本編全110話とOVAはボリュームとしてもかなり重い。
新作を見ていて思うのはいろんな話がトントン拍子に進んでいることだ。
基本的な構成は変化させていないし、艦隊戦や戦術についてはよりよくなっている。
しかしその分ストーリー展開がサクサク進んでいる。
だから感じるのはせわしなさである。
物語にもスピードが求められる時代になったのかもしれない。
ラノベが流行ったり、アニメにしてもサクサク展開するような構成が多くなったような気がする。
読書ではよく行間を読むという表現がある。
非言語性を含ませることで物語に味わいをもたせる手法でもある。
近年そういった行間を読ませるような物語が減った気がするのは自分が年をとったせいなのかもしれない。
2000年台初頭エヴァとかが流行っていた時代に『lain』というアニメがあった。
ネットが台頭してきた頃の作品であり、当時流行っていたネットにつながることで人格がどのように変化するかや、ネットに人格を取り込んでも自我が保てるかといった議論があった。
lainでは作画や音を聞かせるシーンが多い。
キャラクターの会話も少なく、独白が多い。
そのため視聴者は作品にのめり込みやすくなる。
またポプテピピックで紹介されていたが、『柳生一族の陰謀』に出演していた成田三樹夫さんの動画も行間を読ませている。
動画だけなのでストーリーは知らないが、それでも視聴者を引き込ませる演技力は素晴らしいものがある。
演技は古臭い技法ではあるが、それを差し引いてもあまりある演技力は感嘆の念をいだかせる。
歌舞伎ほどのっそりしていないがテンポよく、だけど含みをもたせた演技だ。
時代が加速しているならば今のテンポで育った人は逆に昔の作品は歌舞伎みたいにのっそりしているように感じるのかもしれない。
また行間を読むほど暇ではないのかもしれない。
簡単に得れる刺激が多いことがたくさんあり、ソシャゲ等に費やす時間が多いのも一因かもしれない。
またはただ単にこういった作品を知らないだけかもしれない。
情報や刺激が簡単に手に入る時代だからこそ、行間を読むようなゆとりや精神的な安定さがほしいところでもある。
また行間を読ませるような素晴らしい作品が注目をあびるような構造も必要だと思う。
特にアニメなどは一昔前の大量生産・大量消費になっている。
行き着く先は同じようなものを各社作るしかできなくなる。
家電等で海外に追い抜かれたようにアニメ等でもなりかねないとも思う。
非言語性を生み出す土壌はうちに籠もることだ。
人とあっていても話すのではなく、聞くことだ。
話すことで含みやタメといったものが一緒に放出される。
中にはいくらでも放出しても大丈夫な人がいるが、多くの人は無理だろう。
人間としての深みや精神的な重層感といったものは非言語性に依存している。
また人は話せば程度が悟られてしまう。
口数が少なければ自分をより大きく見せれる効果もある。
まぁ小手先の手段で多くは生み出せはしないけど。
指定ごみ袋について思う
コンビニで買物をしていると指定ごみ袋が棚に置かれていた。
市境になると2つや3つの市の指定ごみ袋をおいているところもあるらしい。
半透明であったり、黄色やピンクなどわかりやすく表示されている。
価格は普通のゴミ袋とは比較にならないほど高い。
建前としては高いゴミ袋代を設定することでごみ排出量の削減を行いつつ、ごみ処理コストも徴収するということだろう。
非常に市民をバカにしていると思う。
これは想像であるが、癒着と談合にまみれた制度だ。
指定ごみ袋を製造している会社は1社、もしくは2社となっている。
当然指定業者であり、それ以外の会社の参入はできない状態となっている。
業者は市からコンスタントに仕事をもらえてハッピーだ。
だから生産性やコスト性は度外視になる。
なぜなら指定なのだから何をしても価格転嫁可能だ。
表向きは袋のデザイン性や表示のためといえる。
実際は荒稼ぎをしているだけだ。
そもそもビニール袋を製造している業者はそれほど多くない。
当然指定業者になるにあたって談合があっただろう。
なぜなら狭い業界であるのだから皆顔見知りなのは当然である。
指定業者となれば市民から補填されるのだからいい。
指定業者から漏れたとしてもその企業の仕事の一部を肩代わりするなどやりようはいくらでもある。
