私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

無口でもいいんじゃない~

私は特にそう思うのだが、話せば話すほど自分の馬鹿さ加減と無知や無能であることを露呈することだと思う。

人と話をしていて相手を傷つけることはよくあることである。

人生観として思うのは100のやさしさより一つの悪口や嫌がられることのほうがよく覚えられるということだ。

相手を傷つける行為は後になって評価として表れ、実害を被ることもある。

私自身相手に対する興味が薄い。

目を合わせて会話することができないため、話をするときは視線が明後日の方向に向いていることが常だ。

だから相手の印象や変化を感じることが難しいし、髪切ったという話題は最も苦手なものだ。

よって誰かと話すると相手の印象をあまり覚えていないことや目を合わせて会話できないことから相手の話をあまり聞いていない。

そこから見当違いな発言がでてくるのだ。

こういった人はむしろ無口である方が楽であるし、被害も少なく済むと思う。

下手な会話習得術でも身につけたら大惨事間違いなしだ。

 

ただ一つ大きな問題は相手に自分の印象が残らないことである。