私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

哀れみの目でみられる

転職して年齢層の高い会社に入った。

自分が一番若いということでほぼ全員が結婚している。

精神的に落ち着いているような人が多く、既婚者あるあるな話題がよく飛び交う。

自分は結婚どころか彼女すらできない。

そういった場では精神異常者だと思われているように思う。

仕事はできると自負している。

大体のことは一回で理解し、不明点はとりあえず自分で考えて、駄目なら人に聞くという柔軟性もある。

また業務について逆に質問されたりもするので入社して半年も経っていないが上出来だと思う。

とはいえ雑談のような共通した話題が少なすぎることは問題だと思っている。

 

しかしミリオタしかやっていない人間には酷な話でもある。

前職ではそういうやつと認知されていたのでまだいい。

社会不適合者の集まりである会社だったから問題はなかった。

とはいえ今回はそうはいかなかった。

既婚者で普通の家庭を営んでいるまぁまぁな幸せを送っている人たちだ。

既婚者たちの幸せ要求は自分より高いレベルにあるが、その人達にしてみれば当然だと思うのだろう。

既婚者同士の常識というのもある。

相手がどういう人間であるのかを子供という共通項でうかがいしることができるからだ。

だが年が5歳以上離れた若い独身だと共通項がない。

ほぼ全員が既婚者であったため自分は異質な人間となる。

子供とどう接したらいいかわからない親みたいな目でみてくる。

自分にとっては哀れんでいるように思う。

彼女もいなく人生の何を楽しんで生きているのだろうと思われているようで不快になる。

 

自分自身は結構人生を謳歌していると思っている。

他者から見ればつまらないと思うだろう。

とはいえ自分としては生まれ変わってやり直したいと思わない程度には充実している。

後悔がないわけではないが、それも人生と思える程度であるだけいいとも思っている。

キャパシディがないため自分のことでいっぱいである。

だから楽しめるんだと思う。

しかし他者から見ればつまらないのだろう。

充実した恋愛を通じた結婚という一つの理想がある。

恋愛をすれば自分自身の成長にもなるというのは一つの事実としてある。

そういったことをしてこなかった人間はその分成長できていない子供という扱いになってしまう。

恋愛を中心に置くかどうかで価値観が変わってしまうので自分としてはどうにもならないことだと割り切っているけど感情としては不満がある。

恋愛以外を充実させてきた自分にとってみれば、恋愛は最後にやり残した遊びに近い。

既婚者たちは恋愛をやって結婚してしまったがばかりに他にやりたいことをいくつも残しているように思う。

恋愛以外でも人は成長できるということを知らないのだろうかと思う。

恋愛至上主義という梅毒に汚染された思考のほうが哀れにも思う。

 

とはいえ現実として自分は恋愛ができなかった奴である。

できていて当然という連中をみるのは辛いものがある。

人として当然とされているような常識というものを理解し得ない気持ちはわからないだろう。

結婚していればわかるようなことがわからない。

子供向け番組をみることもないし、家族でショッピングモールに行くこともない。

子供が熱を出して大変とか、学校での困ったことなぞ知る由もない。

自分が社会から孤立していることをつくづく思い知らされる。

そしてまた子供とどう接したらいいかわからない親みたいな目でみてくる。

孤立しているのは構わないが、仕事をする以上寂しいという感情が露呈することは避けられない。

人の温かみの喪失感を味わう。

自分を大事に思ってくれる異性がいない。

守りたいという家族がいない。

哀れみの目を感じる。

哀れみの目の正体は自分自身なのかもしれない。

だがどうにもならない。

婚活に資源を投入しても得るものがなく、袋小路に入っている。

ミリオタ以外にやりたいことがない。

社内恋愛も絶望的だとすると手段がないと思う。

最後にやり残したことがあまりにも複雑すぎる。

真面目であることでの弊害

真面目で誠実な男はつまらないと言われたり、表情から察することができる。

それが行き過ぎると相手がよそよそしい態度で接してくる。

まるで危険物のような扱いもされる。

自分がなにかしたわけでもないのに、相手がそういう態度を取ることで腹が立つのは人として当然だと思う。

人として正当な扱いをされていないことに怒りを覚えるのは当然だ。

 

