「悲観的なリアリスト」についてー『極東ブログ』より思うこと
人はなぜ不運を自分の能力の欠如だと思うのだろうか?: 極東ブログ
ハテナの人気エントリーにもランクインしていた記事である。
これを多くの方が読まれているということは自分と共感する人が非常に多いということでもあるのだろうと思う。
読んでいてぐうの音も出ないものがある。
例えば大学時代の政治学概論でA3の紙に書かれていた著ハンス・モーゲンソー『国際政治』がその一つだ。
一読しただけで雷に打たれたような感覚になり、納得するしかなくなるのだ。
なんとなく政治学を選んだのはこのA3の紙一枚のためだったということを運命として感じ取った一瞬だった。
当時1万2000円したハードカバー本をなけなしのお金を払って読んだものだ。
この記事を読んだときもぐうの音も出ないものだった。
これは言葉にできないがもやもやしたものがあって、それを言語化してくれた類のものだ。
納得しきりで飲み込むのに時間がかかった。
これにあれこれつけるのは全てが蛇足に思えて話が思いつかなかったためでもある。
あえて蛇足をここに書くこととする。
単純に解釈してこの話は完ぺき主義者と中二病の精神を無意識に持っているものに当てはまる話だと思った。
私は悲観的なリアリストとして、自分の運命は自分でコントロールできると意識の底で信じているから、自分の能力で対処できない不運まで自分の能力で対応しようとして、そして結局できないから、自分の能力の欠落だと思うようになってしまう。
冷静に考えてこのような話は自己を肥大化させたもので、到底ちっぽけな人間様の能力を遥かに超えたことをしようとしていると一般的に解釈することができると思った。
でも同時に人間様の欲はどこまでも深く、業に焼かれてもなくならないくらいはあると思う。
この能力の欠落を認めずに行くと精神がパンクしうつ病になると思った。
またこの能力の欠落は恋愛をしたくとも出会いがなかったりしてできないと悩んでいたりしている人とかにも当てはまる。
ずっと独身でいるつもり? | マイナビニュースには独身女性が陥りやすい自分を責めるような症状に対してアドバイスを何度も繰り返している。
駄目な自分に対して著者はそうではないという応対をただ繰り返している。
つまるところ運命を自分で変えられると無意識で思っているからこういった話は何度も出てくるのだろう。
仕事でうまくいかなかったり、家庭環境、プライベート等枚挙にいとまがない。
またオチの「不運のときは、いろいろ理屈を考えるより、しばらく時が過ぎるのを待ったほうがいいんじゃねくらいは思う。」というも当然ちゃあ当然の話だ。
不運を不運として受け入れられない人はそうするしかないのだろう。
宮本武蔵の話だと思った。
佐々木小次郎との決闘に赴くのに時間が余ったときのこと。
宮本武蔵は暇つぶしとして仮眠をとったとのこと。
眠れば何も考えなくてもいいのでつらいときはただ寝るのも一つの手段でもある。
まぁずっとは寝られないが突発的な行動を起こさないだけマシだと思う。
実際自分は就活で結果が出なかったときはとにかく寝てた。