私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

中国や朝鮮半島が日本の戦争責任を追求し続ける訳

 

危機と人類(上下合本版)

危機と人類(上下合本版)

 

 ジャレッド・ダイアモンドが好きで毎回新著が出版されるたびに購入している。

年末年始の間で時間があったので積んでいたものを掘り起こして読んでみた。

今回の著作は現代に焦点があてられており、氏の馴染みのある国が6カ国選ばれた。

日本、フィンランド、チリ、インドネシア、ドイル、オーストラリア、アメリカの危機に対して国民がどのような選択肢をとったのかという解説をしている。

氏は特に戦後のドイツが膝を屈して謝罪する西ドイツ首相の姿にリスペクトしている。

そして逆に日本の朝鮮半島や中国に対する謝罪はなっていないと何度も指摘している。

如何にもアメリカ人らしい正義感を人の国民に押し付ける傲慢さがでており嫌悪感を覚える。

アメリカ人にとってみればあの戦争は勝利国であるが、原子爆弾を落とした日本に対して膝を屈して謝罪することはない。

だが日本に対してはそうしてみてはいかがだろうかと余計な提言までする。

 

しかし戦争責任についてどこで線引きをするか問題となる。

戦後ドイツのうようにやっていれば日本の戦争責任について追求されずに済んだという人もいる。

しかしドイツもオランダなどの国からは戦争責任について未だに声が上がっている。

この違いはドイツと交戦し激しく戦ったか否によって変化する。

ポーランドは初戦ドイツと交戦し負けてしまい全土を掌握された。

しかしオランダはドイツの攻撃に対してすぐに降伏したことで戦禍は間逃れることができた。

この違いは戦後シコりとして残り続ける。

雨降って地固まるということわざにあるように、戦いの中で色々あったけどこれからは仲良くしようとする。

しかし降伏したりした場合、被害者意識のみが残り続ける。

降伏していなければ他にやりようがなかったのかと考え、余計に自尊心に傷をつける結果となる。

 

日本が米国に対して恨みを持っておらず日米同盟を締結できているのも激しく戦った結果である。

原子爆弾を2発投下され降伏した日本軍に対する虐殺や極東軍事裁判による戦勝国による一方的な断罪などがあった。

当然日本も米国に対して同じようなことをしていたが両国の関係は良好である。

 

しかしポーランド等とは違い中華人民共和国は日本軍とほとんど交戦はしておらず国民党軍に押し付けて山奥に引きこもっていた。

毛沢東が強力な日本軍を相手にせず逃げに徹して対抗勢力である国民党軍に負わせる戦略もある。

日本は大陸に覇権を打ち立てることはできずに飲み込まれて敗北すると考えた。

日本軍は台風のようなものなので時間が経てばいなくなる。

しかし日本軍を撃退した国民党は勢力を増し中国大陸を平定する。

このため毛沢東は国民党内部に大量のシンパを入れることで内部崩壊させた。

結果日中戦争終結後、国民党を大陸から追い出し政権を獲得することができた。

しかし政権を簒奪することはできたが、このまま国史とするには情けない。

よって毛沢東が果敢にも邪悪な日本軍と勇敢に戦い勝利したという筋書きに修正した。

よって中華人民共和国国史において日本は敵でなければならなくなった。

戦争勝利を高々に叫び日本の戦争責任を追求し続けるのも国史を正当化するためである。

また中国はずっと言っていたわけではない。

戦争責任を焚き付けていた朝日新聞の論調に乗っかり尖閣諸島含めた琉球列島を中国の領土とすることやODA供出、東シナ海での一方的な資源採掘などやりたい放題するための免罪符として利用している。

 

朝鮮民主主義人民共和国大韓民国はそもそも存在すらしておらず、ゲリラ戦争すらしていない。

結成も戦争後になってからである。

 朝鮮半島は冷戦時代の遺産であり、米ソの都合によって成立した歴史となっている。

このため建国の歴史は華やかなものではない。

旧支配者である日本から米国・ソ連に変わっただけである。

そして新支配者の都合で独立しただけである。

よって朝鮮半島両政府の建国の正当性を証明することが難しい。

国家の正当性に疑問視を抱く団体によるクーデターなど建国当初の国家にはひっくり返される可能性がある。

だからこそ正当性を顕示するためにも日本から祖国を開放したという神話を正当なものとして掲げる必要がある。

 

こういった背景もありこの3カ国が崩壊しない限り日本が赦される日は来ないだろう。

一方で日本は赦される日がこないことを前提として外交を展開する必要がある。

一度受けた汚名を晴らすためには現状をひっくり返すしかない。

すなわち戦争によって戦勝国となることで新しい秩序の担い手になることだ。

歴史は勝者によって書かれる。

戦勝国として新しい歴史を紡ぎ出すことによって汚名を晴らすことができる。

トゥキディデスは戦争の発生原因は「恐怖・名誉・利益」によってもたらされると述べた。

まさしく名誉を守るために戦うこともありうるのだ。

だからこそ戦争において道徳という概念で国家を裁くことは本来許されることではない。

極東軍事裁判などの第二次大戦以降で発生した勝者が敗者を裁くことによってリベラルと呼ばれる連中が正義を盾に跋扈することになった。

戦争において正義は両者とも持っているものである。

その正義の元に過去のあらゆる戦争で大小虐殺や略奪等あらゆる所業がくりかえされてきた。

その過去の罪をすべてさらけ出したとしてそれを人間が裁くことは敵わない。

現代の価値観で過去を裁くことほど無意味なものはない。

その過去があったからこそ、今の価値観が創出された。

だからこそ法の不遡及が存在する。

必要なのは謝罪でも懺悔でもない。

互いの立場を理解し、正義を横において手を取ることだ。