香港デモをみた雑感
天安門事件から30年という節目に起きた事件として世界史に記録されるだろう。
米中覇権戦争になりつつある中での象徴的な事件として記録される。
日本ではバランシングのように米国と中国と両方にいい顔をしようとする動きもあった。
特に経団連を連れて中国に行ったことは米国側に誤解を招く行動であった。
また日中の尖閣諸島を巡る攻防でも日本国内に数多くの親中派が外交という対話での解決を求めていた。
だが今回の事件によって対外的に交渉による帰結を見せつける結果となった。
どんなに綺麗事を述べたとしてもネットに溢れる動画によって中国の行動に弁解が効かない状況となっている。
今まで覇権を維持してきた米国のやり方に物申したい国は多い。
しかしそれ以上に新覇権国となった中国に従った場合の遇しかたを見ると中国に最後まで従う国はほとんどいなくなるだろう。
中国が覇権をとるのに必要な行動は米国よりもより良い未来像を魅せることだ。
だが今回の行動は独裁国家にとっては頼もしくうつる。
だがそれ以外には希望をなくす行動であった。
これ以外にも中国の行動は既に多くの国で反発を受けている。
一帯一路でスリランカなどの国に対して多額の経済援助をした。
しかし同時に港湾施設の99年間の賃借を締結する契約もあった。
この行動はかつてイギリスが香港を租借地にするために使った手をそのままスリランカに適用しただけである。
またアフリカなどで中国資本による工事を行うために本国から大量に中国人を連れてきて仕事をする。
そのため現地に資金が投下されない。
他国に土地で中国から資金を与えて工事をし、売上のほぼ全てを中国にもどしている結果となっている。
技術の習得や資本の恩恵を受けることができない挙げ句に環境破壊までしているため現地では中国人との衝突もおこっている。
こういった発展途上国に対する援助は現地では問題となっているが政府まで影響が出ているわけではない。
しかしこの状況を続けた場合情勢不安など現地政府の存続にまで波及することとなる。
特に賄賂など政府高官が待遇を受けている証拠が出てくれば中国を支持することが難しくなる。
米中覇権戦争が長期化すればアキレス腱ともなりかねない。
また中国は近隣諸国に対して露骨に脅迫をするようになった。
遠親近攻外交を展開することでベトナムなどの国に警戒と国防強化を契機している。
一時期中国に寄っていたフィリピンも追い出した米軍を呼び戻す動きをしたり、国際司法に領土問題で提訴したりしている。
これは中国国内の安定化のために対外的な動きをみせる国内向けのパフォーマンスもある。
しかし最大の問題は中国に有力な親しい国が不在であり、周囲すべてを灰色や敵に囲まれているという恐怖心がある。
ロシアやアフリカといった国々にすり寄っている。
しかし根本的にロシアを全面的に信頼することはできない。
ロシアに信頼することができないのは、ロシアという国自体がリアリストであり、中国が不利な状況とみるや米国に鞍替えすることや下手すると満州などに火事場泥棒のように侵攻することもありうるからだ。
逆に言えば中国の体制が安定しているうちは問題ない。
アフリカなどの遠い国は資金が投入されているうちだけ親しくできているだけである。
そう考えると中国の近隣国で親中的な国家は朝鮮半島しかないのだ。
中国からみると周りを親米派国家で囲まれており、グアムや日本、ハワイには米軍が展開している。
この圧迫感からの脱出を求めているようにもみえる。
近隣諸国からの圧迫感と信頼できる有力な親中派国家持たない政府に対する今回の香港デモは鎮圧されるだろう。
国外と対立状態となっている中で起きたデモに対しては必要以上に抑え込む傾向が出るからだ。
国内の不満分子を鎮圧することで政府の威信を保つ効果もある。
逆に香港の反政府派が政府に対してクーデターを起こしたり、各地にいる反政府派と共同歩調ができていない以上デモは長続きしない。
香港デモは応援したくなるが、デモだけでは政府を倒したり、要求を通すことはできない。
軍の力を削いで、自前の軍を整備しない限り力で抑え込まれてしまう。
また今回の要求が仮に通ったとしても、別の締付けを行うことでデモの力を削ぐことに注力する。