真面目であることで面白みがないとも言われる。

お前が面白くないだろと思う。

自分の人生を自分で面白くできないやつに面白さの何がわかるんだと思う。

馬鹿だなと思う。

池にいる鯉のように馬鹿面晒してパクパクしているように滑稽でもある。

誰かが提供した面白いという餌を食うだけのやつに何がわかるんだと思う。

だが世の中そういった自分を棚に上げる人間が多い。

そのため実害も被るハメになる。

婚活が進まない原因もそんなところにある。

年収500万以上でルックスがよく、話が面白いやつがいたらそもそも婚活すらしていないだろう。

そんなことも理解できないのかと思う。

結婚とは普段の生活の延長上にあるものだ。

面白さが常時必要なわけでもない。

夫婦として生活していく上で面白さといった諸々は培っていくものだと思う。

その前提を覆して最初から求めるのは無理な相談だと思う。

 

会話をしていくなかで真面目さが出てくる。

そうすると相手はつまらないやつという評価を下す。

相手が途端にこちらに興味をなくし始め、心が離れていくのを感じる。

何十回と繰り返した作業でもある。

女は男の見る目がないんじゃないかと思う。

よく社会不適合者やチャラいやつがモテたりするのもそういったところにあると思う。

日本では真面目なやつはバカにされる対象でもある。

ただひたむきに生きているやつを馬鹿にするという精神構造は理解を絶する。

本気で生きたことがない、ぬるま湯に浸かっているから馬鹿にできるんだと思う。

そういう奴らは皆死ねばいいと思う。

そっちのほうが世の中のためだと思う。

婚活の愚痴

婚活をしていて思うことがいくつかある。

婚活アドバイザー存在などが現在の婚活における各種サービスというものと、実際の婚活を行っている人間のスキルに対して適切なアプローチができてるとは言い難い現状がある。

その原因の一つは婚活をする人間が バリエーションにとんでいることもあげられる。

均一化したサービスを行うにあたって企業は低い人間の底上げをすることに対して重点を置くことになり、社会人として最低限必要とされる身だしなみやスキルやトークといったスキルを向上させることに重点を置くことになる。

最低限の身だしなみを整えることもできない人間が婚活市場に参入する一方で、すでにできている人は自らのファッションスキル等を高めている人間にとって不要なサービスとなる。

そういう普通な人にとって婚活をしていくうえにおいて婚活アドバイザーという人たちやサイト運営にとって明確な支援ができていない現状がある。

基本的に総当たり方式であり、あった人と合わなかった人を見分けたりするシステムはない。

フィードバックがないまま数多くの人間とあい、そして数多くの人からダメ出しをうける婚活疲れという現象は広く認知されるところとなった。

こういった現状を改善するにはもはや現状では改善が難しい。

いっそうのこと星占いや星座占いといった神に頼るようなものによって婚活をすることが最適なような気がする。

人がいつ出会ったり、親密になることはわからない。

これには運が必要となる。

当然その人にもっている運や運命などは目に見えない。

神の見えざる手によって動かされている部分があることは否定できない。

このアプローチは婚活業者にとって望ましいものではない。

婚活乗車にとっては短く成婚退会してもらうことは重要なことではある。

しかし太い客を引き止めておくことも重要である。

常にその企業を利用してもらうことが婚活業者にとって重要なのだ。

これが最善である以上特に大手は野放しな状態になる。

自分自身の婚活の状況を思うに、去年と違い今年はかなり多くの人とを出会うことができた。

そして有益な情報や気づきをえることができた。

流れが確実に良い方向へと変化していることを感じている。

それは自分の星占いの結果であり、今後3年間家庭を作るにあたって最善な年である。

多くの人がいつ終わるともしれない婚活にかなり神経を注いでいる。

労力や時間と金銭面において多くの負担を強いられながらもやっていることは総当たりでしかない。

この現状は21世紀において昭和のような非効率性の塊でもある。

 