行政にしてみれば指定ごみ袋を導入することで税収についても大幅にアップされる。
すでに市民税や消費税等を徴収している上に、指定ごみ袋代が追徴されているのだから当然である。
こういう話をすると大抵ごみ処理コストが出てくる。
しかしゴミを焼却処分すれば電気や温水ができる。
焼却場は電気や温水を売って儲けてもいる。
最終処分場等のコスト話も出てくる。
しかし本来市民税等の中から負担すべき話を市民に押し付けている。
行政は論点を変えているのだ。
指定ごみ袋を作る前に市民税を上げればはるかに低コストで賄うことができる。
指定ごみ袋をわざわざ制作する必要もないのだから。
指定ごみ袋を制作することで儲けたいやつがいると思われても当然だと思う。
癒着や談合があるのは当然だと思う。
そもそもゴミは燃やすのだから指定ごみ袋という存在自体が矛盾に満ちている。
あえていうがプラスティック等のゴミも大抵の自治体では発電するために燃やしている。
「燃やしているけど発電しているからリサイクルしてま~す」ということらしい。
実際は発電効率を良くするために可燃の特に生ゴミ等の分別は厳しくしている現状がある。
話がそれたが燃やすためのゴミ袋を制作し、高値で販売をして利益を上げるという行為自体道義上いかがなものかと思う。
しかも特定企業を使ってやるのは、独占禁止法を無視した行為だと思う。
コンビニ等ではビニール袋がついてくるし、多くの店では未だにビニール袋をつけている。
自然と貯まるビニール袋をゴミ袋として使用すればこれこそリサイクルとなる。
極端なことをいえばビニール袋でなくともいい。
紙袋やクリーニングに出した時についてくるビニールを縛って使ってもいい。
ようは袋になるものは何でもいいのだ。
もちろん耐久性はほしいところだが、収集車に投入されるまでの耐久性で十分だ。
またコストの大きなものにゴミ回収業者が挙げられる。
ゴミ回収業者も指定されている。
これは行政が地方の企業を存続させるための措置として行われている。
しかし多くは小さい業者で生産性が低い。
マンパワーを持たないし、小さい業者が集まれば当然それぞれに必要経費を払う必要が生じる。
生産性が低いのにコストは膨らんでいくのだ。
この21世紀のデジタル社会で、未だにゴミ収集場を運転手の感覚で回って回収するという非効率性の極みを行っている。
結構前に聞いた話で、ゴミ収集場を地図上にマッピングしていくと自動的に集配ルートを表示してくれるソフトがあると聞いた。
すでにJA等で配送するために導入されている。
たしかサイボウズだったと思う。
またゴミ収集車にセンサーをつければ各ゴミ収集場のゴミの量もデータ管理できる。
そうすれば大体どの程度回れば満杯になるかが自動的にわかる。
そういった情報が蓄積していけば収集コストの低減につながる。
またゴミの量が多い収集場が判明するため、啓蒙活動等を集中的に行うことが可能となる。
ゴミや産廃等にはやのつく怖い人達がたくさん関与しているというはなしがある。
与太話かもしれないがそんな話が出るくらい保守的な業界のひとつなんだろうと思う。
また多くの利権が絡み合っている。
改善する余地は非常に多いと思う。
まぁ自分のところは指定ごみ袋でないからいいけどね。
日大の対応をみて思う
日大が炎上しているので便乗記事でも書こうかと思った。
会見の対応等については散々他のところで書かれているので触れない。
自分この問題で思ったことをを書こうと思う。
そもそも自分はアメフトに関わらずスポーツが嫌いである。
eスポーツ以外のというのが適切な表現だが汗臭さがあるものが嫌いだ。
自分の高校はスポーツを売りにしていた高校だった。
専門高校ではなかったので自分は普通科にいた。
しかし学校行事ではスポーツにまつわる行事がいくつもあり、スポーツができるやつがいきがっていた。
スポーツマンシップということを大会で宣誓する。
しかし宣誓しなくてはならないほど非常識なことが行われていることの証でもある。
スポーツが苦手な生徒には暴言やボールの投げつけ等当たり前でもあった。
勝つことのみ考えており本来の楽しむことや協調性を育むという教育目標は放棄されていた。
人間の勝つことに対する醜態を間近で観察した。
