私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

想像力について思うこと

創造的な仕事をしろいう話ではない。

最近の50代の管理職等に顕著に見られる傾向として責任回避主義と新しいことへのチャレンジができないのを見受けられる。

理由はやったことがないからと責任をとりたくないという2点に集約される。

部下にして思えば、管理職は責任を取るのが仕事となっているのに責任を取らない管理職の存在意義について思いを馳せることになる。

また慣習化した仕事を後生大事に守っている既得権益化した仕事もある。

多額の投資をしたシステムであったが時代と業務内容の変更により機能不全になっているにも関わらず、システム変更で場当たり的な対応をする会社の方針。

新しいアプリや考え方を取り入れることに安全性や既存業務との整合性等を理由に拒否するといったこともある。

もちろんなんでも新しいことが素晴らしいとは限らない。

企業は存続することが第一であり、余計なリスクを負って利益第一主義となって潰れることはもっての他である。

とはいえ近年の大企業や政治家の謝罪会見をみていると責任回避主義と私はやったことがないからわからないといった会見を平気でする。

特にセブンペイをめぐる騒動での記者会見はお粗末なものであった。

 

話が飛躍するが、今後の日本経済は少子高齢化と近隣諸国との軋轢によって縮小する傾向となる。

既存大企業でも自動車産業や銀行は人口減少と社会の購買能力の低下によって統廃合は逃れない状況となっている。

スティーブン・バノンが愛読していた『フォース・ターニング 第四の節目』で危機の時代が到来したと喧伝されている。

曰く社会が激動を迎える決定的な時代。古い価値観が新しいものと代わり、社会秩序の変化を推進することになる。

この傾向は2005年から始まったとされ25年~30年程度継続する。

現に最近の傾向として、投資信託を促し資産形成を若いうちからするように喧伝されている。

またかつてバブル時代に流行っていたアルバイトで生涯過ごすという一過性の働き方とは違い、生涯現役でいるためにフリーランスといった自分なりの働き方を推奨する動きもある。

LIFE SIFT(ライフ・シフト)』という100年時代の人生を生きるためには転職をする前提で働こうと提言している。

こういったダイナミックな社会の動きに対して、多くの管理職はついていけてない。

守るべきものが崩れる危機的な時代にあって自分の居場所から離れないのは周囲の環境に対する想像力の欠如がなせる技である。

よくインフラ系や飲食系といった人間社会と密接につながっている仕事はなくならないと言われる。

しかし仕事はなくならないが仕事の内容や会社の存続とは別義であることまで想像している人は少ない。

技術革新や新しい考えによって今までとは違う形で携わることに対して無防備である。

とくに建築業界の人手不足の原因の一つに業界の慣習によって変化を嫌ったこともある。

旧タイプの職人が幅を利かせることで新しい人材が枯渇し職人の平均年齢が上がっている。

また技術革新や家を持ってくるという発想の転換により、住宅はプレハブ方式によって工場で組み立てて持ってくる時代になった。

比較的ゆっくり変化するはずの建築業界でも急激な変化を迫られている。

他の業界はより変化の激しい時代となるだろう。

 

フリーランスだろうが、社会人だろうが管理職だろうが働いているすべての人に必要なことは想像力を働かせることにある。

想像力は将来どんなことが起きるかを予測し、リスクと危機管理を養うことになる。

最悪なのは突然足元が崩れることにある。

高収益でも早期退職をおこなっているキリンHDの例のように順調に業績が右肩上がりでも退職となる。

企業の年齢は40年とされている。

一方社会人は生涯現役となり、50年~60年働く時代となる。

いつまでも同じ仕事ができることはない。

また想像力を働かせて仕事に取り組んでいない人は受動的になる。

能動的に働いている人との差は数年間で広がってしまう。

40代50代になって使えないやつという烙印を押されたら単純労働以外の使いみちがなくなってしまう。

正社員の首がきりにくいのは法に守られているからにすぎない。

法改正となれば企業は容赦なくリストラを敢行することになる。

また社員も使えないやつをリストラすることに賛同するだろう。

危機に対して過剰に反応する必要はないが、想像力をもって日々生活することは自分自身の成長と家族を守ることになると思う。