医療業界等においてIAが使われつつある。

実験的にIAが患者を診断し、その結果は時として医師の診断結果を上回る結果をもたらしている。

現在婚活において入会時にいくつかの質問に答えることによって、利用者がどんな人と会うかという方式が取られている。

これをさらに発展させ、IAに引き継ぐことによって明確な結果が得られるだろう。

それは明確にこの人と合うという結果として現れる。

それは本人にとっていい結果であるかはわからない。

だが婚活を始めるにあたって多くの人は希望を持って参加する。

そのため理想を高く持つ傾向がある。

相手を選ぶという行為自体に婚活の難しさがある。

誰がいいか、わるいかをたった数時間で決めることほど難しいことはない。

最初は30分1時間の面談で評価され、一回~三回あってく中で評価され続ける。

そのような短時間で相手の何がわかるのだろうか。

まして相手を評価する際にはどうしてもマイナス面が強調される。

評価をされている場面でミスをせずに好意的な行動ができる人物は非常に少ない。

もはやサイコロを振ったほうがいい結果が得られるかもしれない。

30分程度の面談で相手のことがわからない以上、入会時における質問の回答によってIAが自動的に選別するほうが確率があがる。

それは「よりよい結婚」という婚活の最終目標に到達できる。

これは婚活業者にとっても顧客満足度の増加に繋がる。

また良い結婚をしたという評判は顧客を増やすネタとなる。

早期退会により継続費用を稼ぐことは難しくなる。

しかし管理費の圧縮やアドバイザーの不要化、完全に少人数の運用が可能となり、店舗を保つ必要もなくなるかもしれない。

そうなると巷にあふれている婚活サイトと一緒になる。

しかしアプリと同列に並んだとしてもアプリ会社は得体のしれないものであり、信用度においては店舗を持っていた大手が有利となる。

婚活産業が信頼性を重視される業界である以上、大手が店舗を廃してサイトに特化したというニュースは新規顧客にとって安心して利用できる。

婚活アドバイザーの位置づけが不透明であり、人によって質のばらつきがあり、利用者の結果に対する評価やアドバイスの仕方というものも一定ではない。

これは人間同士である以上評価がブレるのは当然である。

そして定量化し、数値化することの難しさに拍車をかけている。

このようなぬるま湯につかったいかにも昭和的な業界である。

そのため大金を投じて利用者は報われることがない。

運の要素もあるが、IAによって婚活市場が明るくなることは想像にかたくない。

人間の出会いというものを機械によって行うことの心理的な抵抗感は非常に大きいものと予想される。

とはいえ元来出会いというものは神の見えざる手によって行われているのである。

それは人は本来介入する余地が小さいものである。

昭和においては会社の上司や世話好きな親類や近所の人が婚活業者の代行を務めていた。

現在では婚活業者によって行われている

とはいえ大事なことは相手を紹介することであり、気のあった人と結婚というゴールに向かって進むことこれがどの婚活の形態をとったとしても大事なことである。

今後IAによってさまざまな分野に浸透し、豊かな社会を創造するだろう。

そのような中においてIAを導入せず、人同士の関わりを重視するような経営は危うくなるだろう。

婚活の成婚率は10%といわれている。

この数字はあまりにも低い結果であるが、総当たりである以上この数字を上げることは難しい。

なにより利用者自身の婚活に対する知識や意欲の差等によって、本来合っているというような人同士が結びつかないということも現れるからだ。

よりよい高い目標や大金を投じたことにより判断能力がおかしくなる。

主観に基づく選択でしかない。

たかだか10時間に満たないような出会いで結婚をしなければならないという状況が普通の状態ではない。

これは極めて異常であり、この方法自体も異常である。

それをIAを利用することで少しでも確率をあげられるというのであれば、婚活業界においてターニングポイントなる。

金融業界においてお金が動いている以上、人がかかわらなければならないと思われている業界においてもIAによる自動売買が行われている。

そしてトレーダーよりも多くの資金を運用したり、成果を上げてもいる。

どちらかがいいということではなく、両方できれば一番望ましい。

しかし婚活業界はあまりにも知識と経験というものに重点を置きすぎている。

経験に基づきアドバイスをするという行為自体が、アドバイザーによってアドバイスの方法が変化する。

人間同士である以上、合う合わないということもありこういった部分も含めて運の要素が強すぎる。