その上で要求を撤回するだろう。
結局のところ欧米が抱いていた幻想は今回の事件で打ち消されてしまった。
すなわちマクドナルド理論のように中国に企業が進出すれば中国が民主化するという幻想のことだ。
また日本のリベラルと呼ばれる連中が今回のデモで黙っているのも民衆に目が向いていないことを示している。
今回の事件はより一層敵と味方を分ける働きをし、米中覇権戦争に一層の激しさを加えたことになった。
日本はなぜ開戦に踏み切ったか 森山優著を読んでみた感想
日本はなぜ開戦に踏み切ったか―「両論併記」と「非決定」 (新潮選書)
- 作者: 森山優
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/06/01
- メディア: 単行本
- クリック: 19回
- この商品を含むブログ (20件) を見る
日本が米国との開戦と至るまでの間に数々の交渉があった。
当然国内の交渉もあった。
さらに外務省と内閣、天皇まで含まれた様々な組織が自らの利益を求めて相争った。
今まで得たものをできる限り保持しつつ米国との和平交渉を行っていた。
だが当時から開戦すれば敗北は必須だったことがわかっていた。
しかし利益を求めるがあまりに全てを灰にする結果となった。
大局的に米国との交渉について考える人物はおらず、国内での纏まりすら難儀する有様だった。
日本組織の悪しき部分が凝縮された本となっている。
現代の日本人が読んでも納得するような組織間での交渉よくわかる本だった。
今の日本も戦前の文化を引きずっている。
枝葉末節ばかりに注目し互いの足を引っ張る。
責任回避と組織内での師に対する間違った忠誠心、本来部署でない部署の横槍や妨害といったこともあった。
結果出来上がったのはどちらともつかない役立たずなものが出来上がる。
大局的に物事をみて本当に交渉しなけければならない相手の何を求めているかを理解できる人物がいつの世でも求められている。
組織は永久ではない。
また組織が思っている絶対に譲れないことも大局的に見た場合大した話ではないことも多い。
決裂による損害や破滅より大事な譲れないことが一組織にあるわけない。
もっと視野を広く見る必要がある。
また近年サラリーマン社長が増加している。
組織内で成り上がった社長は大局的な視野を培う時間は少なく、社内での調整に追われることとなる。
会社の先行きに対する責任も任期中の期間という短いスパンでしか考えられない社長もいる。
そうなると将来破綻するような短期的利益の追求を求める。
その結果マクドナルドのように経営が危うくなった事例もある。
何より驚愕するのはこうした組織力学の結果、先人たちの積み上げたものが水泡に帰しただけではなく、320万人の戦死者と数多の傷跡を残した。
たった80年ほど前の出来事だったのだ。
会社員とフリーランスについて思うこと
タクシー運転手シリーズ 軽貨物といえば ふっきー【一生フリーランスします】さん
フッキーさんというフリーランスの人を時々チェックしている。
自分は会社員なので隣の芝を気にするようにフリーランスの人をチェックしている。
特にアマゾンフレックスでフリーランスを使ってヤマト運輸等の大手から自分たちへと物流を統合したい意向もある。
そのためアマゾンギフト券25000円分プレゼントといった特典も用意されている。
アマゾンとしてはフリーランスだけではなく、会社員で車を所有している人も気軽にできるように敷居をできるだけ低くしている。
フッキーさんは自分で営業を行い、配送を受注している。
また定期の配送がないときや半日で終了することも多い。
そのときはアプリで今すぐ運んでほしいと依頼しているところにエントリーする。
抽選に合格すれば仕事がすぐに貰えるのだ。
そのため半日定期の配送をした先でアプリで検索してエントリーすれば、帰りは空ではなく仕事をしながら帰ることもできる。
また配送業では時間指定もあるため時間潰すことも多い。
その時はブログやユーチューブにアップする動画編集等の時間にあてている。
フッキーさんのようにスキルがなくてもフリーランスができる時代が到来している。