他者への敬意や尊敬は踏みにじられスポーツができるという絶対軸によって女子からモテたりするという評価がくだされる。
スポーツができない人間は人でないのだ。
キモい生き物であり、見ているだけで不快という代物にすぎない。
スポーツの不祥事は日本の体育教育の実態が表面化したものにすぎない。
驚くに値しないし、普通のことである。
他者を如何にして踏みつけ自尊心を満たすかしか考えられない連中に社会常識や道徳心を説いたところで無意味である。
なぜならそれすらも彼らは利用するからだ。
そしてスポーツができるか否でしか評価基準がないため堂々としている。
当然である。
自分たちはスポーツができるという高等国民であるという自負があるからだ。
今回の事件の炎上拡大しているのはそんな自尊心が表面化したものに過ぎないと思った。
HOOTERSを利用して思ったこと
フーターズを利用して思ったことをつらつら書いてみる。
思ったことはメイドカフェのアメリカ番である。
日本だとアニメ等の切り口で飲食店でも客単価を出せる。
アメリカでは健康的なナイスバディーな女性という幻想を具現化させた店として成功したのだろう。
アメリカ特有のポジティブさを全面に出している。
日本では格安のキャバクラ的な印象をもった。
違うのは指名できないのと、自分から話しかけるという程度の違いだろう。
意外にも女性客もチラチラいたところだろう。
メディアでも露出があるので試しに入ってみたような印象があった。
自分は人が少ない時間帯に入店したがフーターズの衣装を着た女性に出迎えられた。
外人白人客と日本人客が半数ずついるような状況であった。
フーターズバーガーとバドワイザーを注文して店内を観察したが店員の露出が高いのと店内がアメリカチックな配色センスのないレンガ調の内装以外はメイドカフェと遜色ないと思った。
途中から6人くらいのインキャが入ってきてキャバクラ色が出てきた。
話しかければ愛想よく答える様が、キャバクラ嬢特有のタメ口と相まって一層そうみえた。
食事は値段の割には量が多かったが半分位ポテトだったので量だけである。
バーガーも雰囲気でなんとなく美味しく食べれた程度の代物にすぎない。
こういった形態の店舗は確かに日本から発祥するのは難しい。
日本の店舗との違いは行間を読むような曖昧さや非日常設定が求められる。
キャラになりきるというような非日常性というものを求めるような傾向があるような気がする。
内と外でいう外としての店舗の位置づけとなる。
アメリカでは外ではとにかくポジティブでなければならないという脅迫観念があるように思う。
そのため店員もポジティブに振る舞い、男は必ず女性にちょっかいを出さなくてはならないという観念が具現化したような店舗構成となっている。
日常でそうでなければならないというような理想をここでも求めらるような堅苦しさを感じた。
こういった形態の店が爆発的に増えないのは日本人特有のネガティブさというか、上記で述べたような店舗構成との差異に現れている。
よくいえばシャイであるが、店員と仲良く話せるようなフランクさがないとこの店は楽しめない。
逆に言えば大人数のときに居酒屋ではしゃげるようなタイプにはいい店だと思う。
なんだかんだ思ったが、おっぱいは偉大である。
揉みほぐしたいなぁ〜
そう思いつつ会計を済ませる。
しっかりとサービス料という名のおっぱい視聴料が徴収されていた。
よくできた店である。
正社員の責任回避傾向について思う
前回の記事で思考停止した人間について書いた。
正社員でも居場所がなくなりつつあることに言及した。
しかしそれでも亡くならない傾向がある。
責任回避傾向だ。
現在自分は大手にいる。
まともな職場、まともな人間、まともな労働環境という今の所恵まれている。
大手である以上さけて通れなこともある。
その一つが責任の所在についてだ。
すべての書類やメールがその責任を回避するために存在すると過言でないほど徹底されている。
何かしらの書類はすべて上司の承認を必要とする。
その書類もいろんなところを旅する過程でパスポートに押される入国許可印のように数人の印鑑が押されて返却される。
それから次の工程に進むことが可能となる。
メールについても必ず数人のccをつける。
何かをするにしてもすべて誰かしらの承諾や相談を必要とする。
