仕事での苦労について
仕事での苦労は買ってでもしろという言葉がある。
多くの人は仕事で苦労することが美徳だと思っている。
だが苦労の多くは無駄によって構成されている。
本人の技量不足や工程管理の不備、作業での不備等のアクシデントから発生する。
自分も仕事で多くの苦労をしたが、振り返ってその苦労が良かったというとそうとは言えない。
勿論そのことによって自信につながるところもある。
しかしその苦労を後輩にさせる必要はない。
多くの場合苦労とは事前に防げる。
勉強会や工程調整等によって解決出来る。
必要なことは苦労をさせない環境を構築することにある。
そのことによって無駄がなくなりコスト削減になる。
苦労する環境を作らせないのがマネジメントなのだ。
パートナーエージェントでの婚活
2年ほどパートナーエージェントにて婚活していた。
今年中をもって退会することにした。
転職の関係で表示される年収が低く設定されるためだ。
月収が出た段階で12ヶ月かけて表示。
ボーナスが出るたび加算されるためだ。
そのため最初の一ヶ月は収入ゼロとなるし、半年くらいは300万円台での表示となる。
女にとって年収というのは一番気になるところであり、そこで選別される。
月12000円払っているにも関わらずこのような対応をされたため退会となった。
また他にも数ヶ月に一回あるとされた面談も最初の3ヶ月後の一回のみだった。
紹介は最低月2人以上であったので満たしてはいたが、お見合いすら成立することが難しく数ヶ月に一回合う程度でお付き合いというと半年に一人というペースだった。
結局3人ほどとお付き合いとなったが、担当者一人に100人近くの顧客を抱えているためこちらから質問する形式である。
また紹介の段階でお断りされることもあるが、何故そうなったのかということも面談をしていないのでわからずじまいであった。
担当者と合うのも面倒になったため電話すらしなかった。
それがいいかは別問題ではあるが総額パートナーエージェントに40万円弱支払いなんの成果もえることができずに退会となった。
今時40万円をドブに捨てるような無意味な行為を容認する産業が存在することに驚く。
非効率極まりない産業だし、性格診断程度で相性を割り出すというのももっとやりようがいくらでもあると思った。
大金を払って成果が確実にでるか保証されないというのはほかにはギャンブルくらいではないだろうか。
多くの時間を使い交通費等経費を使ってその程度だった。
今は別の結婚相談所に登録した。
今度は成功報酬20万円のところなので成果に期待したい。
何より一番の悲劇はそんな産業に頼らざるおえない我が身なのかもしれない。
会社員として不必要なこと
常識、むしろ自らを常識の塊として考える
いわれたことに疑問を持つ知性
必要なもの
言われたことに対して疑問を一切抱かずに遂行する
無制限の体力、気力
一つのことについての報告の徹底
結婚相談所で相手を探す難しさ
できない理由はいくつもある。
結婚相談所という制度もその一つだと思う。
年齢、収入、容姿と検索できることによって選択肢が狭まる。
そこから自分と合う合わないといったフィーリングと試験をいくつも経る必要がある。
いくつも試験を受け初めて成し遂げられる。だが普通にであって結婚した同士が結婚相談所で結婚できると思えない。
友人からの紹介、趣味で出会って仲良くなったとか相手と結びつける共通項目があったから可能だったのだ。
結婚相談所ではそういうことが排除され、本人のスペックで決まる。
男なら収入、女なら容姿となる。
しかし結婚し、何十年と連れ添う相手を収入と容姿で決めるのは無理がある。
収入はその会社が潰れたり体を壊さない前提となる。
容姿も今の状況でそうであるに過ぎない。
残酷かな年齢を重ねるとよほど努力しないと劣化する。
年齢や容姿といった要因で結婚した場合、もしその前提が崩れた時に離婚するという恐怖もある。
大概の人にとって自分のスペックに自信はない。
結婚相談所で相手を探すのは自らの市場価値と価値を失っても相手が自分と寄り添う覚悟があるかという不確実性という両面から追い詰められる。
一人で生きていくのには限界
一人で生きていくのに限界が来ている。
転職するにも別の世界にふれておく必要があるが、友人でもいないと機会がない。
社交的な人間ではないので自然うちにこもってしまう。
友人を作ることも難しい。
話はするが友人とまではいかない。
世界は広いのだから多くの人と触れ合う機会を設ける必要はあるが難しい。
包装についてアマゾンと日本企業の考え方の違い
よくアマゾンで買い物をしていると小さいものに大きなダンボールで包装してくる。
面積の半分以上が空のときもある。
これはアマゾンがダンボールを6個程度揃えてやりくりしていることから発生している。
一般的な日本企業であれば無駄をなくすということでさらに多くの種類のダンボールを用意し無駄削減運動をするだろう。
確かにそれによって紙の節約、運送費の削減ができるだろう。
だが一方で手間をかけたことにより人件費や工程が増える。
もう一方でコピー用紙の再生紙利用がある。
片面印刷の用紙の裏面をコピー機に入れて使うというものだ。
コピー用紙の節約をするために行われているが、一方で紙詰まり、故障の原因ともなる。
ひどい会社になるとコピー機が一台しかないためいちいち紙の入れ替えをしている企業もある。
紙の削減のために多くの人件費を費やしているのだ。
多くの日本企業ではトータルコストの概念が希薄だ。
従業員の労力はタダという概念があるためだ。
給料を払っている固定費だからこき使うという考え方だ。
しかし結果としてコストは上昇している。
紙の削減に代表されるように数値化できるコストは意識される。
だが本当に改善しなけれならないのは固定費であり、数値化できない部分なのだ。
これは人事制度にも問題がある。
社員を評価する際の指標として数値化した削減や目標を基準にした評価制度では数値化できない部分は放置される。
さらに問題なのはそういった無駄が積み重なるとそれが企業文化として定着する。
現場ではトータルコストとしてマイナスであるにも関わらずしなければならない作業がある。
先程述べたコピー用紙の入れ替えを怠ったとした場合注意を受ける。
それでも改善しなければアイツはコピー用紙の無駄遣いをしていると評価される。
仮に指摘したとして皆やっていることとかコピー用紙のコストの説明をされる。
備品のコスト上昇に対して人事部から指摘を受けたとき、説明しても社長が許さないとか言い訳されるのだ。
マネジメントやコスト意識のベクトルがズレていることから発生する問題。
結局一番金がかかるのは人手なのだ。