自分は設備業で現場代理人をしていた。
設備の監督で職人を何人も使って仕事を割り振っていた。
彼らの多くは会社員ではなく、一人親方であり自営業者だった。
フリーランスとは少し毛色が違い、腕一本で仕事をしていた。
そんな彼らもフッキーさんより少し多くの賃金を得ていた。
しかしフリーランスとは違い生活は傍目からみても大変そうだった。
まず仕事は常にあるわけではない。
特に工事系は決算前は忙しく、4月といった年初等はものすごく暇である。
そのため仕事の波が大きい。
暇な時は金の心配をする。
しかし繁忙期も半端ではない忙しさである。
二徹、三徹するほど寝る暇がないときもあるくらい仕事で埋め尽くされる。
そのため金より体の心配をする。
そうやって稼いだ金額も8時間労働で最低25000円程度だ。
そこから車両損料や各種保険料等が差っ引かれる。
業種によっては別に保険料等の名目で貰えるのかもしれない。
フッキーさんも多い日は27000円程度貰えるが、少ないときは18000円等まで下がってしまう。
そこから燃料や高速代等が引かれてしまう。
確かにアルバイトで時給800円とかやっているよりかは収入が多い。
そういう意味ではコンビニアルバイトより生活レベルは向上するだろう。
しかし会社員との大きな違いは社会保障にある。
会社員は厚生年金であるが、会社と折半してくれる。
そのため会社員が毎月払っている金額の倍を実際は支払っていることになる。
そのため年収は実際より厚生年金の会社負担分だけ多くなる。
また会社員は事故を起こしたり、遭ったりしたときに労災が使える。
またなにより賃金が毎月ほぼ定額で貰えるため生活設計が立てやすいこともある。
会社員からフリーランスになる人の多くはこういった利点を意識していない人がいる。
労災についても最近は元請責任で保険確認を求めてくるところもある。
また労災保険が使用できたとしても元請からの評価は下がるし、入院中収入を得ることができなくなる。
もちろん保険によってカバーするものもあるが、当然その分高くなる。
また元請からの支払いも遅延したり、払われない可能性もある。
そして払われる場合は最後に一括のことが多いため、数ヶ月に渡るような大きな仕事の場合、経費も含めて全て持ち出しとなる。
ローンで借受をしている人もいるが、金利を元請けが払ってはくれない。
フリーランスは将来の保証を自分で面倒を見る必要がある。
終身雇用は現在の法体系では簡単になくせないという事実とこれから向かうべき方向 - 銀行員のための教科書
公的年金だけでは老後不安 国は「自助」求めるけれど…:朝日新聞デジタル
ここまでの話は従来言われていたことでもある。
会社員は安定していて、フリーランスは自由はあるが不安定である。
しかし終身雇用制度が崩壊していき、年金自体が破綻することによって安定は失われた。
すぐに退職金がなくなるといった話はない。
また年金については将来的に払われないわけではないが、支払い金額は生活できないレベルでしか支給されなくなるだろう。
このため会社は副業を認める等の舵取りを迫られることとなる。
賃金を安く抑え、退職金も出さない、早期退職で中年をクビにする等の横暴が多くなると会社自体の安定が望めなくなる。
人材流失による質的劣化は短期的利益の享受と長期的破綻という結果を会社にもたらす。
私は必ずしも会社員でいる必要はないと思う。
しかしフリーランスになるにも会社員でいるにもリスクを伴なうことを意識しておく必要がある。
また最大の強みはいつでも転職したりして自分の社会人としてのスキルがどこでも通用できるようにしておくことだと思う。
Tカードを退会した話
きっかけはT-DMだった。
実家にT-DMが届いた。
お誕生日のあなた様へと共にMEN'S TBCの脱毛の優待券だった。
お試し500円と書かれた優待券とローラの顔を見てものすごく腹がたった。
欲しくもないDMをよこされ、どこにでも配っている500円券を誕生日だからと送りつけられる身を考えていない。
またこういったお誕生日だからというDMがたくさん届いたらどうしようとも思った。
