私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

母子家庭の問題

母子家庭が増えている。

これは男女に平等に権利が与えられた結果でもある。

女性の自立を象徴するひとつの事例ではあるだろうが同時にそのことによって貧困が多くなっている現実もある。

私から言わせれば男を見る目がなかったやつが貧困になったから助けてくれというのは虫のいい話である。

勝手に結婚して勝手に離婚して助けてくださいというのは意味がわからない。

この社会は将来はいざ知らず今現在は男が働いて女性は家庭を守るという社会制度を未だに引きずっている。

解決には多くの時間がかかる。

少子高齢化社会といっても貧困の子供を沢山作ったところで格差は縮小することはなく、学習する機会も不十分な子供が成長することにより貧困が拡大されることが問題だ。女性は子供というリスクを抱えているのだから結婚に対するリスクも考える必要がある。

子連れの女性を好きになる人もそんなにいないだろう。

再婚して生活の向上を願っても男性側も進んでリスクをとろうとは思わない。

男の側は離婚すれば再婚相手を容易に見つけられるだろう。

おんないというのは蛾みたいなもので光り物に群がる性質があるから。

マスコミで母子家庭を褒める傾向があるが道徳的に正しいことが本人にとって必ずしもいい結果をもたらすとは限らない

日本の規制が多いことについて

 

 

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 ウーバーの話は海外では何回も出てきている。

階層の上位に位置する話でタクシー会社だけではなく、インフラを変えようとする大胆な発想から生まれている会社だ。

 

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 しかし日本はタクシー会社に配慮するように規制を盾に参入妨害をしている。

かつて日本は護送船団方式という戦時中では一切しなかった政策で成長し続けたが、今その肥大化した行政管理によって国家財政は破たんをきたそうとしている。

規制をすることはそこにお金がかかる。

ウーバーのような規制を撤廃し、市場を活性化するような会社は国家にとっても利益となる。

国家は国民を保護の名のもとに規制を作ることをやめる必要がある。

また規制はさらに多くの規制と補助金を必要とする。

一度規制によって守られた団体は、それを当然のこととし、会社も規制ありきで経営するからだ。

そして規制によって市場の流動性が硬直化することでさらに需要のパイが少なくなる。

このことは日本の農業にもいえることだ。

消費者にとって一番いいことが望ましいことであり、規制はその消費者の不利益をこうむらないためのものだった。

しかし消費者という視点を忘れた規制は利益団体の温床となる。

日本の経済と国家財政を考えればそのようなことをしている余裕はもうないのだ。

家電リサイクルでの出来事

会社にてよくトラックに満載になるくらいの家電がたまることがある。

会社で処理ができてしまうのだが、法律上家電リサイクルに出すことが決まっているので法令順守ということでリサイクルの手続きをするため郵便局に行った。

大抵郵便局では窓口が2つある。

郵便と銀行業務の2つだがどっちにいくかは毎回違う。

家電リサイクル業務は銀行窓口であることが多いのだが、まずそこからしてわからない。

そしてリサイクル券を台数分もらってくる。

これが10台にもなると記載項目数が多い。

住所を書くところが2か所とメーカー名と製品の番号を書くところがある。

これは処理上やむおえないので仕方がないと思っている。

だがメーカー名を書くのは番号があるためリストを借りないとわからないのだ。

しかし郵便局には奥にしまっているため借りるためには持ち出さないことなど注意を毎回受けることとなる。

さらにリストはメーカーの統廃合や処理費用の高騰などによって定期的に変わってしまう。

そのため社内にて控えてきても金額が違ったりすることがある。

郵便局では大抵慣れていない業務らしく毎回すったもんだする。

郵便局内部の決まり事などにイライラさせられる。

 

