官僚の権威失墜について思うこと
官僚叩きが年々広がりをみせている。
幾度も不祥事があり、辞任させられる人が相次いでいる。
今や事務次官は割に合わない役職となっているのかもしれない。
しかし不祥事は今に始まったわけではなく、官僚制というものができてから不祥事はあった。
しかし近年の官僚叩きは不祥事だけではなく、制度面や技術的な検討事項への指摘も叩きに含まれている。
本来官僚の得意としてきた分野にも国民の目線が向けられている。
ネットが登場するまで官僚の構築した制度や技術的な事柄に指摘をする人は非常に少なかった。
PSYCHO-PASSに登場するシビュラシステムのようにある種の全知全能感をも持ち合わせていた。
雑賀教授がマックス・ウェーバーを持ち出し官僚制を教えてくれた。
知識によって大衆を支配し、専門知識と実務知識を秘密にすることで優越性を高める。
物語と同じように完全であるはずのシビュラシステムの正体が判明するように官僚の行動や制度の組み方等について国民の知るところが多くなった。
これは情報公開の結果ではあるが、根本的にネットによる情報拡散効果と国民の高学歴化によるものだ。
この流れはネットに欺瞞情報を大量に載せて妨害するなどしない限り止まることはないだろう。
国民に官僚のやっている事柄が知れ渡ることで今後特権的な行動を取ることがより難しくなるだろう。
天下りや特定の団体に対する優遇策などはいつの世でも無くならないが減少していくと思われる。
一方で少なくなった分だけ発見されるとセンセーショナルに報道される。
その結果本人だけではなく関与した政治家や組織に対するダメージは計り知れないものとなる。
クリーンな政治を行うためにより機密性が高い方法へとシフトしていく。
また官僚は国民からの目にいつも気を使うようになる。
様々な事柄を詳細に検討するため時間とコストが増大する。
時代は情報過多になりつつある。
情報が多すぎることで国民の監視がそらされる可能性もある。
どんなに社会が発展しても情報公開によって多くの人の目にされられることが最も強力な権力に対する監視だと思う。