毎回のように確認の電話が来る可能性が高いため、受け取った側の負担を考えていない。
Tポイント自体ほとんど使っていないし、ポイント全然たまらないことから余計に腹がたった。
こういったDMを送りつけるようになったのはCCCがTポイント以外の競合他社が台頭し苦境に立っているからでもある。
かつてはポイントカードといえばTポイントが当たり前だった。
しかし他社も同じような仕組みを導入していく中で先行優位を発揮し、多数の企業から協賛を受けていた。
特にファミマ、ヤフーと提携したことで認知度と利用度は格段に増えた。
提携当時のヤフーは日本で一番使われていた検索サイトであり、ショッピングやオークションなど多数のコンテンツをも持っていた巨人であった。
しかしポイントが200円で1ポイントしか貯まらないケチ仕様で、ファミマで夕飯などを頻繁に買っていたときに全然貯まらないことに愕然とした。
それからというものTポイントを扱う店に行く頻度が極端に低下した。
低下したのはポイントが集まらないこともあるが、ポイント含めた購入金額が他社より高い店が多いこともあった。
特にセブン系のポイントは100円で1ポイントであり、電子マネー導入により切り替えがスムーズにできてしまった。
また昨今ポイントカード制度は電子マネーに取って代わりつつある。
正確にいうならば電子マネーにポイント機能をつけたものが優位な状況にある。
コンビニ等小銭がよく出そうな場所では特に現金の取り扱いをしたくないという層が一定数いる。
この層は以前はファミマ利用者の2割ほどだったらしい。
しかし今後増加していくことは利便性一つとっても確実である。
そうなると電子マネーで支払う場合いちいちポイントカードを提示することも面倒となる。
また各社独自のポイントカードが普及したことでCCCに頼る必要が減少したこともある。
もはやTポイントは誰しもが持っているカードではなくなりつつある。
とはいえTBCのDMがくるまで退会しようかかなり迷っていた。
未だに利用できる店舗数は多くあり、退会するにはデメリットが多いように思ったからだ。
しかしDMが来たことで踏ん切りがついた。
踏ん切りがついた理由の一つにDMを読む思考を使うことが無駄だと思ったからでもある。
現代社会は情報過多社会である。
スマホ等で大量の情報が瞬時に手に入れることができる時代となった。
また働いている中でも仕事のスピードは年々増大しており、時間が足りなくなっている。
会社でも家でも情報に触れ続けていると脳がつかれるのは当然である。
得ようと思えばいくらでも得ることができる時代にある。
その中で大事なことは必要な情報のみに触れることができる環境を意識して作ることだと思う。
不必要な情報も含めてインプットし続けてしまうと必要な情報をインプットしきれなくなってしまう。
また脳や体が疲労することで情報を得る意欲を削ぐことにもつながる。
こういった社会において大事なことはDMを送ることではなく、顧客が知りたいと思ったときに的確に情報を与えられるようアプローチをかけることである。
広告の目的はほしいと思った人に知ってもらうことにあるからだ。
DMを無駄に送るような、得にならないカードを解約しようと踏ん切りがついた。
長々と話をしたが、退会方法を検索してサイトを見つけた。
Tポイントカードの解約方法 忘備録|scalyfoot|note
基本はヤフーとの提携解除とカード自体を本人確認書類を同封しCCCに送れば完了となる。
しかしいきなりDMを送りつけられたことで今後も停止までに送りつけられることを恐れて上から順にやってみた。
・個人情報提供の停止
・T-DMの停止
・ヤフーIDとの提携解除
・T-SITEの退会
・CCCにカード郵送
今どき退会を郵送のみしか受け付けないのにも驚いた。
銀行カードでもハサミで裁断すればいいのにクレジットカード機能もついていないポイントカードを郵送させる発想自体が社会から遅れていると思わざるおえない。
しかしそれ以上に驚いたのは個人情報提供についてだった。
ネットの書き込み等でなんとなく知ってはいた。
だが想像以上だった。
なんと私の情報は149社に提供されていた。