しかしいざ問題が発生した場合、印鑑を押した人は責任を取ることはないだろう。
責任を取るのは現場担当者だけであり、その上司は重くて減給処分という扱いとなる。
特に問題となるのは複数の部署にまたがった仕事である。
誰か音頭をとる人間がいないと話が漂流船のように漂うだけとなる。
資源を浪費し成果を得られない。
そのせいでもあろう。
たまにすべての責任を人に押し付ける素晴らしい社会人に遭遇する。
ビシネスパーソンの鏡のような人物は報連相を徹底する。
そして私には責任はありませんという檻を形成するのだ。
自分は檻に入っているので安心となる。
檻の外にいる自分からみると見世物になってさぞかし気分がいいのだろうと想像するしかない。
来園者である自分はふと思う。
正社員ほどリスクを負う必要のない雇用形態はないのだと。
今の時代失敗しても最悪別に行けばいいのだ。
また昇進しても苦労が増えるだけで給与に反映されない。
しかし手っ取り早く昇進するならリスクを引き受けて成果を出しやすくなっている。
なぜなら誰もやろうとしていないのだから。
警察について思うこと
ストーカー殺人等が発生すると警察の介入について言及されることがある。
【すぐにわかる】羊たちの沈黙 独自解説 あの時レクター博士は何を言っていたのか The Silence of the Lambs review
羊たちの沈黙の解説で1時間43分ごろからFBIの学生が「女性を殺しているわ」と回答している。
警察的な答えで、動機なんて知ったこっちゃないという回答。
また犯罪が発生してからでないと動けないという回答をもらうことで、ストーカー被害者の相談に対応できなかったということで批判を浴びることもある。
警察とは本来秩序を維持する目的に設立された政府組織である。
警察の目的は政府に対して敵対的な人間や秩序を脅かす人間を社会から排除することである。
警察は市民の味方であるというプロパガンダが多用されている。
しかし元来警察は政府の犬である。
市民というのは政府にとって都合のいい人物であるという枕詞がつく。
そのため秩序を乱した人間は容疑者や犯罪者、テロリスト等さまざまな名前を与えられる。
ストーカー等の犯罪の兆候に対して警察が介入できないのは、秩序を乱した人間を排除するという警察の目的にそぐわないという側面があるからだ。
警察にとって最も大事なことは秩序の維持である。
犯罪が行われ、警察が解決すれば秩序の維持に果たす警察の役割が評価されることになる。
警察の信用度や善良さをアピールできる。
犯罪予防に対して警察は力を入れているように思われる。
しかし見回り活動等の外面だけの体裁を整えた程度のものでしかない。
見回りが犯罪抑制に効果を及ぼさないという研究結果も発表されている。
それは見回りをしていることにより、市民が安心してしまい予防措置を怠ることにも原因がある。
また犯罪者にしてみれば見回り時間を避けて行動したり、スーツを着ることで仕事帰り等を装うこともできる。
見回りしている人間に犯罪者か否かという判別がつくわけがない。
逆に害悪となっていることだってあるのだ。
警察が秩序の維持を目的としている組織である以上犯罪予防については自分たち一人ひとりが考えることが必要となる。
安心安全というのは一人ひとりの日々の取り組みによってなされるものであり、警察にまかせれば済むことではない。
被害に合わないように慎重に行動し、軽率なことをしない。
警察に予防措置ができる組織形態となっていないため期待するだけ無駄なのだ。
思考停止したマニュアル通りの接客について思う
記事では画一的な接客を蔑視する内容が書かれていた。
脳みそや相手を考慮しない接客を嫌がるのは自分も同意見だと思う。
しかしこの意見には多くの批判も寄せられていた。
エスパーのように相手を察知しろというのかという意見や安い賃金で労働している人間に高度なことを求めるなという意見もある。
批判をみていると老人がアルバイトに説教したりしているクレーマーと勘違いされる内容だと思った。
相手は自分にこうするのが当然だという意識を感じたのだと思う。
とはいえ思考停止の極みであることは自分も思う。
飲食店にて食券機で購入後店員に手渡すとする。
「以上でよろしいでしょうか?」