何十万という金額を投入し得られるサービスと結果があまりにも伴っていない。

初期投資で20万~30万という成婚退会をすぐにしたとしてかかってしまう。

この金額は安い中古車が買えてしまう金額であり、一ヶ月の給与分を払っていることにもなる。

このような膨大な金額を投じて得られるリターンの少なさには呆れるばかりである。

なにより婚活業界における実際の成婚退会者数は10%いっているかも怪しいのだ。

多くの企業は在籍者数と何人成婚退会したかという数字を出すとこは少ない。

どちらか一方か、自ら作った数字を公表しているにすぎないのだ。

これでは比較検討もできない。

利用者に対して不備を強いて、利益を上げることのみに血なまこになっているような業界であり腐っている。

綺麗事を述べているが実際は薄汚いろくでなしがはびこっている。

そのような業界であるが、登録してくる人はよくいえば擦れてない人が多いのかもしれない。

婚活アドバイザーの言う通りに行動し金をさらに巻き上げられる。

何かのセミナーに参加したり、自分磨きをしたり大して面白く思っていない趣味サークルに参加する人もいるだろう。

方法はまちまちではあるが婚活だけに頼らない方法を取らざる負えない。

時間と労力と資金がガリガリ削れていき、さらに仕事をしている。

いっそうの事ディストピアの世界のようなIAによってどの人が結婚するかを予め決定しておくおさなごのような制度のほうがマシな気がしてくる。

しかし現代日本は民主主義国家であり、結婚相手は自由に選択できる社会である。

それはいい結果をもたらす人間とそうでない人間とにわかれる。

人間には得意と不得意があり、得意な人げにとってみればパラダイスだろう。

多くの女性や男性を捕まえたりして人生を謳歌することができる。

だが婚活以外のスキルがいかに高くても、対人スキルが乏しい人も数多く存在する。

そういう人間にとって見れば自由恋愛市場というものはコンプレックスを増大させ自己否定に走る元凶となる。

ここではクズのほうが有利となり、真面目である方が不利となる。

恋愛に長けている人間は恋愛だけをしてきている人が多い。

社会不適合者がモテることが多い。

逆転可能という聞こえがいい言葉もあるが、真面目に生きてきた人間が報われないというのはキリスト教における受難に耐える信者のような心境になる。

苦難の先に明るい希望があるかというと基本的にそんなものはない。

報われない人間はいつまでも報われずそして否定され続けるのだ。

顔が悪い、ルックスが悪い、年収が低い、コミュニケーション能力にかけている、ココが駄目、あれが駄目、しかも何が駄目なのかもよくわからないまま何十人と総当たりを行う。

時間が1年二年と経っていき、自分の年齢が結婚適齢期の限界に近づいていくのだ。

そこに更に焦りをおぼえる。

このような現状を打開するにはより効率的なシステムの導入が早急に求められる。

婚活業界における、料金体系もおかしい。

ただの成果主義でもなく、月額使用料を高くしているところもある。

こういった料金体系では成婚させるというインセンティブに乏しくなる。

婚活業者は会員数を増やすことによって自らの利益を拡大させることになり、成婚退会に導こうとする意識かけるだろう。

完全な成果主義であればより多くの婚活業者が真剣に行うであろう。

しかし最後の決め台詞は出会いはいつ訪れるかわからないためできないのだろう。

そうであるならば婚活アドバイザーは不要である。

必要なのは当人同士がいかにあっているかという客観的に示すデータだ。

指標を基に両者が会ってみればいいのだ。

婚活産業は今後も成長が見込まれている。

とはいえこれから同じことをし続けることはできない。

なにより過当競争化している。

一歩抜き出るためにも運用人数の削減やコストパフォマンスの改善、成婚率の増加が求められる。

他の業界とは違い率が低いのだから、2倍、3倍も可能となる。

一歩抜きん出きることにより堂々と数字をあげることもできる。

そして多くの入会者を獲得することも可能となる。

企業の存続のためにもIAの導入はしてほしいと思った。

ワキガ製品広告の酷さに思う

突然だが自分はワキガである。

正確に言うと軽度のワキガである。

何故かといえば耳はいつも湿っているし、自分自身で体臭も臭いと感じる。

また下着をきちんと洗っていても脇のところの臭いがいつの間にか取れなくなっている。

周りの人は相当感じているのだと思う。

とはいえ自覚しているので対策としてアックスの制汗剤スプレーとロールオンタイプのドラッグストアで売っているようなものを使用している。

外出する際にはさらに脇汗パットも使用している。

スーツ等に臭いや汗が移らないような対策をしている。

 

