映画2本を観て核戦争について思ったこと
令和一発目のブログのネタがずいぶんなものであるが、GWを利用して溜まっていた映画の消化に入った。
以前から名作として名高い2本の映画をやっとみることができた。
一つ目の長ったらしいタイトルのパッケージに出ているストレンジラブ博士の映画はスタンリー・キューブリックの作品である。
ブラック・コメディを基調に、冒頭で狂った将軍が突如としてソ連への核攻撃を命令した。
核攻撃回避のためにペンタゴンで大統領以下将軍たちが奮闘する話だ。
とはいえほとんどが傍観者か命令を忠実にこなす人々で、メインは不貞行為中に呼び出された将軍と大統領のおふざけが混じった言い合いが見どころである。
パッケージに出てくる博士は映画終盤になってようやく登場する。
通常であれば狂人として描かれる博士だが、終盤になってから登場する。
そのため感覚が麻痺し、異常性を認識しにくくなっている。
人類が核戦争後にシェルターに隠れたとしてもヒトラーのような全体主義国家が地下世界に出現することになることを博士を通してキューブリックは演出している。
二つ目の「未知への飛行』は1つ目とは違い全員がまともである。
むしろ優秀な人々によって事態が最悪の方向へと進んでいく作品だ。
良識をわきまえた大統領、立場をわきまえた将軍たち、攻撃を成功させようと奮闘するパイロットたち、中にはその責任感から狂ってしまった大佐まででてくる。
全員がよりよい結果を得ようとして最悪の事態に終着する。
印象に残った人物にグロテシェル教授である。
誤作動から始まった核攻撃に肯定し、さらに積極的に核攻撃を行うべきとの主張を唱えた人物だ。
モデルはロバート・マクナマラ - Wikipediaと思われる。
当時ベトナム戦争があり、戦争の指揮はペンタゴンの上についたシステム分析をする人々によって行われた。
そのときグロテシェル教授のようにすべては数式や科学によって戦争を制御できるとした。
人間を損耗率という観点のみで解釈し、敵の分析やターゲットについて事細かに現場に指示するためペンタゴンはベトナムより米国内で戦争をしている状態となっている。
内輪もめの結果、ベトナム戦争は泥沼化し大勢の人々が亡くなり、アメリカに大きな傷跡を残す結果となった。
当時は核戦争の恐怖が全面にあった時代で、核軍拡に対して発射制御がおそまつなものだった。
実際、現在とは違い遠隔での爆弾の爆発制御などできなかった。
そのため爆発可能な核爆弾を搭載した戦闘機や爆撃機が24時間体制で上空旋回していた。
キューバ危機の際にも命令が伝わらずにシベリア方面では核爆弾搭載機が毎日のようにソ連からの核攻撃に備えて飛んでいた。
パイロットの精神が突如として凶変すれば核攻撃可能な時代でもあった。
2つの映画に共通するのは間違った前提や仮定はどんなに優秀な人々がいても修正できないことだ。
核攻撃後の世界を想定するにしても一発であるかと大量に打ち合いをした後の世界では想定するまでもない状態もあった。
核戦略家と呼ばれる人々(コリン・グレイ等)は実際にソ連軍がヨーロッパに侵攻した際に核攻撃で地上軍を殲滅して問題ないかなどを検討していた。
初期の頃、核は通常兵器の延長線上のものとして考えられていた。
しかし瞬く間に威力は増大し、いつしか地球何回壊せるかというほどの核を米ソ両国で保有するに至った。
その結果、相互確証破壊戦略=MAD戦略と呼ばれる恐怖の均衡が出現した。
ソ連が米国を核攻撃してもなお、米国が大量報復するだけの核をソ連に使用できる状態を指す。
どちらが攻撃しても互いの国が破壊されることが確証されているため両者とも攻撃できない状態になっている。
互いに足がすくんでいる状態だ。
こうなったときに核兵器は戦争するためにはあまりにも威力がありすぎて使えない兵器となってしまった。
広島・長崎以降使用されなくなったのは威力がありすぎるために相手にいらない刺激まで与えてしまうことにある。
戦争とは最終的に和平を結ぶ必要がある。
そのためには相手の政府や交渉役を残しておく必要がある。
しかし核兵器はそんな交渉相手すら消し飛ばしてしまう兵器。
結局の所、脅しには使えても実践使用できないものになってしまった。
核戦略家も両国が打ち合った後の世界については最終的に匙を投げた。
しかしこのMAD戦略自体はまだ機能している。
米ソは核保有数を減少させているが、相手の重要な部分を的確に破壊できるように性能向上させている。
また米ソだけではなく、中国やインド、パキスタン、イスラエルなど核保有国は多くなっている。
また核を積極的に使いたいと思っている集団もいる。
国家にとって核は実戦使用できないものだが、テロリストはむしろ核を使用することで成果を挙げられる。
映画トータル・フィアーズ - Wikipediaではテロリストが核を米国内で実際に爆発させるシーンがある。
核を爆発させることで自分たちの威信を示したいと思う連中だ。
実際、一時期ダーイッシュ(イスラム国)は国家を自称し、通貨まで作成していた。
このまま行っていれば核保有等の強力な兵器も欲しがっていただろう。
核兵器自体、現代では工業系の優秀な高校生なら制作できるものだ。
爆発に使用する複雑な計算はパソコンがあるため問題ない。
一番大変なのは純度を高めた核物質である。
正直これ以外はどうにでもなる。
核の恐怖は今まで減退したことはないし、今後も継続されるだろう。
核がなくなるとき、核に変わるクリーンで強力な兵器の出現がなければ不可能だろう。
結局の所人類はまだ心配し続ける必要がある。