高齢者の運転について思うこと
池袋の事故で加害者に対する報道が容疑者と扱わないやり方だった。
また事故直後にフェイスブックの削除等自己保身を図り、入院していることもあり逮捕もされなかった。
80歳を超す高齢者のため何度も危険な運転をしている前触れもあった。
警察や自動車産業の関連団体は高齢者に自主返納を促すが、保険料を根拠に全ての高齢者が危険運転を行っているわけではないと火消しをする。
また利便性が低下するのと公共交通機関の整備が不十分として行政に改革が必要と一言つけるのがお決まりとなった。
今回の事故と関連報道は日本社会の縮図だ。
責任を取らず自己保身を図る元役職者の高齢者、関連団体の火消しとそのまま垂れ流しの報道しかできないメディア、犠牲となる若者、snsで苦言を呈する行動しない若者。
公共交通機関の拡充を言うが、今後人口減少することが確実であり、利用者が次々に死んでいく状況で拡充は出なきないのは当然である。
利便性が悪くなるというが、不便なところに住んでいるのが悪いだけである。
住居は変えたくないけど利便性はほしいというのは我侭でしかない。
国家予算が限られている中でこれ以上高齢者に払うかねはない。
既に社会福祉関連の予算で国家予算の半分を食いつぶしている。。
これ以上の優遇措置を求めることがおかしいのだ。
老人は希少価値があり人格を備えていたから敬われていた。
しかし人口の1/4以上となると希少性は失われ、自らの利便性のみを考え公共について考えが及ばないような狭隘な思考の人物を敬う必要なぞない。
高齢者は免許返納の前に何度も擦ったりぶつけたりしている。
当然修理が発生するが、単独の場合どれだけの人がキチンと申告しているかは不明だ。
申告されなかった分は税金が投入されている。
若い人たちが賃金上昇も容易にできず、非正規雇用が1/3を占めている中で捻出された税金が老人のため消費される。
また事故を起こしていなかったとしても最初の事故が人身事故である確率がある。
走る凶器を安易に運転することの結果に思いを巡らせる思考を持たない人間は運転してはならない。
未来の若者に意識を向けない老人達を生かしておく必要があるのかと思う。
人間は社会性の動物であり、他者と関わり合う中で生きている。
しかし近年目立つのは自己しか考えられない他者と関わらない老人達だ。
こういう人達は人間の形をした動物と変わらない。
動物が車を運転すれば事故が起こるのは当然である。
せめて人間として最後まで生きてもらいたいと思う。