あまりの数の多さに5回数えてやっと一致する量であった。
青森の銀行から九州にあるドラッグストまで全国津々浦々様々な企業に情報提供されていた。
DMを送ってくるがこういった情報提供が発生することについて連絡を受けたことはないので実に不思議なものだ。
もちろんカードを所有した時点で情報提供がある旨は明記されていただろう。
メディアでも度々小さく取り上げられたり、2チャンにかかれていたのも知っていた。
しかし物事には限度があるだろうと天を仰いだ。
とはいえこの個人情報提供自体には驚きはしたが憤りはしなかった。
なぜなら現代社会で保護されているはずの個人情報は様々なところから流出しており歯止めがきかないからだ。
一種の諦めでもあるが必要最低限としてもネットにつながっている限り流出を防ぐことはできない。
また企業のサーバーがハッキングされて盗まれたり、企業間で情報交換したりなど個人でどうにもならない事態となっている。
なのでそのような会社のサービスを使っていた方が悪いと思っている。
しかし私の情報は提供されているのだから企業名を私が使うことは正当な対価だと思っている。
人の情報を得ておいて自分の会社を知られたくないというのは理屈が合わない。
互いに情報を晒し合ってこそ対等である。
よって最後にスクショした企業名一覧を貼っておく。
興味がある方は眺めてみてください。
丸山氏の発言についての雑感
北方領土問題に関する丸山氏の発言が紛糾している。
戦争しても取り返そうとする姿勢を公式の場で酒によって国会議員が発言した。
だめ大人の典型例でなんとも情けないという感想しかない。
しかしメディアはこぞって言ってはならない断罪に処するべき事として取り上げた。
ロシア側も利用できるものができたので対応し、声明を出した。
交渉に影響を心配する人は多いが問題にはならないだろう。
ウクライナからクリミア半島を簒奪した話を持ち出せば交渉カードとして機能しなくなるからだ。
今回の失言は本人の政治生命には甚大な影響は出るが、外交政策には何ら影響を及ばさない話でしかない。
一連の報道で私が問題視したのは武力をチラつかせることなく外交のみで問題を解決できると思い込んでいる能天気な思考である。
店と客との取引の中で店は高く買ってほしい。
客は安く買いたいと思っている。
この両者の妥協点を探るのが交渉である。
店にとっては商品価値を上げること、客に納得した値段と思わせることが勝負どころとなる。
客の手札は同様な商品価値を持つ相場を抑えること、その店での年間購入額等である。
取引量が多ければ商品価格が安価になるのはBtoBでも同様である。
武力というのは年間取引量に相当するものだ。
多すぎた場合、相手に一社しか取引先がないことで恐怖を与えることになる。
その取引先から取引中止となったりした場合、経営に甚大な影響が出るからだ。
そうなると相手の無茶な要求も飲まざるおえなくなる。
逆に少なすぎた場合は高値掴みをさせられる。
一回での交渉ならもの別れになっても相手にとってさほど影響がないためだ。
特に客にとってどうしてもほしい場合は余計に高値掴みをする手札を相手に与えてしまう。
日露交渉も同様である。
武力をチラつかせることなく相手と交渉しても高値掴みするだけである。
特に経済成長が低く今後さらに経済状況が厳しくなるため、ロシアに対して経済をチラつかせる交渉は難しくなる。
昔は金をばら撒いて相手の感心を買っていた。
だが経済が落ちぶれるなら買うこともできなくなる。
戦争はいけないこととかいい子ぶった態度は結構なことだが、いい子が報われることは国際社会ではない。
何故なら秩序を自らによって創造しないと生き残ることができないのが国家なのだ。
外交バランスの持った政治家やメディアの不在を私は嘆いている。
左翼の人々にみる無垢さについて思うこと
日本の左翼が言っていることに対してウクライナから留学してきた人のスピーチが話題になっている。
日本ではほとんど報道がない。
しかし現在でもウクライナは領土の一部をロシアの傀儡政権に取られている。
また散発的に謎の武装集団からの攻撃を受けている。
