核兵器について思うこと
核兵器の拡散にかかわらず日本では核に関する話題は出てこない。
出てきたとしても核武装によって中国に対抗するという論調である。
もちろん中には具体性かつ理論的な発言もある。
しかし多くは核兵器について使用すれば戦争が終わると思っている程度で話している場合が多い。
これでは核について絶対話してはいけないや広島、長崎の犠牲者を侮辱する行為と言って誹謗中傷する人間と大差はない。
核兵器はどちらかというと抑止のための兵器である。
抑止とは相手の攻撃を断念させることを目的としている。
よって相手国に対して攻撃を思いとどまらせることが大事となる。
仮に日本が核武装をし、中国を核攻撃したとする。
しかし中国共産党は国民がどれだけ傷ついたとしても戦争をやめようとは考えないだろう。
何故ならかつて中国共産党は国民党軍から逃れるためにひたすら後退した歴史を持っている。
また国民党軍も日本軍の攻撃に対してひたすら奥地に後退し続け、攻勢限界点を上回るように仕向けていた。
よって核攻撃して中国に対してダメージを与えたとしても勝利を得ることはできない。
また習近平の直上に落とせる核兵器があったとしても、相手が信じない限りにおいて抑止とはならない。
そして落としたとした場合、終戦のための交渉先を失うこととなる。
雑多な勢力がしのぎを削る三国志のような世界となり、日本は戦前と同じようにシナ大陸に飲み込まれることとなる。
なので核兵器を向ければ相手が言うことを聞くというものではない。
核は持つことに意味がある。
しかし使用するには余りにもリスクが高いし、放射能の問題によって使い勝手も悪い。
結局核も通常兵器も使い方次第なのである。