言われてもそうだとしか言いようがない。
食券機ですでに選択して購入済みであるのだから以上に決まっている。
メニュー表を見せるわけでもないため他に注文したいものも選択できる状態ではない。
一品増やすことで客単価をあげたいという店側の都合のみが反映されている。
または食券機を導入する前のマニュアルをそのまま使用しているのかもしれない。
他の例でいえばデニーズでとくにイラつくことがある。
複数のメニュー表をもってきた時にこれ見よがしに
「本日のおすすめはこちらになっております。」
と言われてペラペラのメニュー表を開いた状態で出してくる。
その商品についてかかれたメニュー表を正面にどかっとおいて、他の料理が載っているメニュー表は下の方に埋もれるのだ。
おすすめなのはメニュー表をみればわかることである。
わざわざ別のメニュー表を作ってまで宣伝していることもわかる。
とはいえファミレスには色んな料理があり、それを選ぶ楽しみもある。
店員の所業は選択を与えることを拒否する行為となっている。
俺は食いたいものを頼みたいんだと思ってしまう。
またおすすめ品は大抵高い。
そして注文をとったあとにわざわざ繰り返し、注文確認を客にとる。
そして最後に一言
「以上でよろしいでしょうか」
以上でよろしいので早く送信ボタン押せよ!と思う。
すべて平均客単価を上昇させるためである。
客の都合ではなく店の都合が全面に押し出している接客マニュアルなのだ。
客にしてみればおすすめ品を食べそこなったからといって特段困らない。
地団駄を踏んで悔しがることもない。
またほとんどの人はメニュー表の表紙からみる。
ペラペラのメニュー表は「なんだこの邪魔なものは」と思いながら見られるだろう。
そうでない人はすでに食べたいものを決めている人か飲みにきた人だろう。
店員のしていることは親切が過ぎるのである。
テレビを見る人が減っているのも延長線にある。
ワイプや大きな文字でコメントを強調する。
ニュースも懇切丁寧に視聴者に教えようとするスタンスはわかりやすさという面においては比類ないものだと思う。
しかし親切が過ぎ、くどいのだ。
制作するにあたり小学生を想定しているような構成であるためバカ以外は見なくなるのは当然である。
視聴者に寄り添うとかいいつつ実際は視聴者の知性を信頼していないのだ。
話がそれた。
思考停止した接客をもっておもてなしというのも来日した人々をバカにした話である。
どこを観光するにしろ観光客は同じことを思っている。
できるだけ細かいストレスなく、普段味わえないことを存分に味わいたいのだ。
マニュアル接客を受けて喜ぶわけはない。
実践されているかは別として、それはどこの国でも同じようにあるからだ。
「日本のサービスは押し付け、マニュアル通りの過剰なサービスを相手構わず押し付けて、おもてなしとかって悦に入ってる、迷惑なもの。
この人はこれを求めてる、求めてない、って判断して、相手によって臨機応変に対応を変えるのが、本当の良いサービスだろう…」
観光客が求めているのはその中でも店員とのふれあいだったり、マニュアルにない一言なのだ。
これは企業の効率性と炎上対策とは矛盾した話だ。
多くの企業はアルバイトやパートで店舗を回している。
そのため各々がマニュアルから外れた行為をされると炎上や企業イメージを傷つけかねないことに戦々恐々となっている。
一つの例としてスターバックスのアメリカ系アフリカ人客を逮捕した事件がある。
散々言われているのでぶり返さない。
他にもアルバイトの行為によって日本でもいくつもの事件が起きている。
結局アルバイトによって店舗運営されている企業はおもてなしできないのだ。
企業がアルバイトにそういった権限を認めない限りマニュアル接客を通すしかない。
しかし権限や工夫をみとめない風潮のある企業であれば、正社員だけの店だったとしてもおもてなしできない。
旅館やホテルといった施設にも今後大きな差ができるだろう。
また思考停止した人間は今後不必要な存在となるのは自明だろう。
2極化の原因の一つは思考停止した人間の働き口が低賃金のみとなってきていることにもある。
いつの時代もそうだが、工夫や向上心のもたない人間は落ちぶれる。
日本が衰退しているのもうなずける話だと思った。