私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

アフターコロナについて思うこと

令和になってますます危機の時代を肌に感じるようになった。

危機の時代という概念はスティーブン・バノンによって広まった『フォース・ターニング』によれば2005年の前後2,3年から始まり2025年頃まで続くと記載されている。

即ちリーマンショックによって始まったと読むことができる。

さらに10年経つと事態が深刻化するとも記載されている。

奥山先生が放送しているアメリカ通信に取り上げられてたが、新型コロナウイルスについて本書に記載があった。

 

疾病予防管理センターが新たなウイルス感染症の流行を公表する。感染症は人工密集地帯に到達し、死者が何人か発生する。議会は強制的な隔離措置を法制化する。大統領は州兵に、リスクのある地域に防疫線を構築するよう命令する。市長たちは抵抗する。都市のギャングと郊外の民兵との間で戦闘が起こる。大統領に厳戒令を求める声が高まる。

 

新型コロナによって実際ニューヨークが市長によって封鎖され、逆に大統領が渋っていた。

ギャングと戦闘したのかは不明であるが他は一緒である。

何個か予測が書かれているが、一つ当たるたびに世界に厄災が降り注ぐことになる。

当たらないことを祈るのみだが世界は令和を前後してより深刻化した。

米中を起点にした世界情勢の流動化に日本は最前線に立たされている。

新型コロナによって生活が一変した。

一体誰が満員電車がなくなることを想定していたのだろう。

添付ファイル付のメールを送ったら別のメールでパスワードを送付するというガバガバセキュリティがあった。

しかし今では個人PCにリモートワーク用のアプリを導入して仕事しろとセキュリティ概念が喪失しつつある。

誰しもが感じていたハンコという存在を無くす動きが出てきた。

令和になって昭和の古い慣習が次々となくなっていくのは嬉しいものだと感じる。

一方で環境に適応できない人は厳しい時代となる。

なぜなら危機の時代は個人の生存能力が問われる。

当たり前だった社会の庇護はなくなり自分で考え行動できる人が生き残るサバイバルな時代となる。

新型コロナを起点として社会は変容を逃れることはできない。

そして一度疑念を受けた古い慣習は改善をさせられる。

少子高齢化によって労働人口は減少していく、また高度なIT社会へ進むことで無駄な作業や意味のない会議、承認行為や打ち合わせが減少するだろう。窓際族という存在も居場所をなくしていくことになる。

評価体制も自己アピールができる奴が出世できるよう新ためられる。

人事も従来の仕事の仕方を改めさせられる中で、人をみることが難しくなっていくと予想する。

各種人事アプリが導入され、社員の性格や仕事への姿勢といった要素が点数化される。

だが社員の成果物については点数化が難しい。

点数化できるものは機械によって自動化できるため自動化できない部分を評価するのが人事のお仕事となる。

しかし専門性と一人が抱える仕事量と範囲の拡大によって人事が把握できる範囲を超えている。

よって文章や口頭で相手に明確な形で伝えることが求められると思う。

一方で評価が難しい必要だが評価されない仕事に対して人事がフォローできない会社は内部がガタガタになる。

人事制度一つとっても自律的な思考ができないと仕事が回せなくなる。

 

また『フォース・ターニング』でもう一つ例をあげてみよう。

 

 

文化面での厄災は、目眩を感じさせるような劣化に嵌まりこんだメディアを伴うことになる。そして国家による検閲を支持するような、道徳面での品行方正への揺り戻しが起こる。

 

 

1997年の段階でこの指摘がされているのは感嘆するばかりだ。

以前ブログで放送公害について言及した。

メディアの劣化は著しくみられるようになったが、全てのメディアが等しく劣化したわけではない。

知見の範囲ではダイヤモンド・オンラインとか少し怪しいところもあるがisMediaなど頑張っているところがある。

危機の時代にあって環境に適応できないオールドメディアが残った影響力を行使して「劣化した放送」をバンバンし集客しようとして余計に客離れを起こしている。

以前から問題となっていたがアフターコロナでは緊急時にはテレビをつけないで過ごすという処世術も浸透することになる。

また今テレビでは過去の放送を振り返るものばかりとなっている。

視聴率は一時的に増加することになるが、アフターコロナ後に新規企画物を放送し始めると面白さを感じずに視聴率が低下するものと思う。

また東日本大震災のときのように新型コロナによって社会は大きく変化した。

Beforeコロナ、afterコロナという括りで語られることになる。

伝統的な価値観がよりクローズアップされイデオロギーと結びやすくなる。

日本だけではなく各国が同様に道徳面での品行方正を国民から求められることになる。

このことによって米中を基軸とした対立構造がより激化するものと思う。

米中が熱戦をするにしろ冷戦状態となるにしろグローバル化した経済に両陣営とも組み込まれている。

経済は乱高下を繰り返し経験することになる。

願わくば危機の時代が終焉を迎えるときに中国共産党体制が転換し、米国の勝利によって終わることが望ましい。

荒波の時代にあって日本は今度こそ勝ちの陣営に入る必要がある。

次の70年は世界を動かす方にまわっていてほしい。