さすがに面倒になってきたためワキガ対策用品がほしくなってきた。

ネットで検索するとろくでもないものが多い気がする。

実際に効果があるものもたくさんあると思われる。

だが広告合戦が激しすぎる。

大体の高価な商品は独自のサイトのみで販売しているものが多い。

写真を多く使い、いかに効果があるかを喧伝し、内容が薄いようなサイトや魅せ方を自分では楽天方式と呼んでいる。

実に醜く、本当に何がいいのかわからない。

これはいいんじゃないかという程度しかわからない。

また別のサイトではこの製品だけはやめたほうがいいという対抗企業よるアンチマーケティングも行われている。

実際に使ってみたという消費者の目線からこれはいかにわるいかということを羅列している。

最後にいい商品として自社製品をおすすめしている。

本当に善意で書いた人もいるのかもしれない。

とはいえ多くのものが企業が作ったものやアフィ物乞いによるサイトだらけだ。

そのせいで消費者側は非常にわかりにくい。

 

こういった商品はなぜかアマゾンにはでてこない。

あったとしても評価レビューは荒らされている。

一ヶ月使用して5000円から1万円をこす製品もある。

なによりも独自のサイトを使用して販売しているに過ぎず、実際に価格競争にさらされているような商品ではない。

販売業者が設定している価格に過ぎず、実際に市場競争にさらされていない以上妥当性を検証できない。

 

ワキガ対策にとどまらず育毛製品とかでも発生している。

医療系に近い業界では往々にして起こっているような気がする。

泥の投げ合いが横行しているせいで消費者側に本当の情報が伝わりにくくなる。

そしてgoogleの検索対策をしているせいで余計に伝わりにくくなっている。

結果今のところ自分はこのままでいいかと思っている。

策略に乗るような気がして嫌になってしまう。

労働賃金が上昇しない理由

毎年春闘が実施され、大手の賃金上昇の結果が報道されている。

日本では特に年一回のこの春闘が大事であり、自分の努力だけではどうにもならない賃金体系という根本部分を上げてくれるということで評価されている。

とはいえこれだけ社会が発展してきてgoogle等の会社では社員数自体が少なくなってきている。

日本の労働環境も変化し続けており、昔ほど人数を必要としていない会社も多くなってきている。

これは労働力を馬力として考えていた時代ではなくなってきたことにある。

つまり1人区=いくらという公式があてはまらなくなりつつある。

社会が多様化していくなかでこういった形態をもった企業も多くあるだろう。

だがしかし労働にかんしては今も昔と殆ど変わっていない。

工事現場やIT業界等は未だに1人区=いくらで計算されている。

また見積もりを見る側もそのように見ている。

しかしこのことが賃金上昇を阻害している要因だと思う。

1人区=いくらとして決めてしまうと労働者の給与もその範囲から逸脱することができない。

必然1人区=いくらで決めてしまっているため、多く人数をかければいいものができるという考え方にもなる。

その結果短期間に多くの人数を投入してすばやく仕事を完結させるような無茶な要求を飲まざる負えなくなる状況も発生する。

労働人口が減少しておりどこの業界でも人手不足が叫ばれている。

しかしよくみてみると多くは1人区=いくらという考えに縛られた業界が多い。

もちろん派遣等を使って仕事をするような工場等の仕事は1人区=いくらでいいだろう。

しかしもっと成果物料金体系へ移行する必要があると思う。

 

