NewsPickのさよならおっさん広告をみておっさんに思うこと
NewsPickの広告がちょっとした話題になっている。
広告としては成功したのかもしれない。
とはいえ電車の中吊り広告とか多方面に展開しているのでコスパは良くなさそうではある。
リベラル色が強くあまりみてはいないが、望月優大さんも藁人形の話を出しながらつまらない広告と言っている。
「おっさん」というコピーから「中高年の男性」を想起しない人がどれくらいいるのでしょうか。「年齢」や「性別」は人間の属性であり基本的に変更不可能なものです。「さよならおばさん」だったらどうでしょうか、「さよならおじいさん」だったらどうでしょうか。別の様々なカテゴリーで「さよならZZZ」の例を挙げていくこともできはしますがおぞましいので控えようと思います。
実態のない藁人形を作って燃やして喜ぶというのは「凝り固まったルールや価値観」そのものかなと思います。反復すべきでないものを、結局反復しているように感じますね。
この一文はまったくおっしゃる通りとしか言えない。
言うことがないので自分はおっさんについて思うことを書きます。
おっさんの社会的地位の低さは年々より低くなっている。
ネット社会に伴う情報の氾濫と既得権益の可視化、20年を越した失われた日本。
その原因がおっさんという言葉に詰まっている。
今まで社会を引っ張ってきたとされる存在はお荷物や障害として認知されている。
そして権威の失墜は体臭や服装のだらしなさ、ギャグセンスの古さといったことまで指摘されている。
しかし反するように社会はおっさんによって回っている。
仕事をすること自体が既得権益を得るための行為である。
そのため会社で地位が上がること自体年齢も上がり、収入も増大する。
一方でこれがさよならおばさんであったら炎上案件となる。
しかしおばさんという表現にも暗喩が込められている。
女性が年齢によって評価されていることや、思考が古臭いといったこと、加齢に伴う身体的老化現象の表面化といったことだ。
おばさんという表現にはマイナスの評価が多いことがわかる。
おっさんは既得権益等のプラス要素を包含しているが、おばさんにはそういった評価がすぐには出てこない。
おっさんはなってしまうものだが、おばさんはできる限り回避し続けるものと扱われている。
それは未だこの社会が女性を弱い者として扱っていることの現れでもある。
得るような権益を有していないことの現れでもある。
女性の社会進出が盛んに喧伝され、男女雇用機会均等法等の法整備も進んだ現代社会でも人々の思考を変化させるにはまだ足りていない。
実際には氷河期世代等多くの非正規雇用でありながらおっさんになっている人も数多くいる。
しかし彼らは自己責任のもとに不安定な環境に身を置き続けることになっている。
いつしか広告でさよならおばさんという広告が出ることが男女平等になった証なのかもしれない。