リサイクル券を受け取った後、リサイクル場へ製品を持っていく。

大抵は物流倉庫の一角にあることが多い。

製品をそこで下ろすのだが、またひと悶着するのだ。

まずリサイクル券を持っていくことがアウトになる。

リサイクル券は決まった場所に決まった角度で事前に張るらしい。

そもそもそんなことがどこに書いているのか不明であるし、郵便局で説明をうけていないのだ。

リサイクル券を張ったら、エアコンの場合内機にもリサイクル券からシールを見つけて、決まった方向と場所に張るのだ。

そしてリサイクル場にもっていったとき、中に3枚程度用紙が挟まっているのを出し、うち2枚を職員に渡す。

職員は2枚を事務所で処理したら1枚返してくる。

それをもらって帰ることとなる。

だがそもそも張る方向すらどこに記載されているかも不明である時点でお察しものだ。

4人がかりでシールを貼り、常識がないという態度で説明を受ける。

さらにエアコンなどは部材がついているのだが、それは引き取り不可など細かいルールもある。

半年に一回もないようなことで毎回不愉快な思いをさせられる。

ごみ一つ出すだけでこんなに不愉快な思いをするなら山に捨てたくなる気持ちもわかる。

日通だとリサイクル券をもっていけば張ってくれるのでそれに慣らされたというのもある。

今度から遠いけど日通にもっていくことにする。

まったくごみ一つ出すのに不愉快な思いをさせられるということが意味が分からない。

国籍についての雑感

蓮舫氏が民進党の党首となった。

だが自身の国籍問題を棚上げにした人間を党首にする神経が理解できない。

国籍というのは自らの所属を示すものだ。

日本にいれば日本国籍を有していることは当然のように考えられている。

それは日本に暮らし、日本という土地に根を張っているからだ。

左翼どもは進歩性をうたい根を伐ることに快感すら覚えるようだが、根を下ろしていないことが彼女らの浮ついた行動へつながるのだろう。

彼女は台湾との2重国籍だったことは、彼女が優柔不断の塊であることを示している。

また彼女は2重国籍であることを利用していた。

これは狐の化かしに相当するもので、そのような利己主義者に党首を選んだ民進党と彼女に未来を与えてはならない。

 

国籍を決めるということは日本では意識されないことだが、日本に世話になっていることの証明でもある。

『国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい』ジョン・F・ケネディ

左翼どもは国家の寄生虫になることを望んでいる。

2重国籍の問題も国家の寄生虫でいたいことの証である。

いいとこどりをして責任逃れをしようとする人間は常に逃げ道を確保しようとする。

そのことがみっともなさを演出するのだろう。

 

日本で育ったものならば日本に骨をうずめる位の覚悟を持ってほしい。

でなければ外国籍を取得すればいいのだ。

20歳を超えれば成人として扱われるのだから自分の国籍位自分で選べばいいのだ。

寄生虫にいてもらう必要はないのだからどこえなりともいけばいいのだ。

そういった覚悟すらない連中が政治を動かしていることが嘆かわしい。

中国は自らをコントロールしきれない部分が多い

 

大国がゆえに管理できない部分が多く、統一性を欠く

日本が統一した意識や常識というものを共有していること自体が世界からみれば異端である。

それが誇らしいかは別にして中国に限らず大国と呼ばれる国には内部に大きな渦がいくつもあり、せめぎあい嵐をおこしている。

日本にとってその嵐を大きくすることが肝要だ。

 

自分の線の細さ

よく線が細いと言われる。

見た目もガリというレベルの細さなのだが見た目だけではない。

例えば誰かに責められたらキョドるし、仕事がキツくなると自暴自棄になったりする。

耐えるということが苦手である。

将来を考えると余計に不安となる。

会社で出世すれば板挟みになることも増えるだろうし責任の重圧もあるだろう。

失敗に対するリスクも増大するため線が細いことはデメリットが多い。

彼女ができて精神的に守るものが出来れば状況は変化するのかもしれない。

しかし現状ではそうはなっていない。

 

なぜそうなったのか。

ある研究では10台のうちにいい恋愛ができなかった人は鬱などになりやすいという。

そこまで極端でなくても学生時代の経験が人生におおきな影響を与えるのは事実だろう。

スポーツを部活でやっていた人はタフな人が多いように。

高校時代は酷いものだった。

女という存在が憎いものだった。

横を通るだけでもキモいというレッテルを貼られ、どうしても話すことができると2人で恐る恐る話しかけられる。

見た目という問題は障害者のように扱われた。

集団の排他性と異常者に対する攻撃性の恐怖を学んだ。

今でも引きずっている。

彼女がほしいとせつに願うが、自分が汚い存在である以上関係は発展しないだろうと思う。

お金を払えばキスしてくれたりすることに驚いた。

お金を払えばそこまでしてくれるのかと感心したものだ。

ある人は自分に恋愛感情に近いものまでいだいてくれた。

結局は実ることはなかったが衝撃的なことであった。

女性に触れると申し訳なく思ってくる。

こんな自分のために時間と労力をさいてくれることに。

だが恐怖心は拭えない。

親しくなると余計に思う。

いつあの目をしてくるだろうかと。

人を見下す様な、汚物を見るような目。

そう考えているから線が細いと言われるのだろう。

原発について

blogos.com原発について再稼働がなされているが、3・11以降反原発派の勢いは増すばかりである。

かの小泉純一郎元総理も反原発派に鞍替えした。

あのおっさんの場合別の思惑があるようにみえるが…

私は原発の再稼働に賛成している。

理由は単純に国内にてエネルギーを生産することのできる唯一のものだからだ。

火力発電は海外から石油やLNGを輸入する必要がある。

その金額は莫大であり、わが国が資源がない以上せっかく得た資金を流出させることはないと思う。

その一点は何事にも変えることができないものだ。

原発の安全性を問うのであるならば自動車の安全性の方がよっぽど問題である。

原発で亡くなった方よりも自動車事故で亡くなった人の方がはるかに多いし、環境についても同様である。

地球温暖化の原因は自動車が多すぎることであり、原発は削減する大きな手段の一つである。

社会は時として知識が多く必要とし、簡単に理解しえない問題についてただ反対する。

しかし日本にとって原発の生産性についてもっと考えてもいいと思う。

ただ東電のような半国営企業については新しい風をいれて業界全体の活性化を促進する必要はある。

東電の失敗が原発を悪と同一視する風潮がたしかにあるのだから。