この要点は相手に無条件な信頼をしたことにより皆が望まない結果を生じさせたという話だ。
日本の左翼は自国民に対して原罪を償うように要求し、一方で他国に対しては左の頬を差し出す行為を行う。
この対応は日本人の考え方が色濃く反映していると思う。
日本人の特徴の一つに自己評価を低くする傾向が強いことがある。
そして相手の言うことに内心は別として従うことが多い。
この2つの要素によって自国民に対する辛辣な態度と他国に対する無条件の信頼につながる。
だが左翼に多いのは2つの要素にプラスして最も影響力のある要素がある。
それは無垢さだ。
人生経験を積んでいない人に顕著なのは対人関係の距離感がおかしい人だ。
極端な親密性と極端な排斥性は自我の確立に難がある人物に顕在化する。
それが雰囲気としても幼さに表現される。
平和を謳い他国を無条件で信じてしまうような人は極端な親密性の持ち主である。
自我確立がうまく行っていないため、他者が自己に対して危害や敵意を持っている場合を想定することが難しいのだ。
こちらが親切にすれば相手が返してくれるという返礼の心理を信仰している。
しかし親切心のお返しをしてくれるかは相手の判断の範疇にあることで確定的ではない。
人によってはその親切心の裏側にある思惑を感くぐったりする。
こういった親切心は思い上がりの一種であり、決めつけにすぎない。
通常は社会の中で揉まれることで裏切りまで行かなくても思い通りにならないことを経験していく中で学んでいく。
しかし自我が確立していない人は経験をしたとしても、たまたまそうなったとしか考えない。
何故なら自己と他者との境界が曖昧であり、自分の想像したことを相手がしてくれると思う傾向が強いためだ。
個々人の人生においては本人の問題で済む。
しかしこの考え方で国家を動かした結果は、ウクライナの状況となる。
かつて日本は海に囲まれているために外敵の侵入が少ない国だった。
しかし世界の境界があやふやとなっている現在、自我の確立が重要となる。
世界とつながることは自我の確立がなければ埋もれてしまうからだ。
攻殻機動隊でスタンドアローン・コンプレックスという概念があった。
他者と違う自分を表現しようとして、他者と同じ行動を取ることだ。
自分は他のやつとは違うといって不良になる。
しかし不良というイメージの枠に囚われ、不良同士の中で自己が埋没していく現象が似ている。
世界がネットによって繋がり、国家の境界線が曖昧になりつつある。
だからこそ自国の歴史や文化を継承し守っていく必要がある。
左翼の人々は海外に感化されて自我が薄くなっている。
だから日本が世界に遅れていると感じるのだろう。
世界の多様性によって歴史が紡ぎあげられていることを失念している。
彼らには現在しかなく、過去も未来も想像できない。
映画2本を観て核戦争について思ったこと
令和一発目のブログのネタがずいぶんなものであるが、GWを利用して溜まっていた映画の消化に入った。
以前から名作として名高い2本の映画をやっとみることができた。
一つ目の長ったらしいタイトルのパッケージに出ているストレンジラブ博士の映画はスタンリー・キューブリックの作品である。
ブラック・コメディを基調に、冒頭で狂った将軍が突如としてソ連への核攻撃を命令した。
核攻撃回避のためにペンタゴンで大統領以下将軍たちが奮闘する話だ。
とはいえほとんどが傍観者か命令を忠実にこなす人々で、メインは不貞行為中に呼び出された将軍と大統領のおふざけが混じった言い合いが見どころである。
パッケージに出てくる博士は映画終盤になってようやく登場する。
通常であれば狂人として描かれる博士だが、終盤になってから登場する。
そのため感覚が麻痺し、異常性を認識しにくくなっている。
人類が核戦争後にシェルターに隠れたとしてもヒトラーのような全体主義国家が地下世界に出現することになることを博士を通してキューブリックは演出している。
二つ目の「未知への飛行』は1つ目とは違い全員がまともである。
むしろ優秀な人々によって事態が最悪の方向へと進んでいく作品だ。
良識をわきまえた大統領、立場をわきまえた将軍たち、攻撃を成功させようと奮闘するパイロットたち、中にはその責任感から狂ってしまった大佐まででてくる。