古い話になるが下記の話題があった。

blog.tinect.jp

人工減少に伴う経済の縮小や年金等の問題について世間で言われていることに疑問を投げかけている記事である。

1人区=いくらの発想は役所にも蔓延している。

とくに世界的に有名な戦略家を日本に呼んで講演させても1人区=いくらという金額を払うという馬鹿げた話だ。

こういった人たちは一回の講演で100万単位という金額になる。

これはブランド品を購入するのと同じ感覚だと思えばわかりやすい。

その人が話をするという付加価値がある。

だからこそ多くの人がお金を払っても講演会に来るのだ。

賛否はあれどyoutuberという存在も付加価値に特化したものだろう。

その人のキャラクター性に多くの人が興味を持ち、投げ銭等を行う。

クリエイティブというのは全く新しいものを想像するのではなく、既存のものをいくつか合わせて付加価値をつけることも意味している。

建設業界やIT業界等本来付加価値をつけることができる業界であると思う。

1人区=いくらという発想で今後も企業を経営しようとすれば限界が来ると思う。

なぜなら人材を確保しようとすれば多くの賃金を支払う必要がある。

しかし1人区=いくらと売価を決定してしまえば利益が圧縮されてしまう。

企業にとって必要なことは永続性であり、その源は利益を投資に回すことで生まれる。

利益をあげることができなければジリ貧になるのは当然である。

そういった企業はどんどん廃業していくだろう。

日本のほとんどの企業は中小企業であり、一人親方という自営業者も多い。

多重構造は中間マージンが多く利益を減らしていく元凶ともなる。

1人区=いくらという料金体系から脱却をはかることで、自社でできることを増やせる。

それは資金の流出を防ぐとともに、人材の育成もできる。

そして自社ブランド構築の第一歩となる。

日本は長い間のデフレを経験してきた。

だからこそ転換を図らなければ今後企業の存続も社員の雇用も難しくなってくるだろう。

こういった意味でも今後労働者の2極化は止まらないと思う。

労働者も企業に雇われているというだけではなく、市場等の動向をみて自らの立場を柔軟に変化させることが求めれると思う。

 

ホストからみる自信についての雑感


現代ホスト界の帝王が語るブスの定義とは?ROLAND-完全密着- vol.012」 [KG-PRODUCE]

 

YOUTUBEみていたら検索に引っかかってみていた。

とにかく自分大好き人間であることが伝わってくる。

自信に満ち溢れた姿に女性はときめきを感じるのかもしれない。

女は自分が最高だと思っている男に惚れるような気がする。

自分に自信がないために自信のある人をみると惹かれるものがあるんだと思う。

よくDV男とか社会不適合者とかに惹かれるのは女が受動的な立場にいたいと思っているからなのかもしれない。

自信は自然と沸きあがあるものではない。

最初から持っている人がいる一方で多くの人は試行錯誤しながら身につける後天的なものだ。

そのため人生で色んな経験を自らの糧とできるようにアンテナをはり、チャレンジしていくことが自信につながると思う。

だが女性だからという制約によってしなかったりするのは結局自信にはならない。

失敗して反省し積み重ねや気付きによって自信は生まれてくる。

自信のある人にくっついていても自分にはついてこないのだ。

まぁこういうのは男にも言えるけど…

婚活について

もうどうしたらいいか分からない。

3年近くしているが成果はあがらない。

同じことをバカの一つ覚えのように繰り返すだけだ。

 

30歳 、年収についてはどうにもできない。

400あるが婚活市場ではスタートラインまたは足切りラインに過ぎない。

顔や身長についても同様である。

清潔感については気を使っている。

服はジャケットにYシャツ、チノパンを着ている。

歯並びは矯正できなかったので見た目は悪いが、定期的に歯石除去をしている。

髪はワックスとか使用してはいないけど、美容院で切ってもらっている。

腋にの匂いを抑えるためにデオドラントを塗り、スプレーもかける。

コミュニケーション能力は正直低い。

とはいえ話すことができないほどひどくはない。

相手に質問したり、できる限り話を広げようとはする。

しかし相手にとっては低次元の話と言われればぐうの音も出ない。

太っていなければ基本的に会うようにしている。

後は養子は断る。

条件はルックスもふまえても少ない。

 

世の中報われないことが多い。

報われないことが通常ではある。

とはいえ何かためになったということはなく経験値は全く貯まらない。

人によって見る視点が違う。

結局何が悪いとかない。

運がないことに全ての元凶がある。

金をかけた博打をしているに過ぎない。

 

自分は他者より劣っている。

ルックスとかコミュニケーション能力とか他者と関わるものに関して劣っている。

その代わり仕事において優秀さを発揮する。

トップに立つ器ではないが、2番手として部下の教育も含めて評価されている。

しかし便利なおっさんに過ぎない。

優秀だと評価されても、いざいなくなったとしても致命傷とはならない。

不満は噴出するだろうが業務が停止するには至らない。

人には得手不得手がある。

たまたま自分は恋愛といったことが苦手であった。

苦手を克服しても平均以下で終わるだけだろう。

全く自分がコミュニケーションを上手にできるイメージがわかない。

婚活をしないほうが人生が豊かになるような気がする。

プライベートの多くの時間と労力を投じて精魂尽き果てる。

とはいえ便利な道具として終わるのは寂しい。

誰かに必要とされたいし、誰かの必要とされたい。