全員がよりよい結果を得ようとして最悪の事態に終着する。
印象に残った人物にグロテシェル教授である。
誤作動から始まった核攻撃に肯定し、さらに積極的に核攻撃を行うべきとの主張を唱えた人物だ。
モデルはロバート・マクナマラ - Wikipediaと思われる。
当時ベトナム戦争があり、戦争の指揮はペンタゴンの上についたシステム分析をする人々によって行われた。
そのときグロテシェル教授のようにすべては数式や科学によって戦争を制御できるとした。
人間を損耗率という観点のみで解釈し、敵の分析やターゲットについて事細かに現場に指示するためペンタゴンはベトナムより米国内で戦争をしている状態となっている。
内輪もめの結果、ベトナム戦争は泥沼化し大勢の人々が亡くなり、アメリカに大きな傷跡を残す結果となった。
当時は核戦争の恐怖が全面にあった時代で、核軍拡に対して発射制御がおそまつなものだった。
実際、現在とは違い遠隔での爆弾の爆発制御などできなかった。
そのため爆発可能な核爆弾を搭載した戦闘機や爆撃機が24時間体制で上空旋回していた。
キューバ危機の際にも命令が伝わらずにシベリア方面では核爆弾搭載機が毎日のようにソ連からの核攻撃に備えて飛んでいた。
パイロットの精神が突如として凶変すれば核攻撃可能な時代でもあった。
2つの映画に共通するのは間違った前提や仮定はどんなに優秀な人々がいても修正できないことだ。
核攻撃後の世界を想定するにしても一発であるかと大量に打ち合いをした後の世界では想定するまでもない状態もあった。
核戦略家と呼ばれる人々(コリン・グレイ等)は実際にソ連軍がヨーロッパに侵攻した際に核攻撃で地上軍を殲滅して問題ないかなどを検討していた。
初期の頃、核は通常兵器の延長線上のものとして考えられていた。
しかし瞬く間に威力は増大し、いつしか地球何回壊せるかというほどの核を米ソ両国で保有するに至った。
その結果、相互確証破壊戦略=MAD戦略と呼ばれる恐怖の均衡が出現した。
ソ連が米国を核攻撃してもなお、米国が大量報復するだけの核をソ連に使用できる状態を指す。
どちらが攻撃しても互いの国が破壊されることが確証されているため両者とも攻撃できない状態になっている。
互いに足がすくんでいる状態だ。
こうなったときに核兵器は戦争するためにはあまりにも威力がありすぎて使えない兵器となってしまった。
広島・長崎以降使用されなくなったのは威力がありすぎるために相手にいらない刺激まで与えてしまうことにある。
戦争とは最終的に和平を結ぶ必要がある。
そのためには相手の政府や交渉役を残しておく必要がある。
しかし核兵器はそんな交渉相手すら消し飛ばしてしまう兵器。
結局の所、脅しには使えても実践使用できないものになってしまった。
核戦略家も両国が打ち合った後の世界については最終的に匙を投げた。
しかしこのMAD戦略自体はまだ機能している。
米ソは核保有数を減少させているが、相手の重要な部分を的確に破壊できるように性能向上させている。
また米ソだけではなく、中国やインド、パキスタン、イスラエルなど核保有国は多くなっている。
また核を積極的に使いたいと思っている集団もいる。
国家にとって核は実戦使用できないものだが、テロリストはむしろ核を使用することで成果を挙げられる。
映画トータル・フィアーズ - Wikipediaではテロリストが核を米国内で実際に爆発させるシーンがある。
核を爆発させることで自分たちの威信を示したいと思う連中だ。
実際、一時期ダーイッシュ(イスラム国)は国家を自称し、通貨まで作成していた。
このまま行っていれば核保有等の強力な兵器も欲しがっていただろう。
核兵器自体、現代では工業系の優秀な高校生なら制作できるものだ。
爆発に使用する複雑な計算はパソコンがあるため問題ない。
一番大変なのは純度を高めた核物質である。
正直これ以外はどうにでもなる。
核の恐怖は今まで減退したことはないし、今後も継続されるだろう。
核がなくなるとき、核に変わるクリーンで強力な兵器の出現がなければ不可能だろう。
結局の所人類はまだ心配し続ける必要がある。