私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

考えられない人について思うこと

言われたことだけをやる人がいる。

年配のなってそれなりの経験を積んだ人でも受け身なまま過ごしている。

自分からなにかを率先してやることをしない人だ。

また営業でミーティング中に成績が悪い原因を一人一人述べる場があったとする。

みんながそれぞれ販売方法や客層へのアプローチの仕方を述べている中で、一人だけ環境せいにする人がいる。

自分は悪くなく、雨が降っていたから客足が伸びないとか立地条件が悪いからという外的要因ばかり毎回のように言う人もいる。

そんな人たちは周囲からもっと考えればわかるのにと言われたり、どうして考えないのかと疑問に思われる。

率先してやらない人は自分の保身考えていたり、失敗を極度に恐れていると考えられている。

営業成績を外的要因に求める人は、そもそもそんなことを何故今のタイミングで言うのかと周囲は思う。

もっと深く考えないのかと思われる。

しかし考えられないと想定するならば合点がいく。

 

学校教育で義務教育を受けた人、高校や短大と4年生大学では思考の仕方が異なるのだ。

あくまでも文系に限った話だが、義務教育ではほとんどの授業は受け身である。

黒板や教科書に書かれた内容を暗記しテストで回答する方式である。

勿論問題では発展した形を答える問題もあるため、数学で特に公式の展開も覚えることとなる。

基本的に答えは一つであるのも特徴だ。

ここで大事なことは与えられた質問に対して一つの回答を出すやり方をひたすら繰り返すことだ。

これは高校でも同じことだ。

また短大や専門学校も看護などの専門分野であるが問題に対して明確な回答が存在し、様々なその分野の事柄を暗記するというスタンスは変化しない。

一方で4年制大学はまずどこの学部に入るかから決めることになる。

入学したら自分でカリキュラムを組み、単位を落とさないようにギリギリの出席率を計算したりする。

勉強に対してもテストはあるが、問題に対していくつもの回答がある。

回答の仕方が記述式で意見を述べるテストもある。

そのためテスト勉強はその考え方を組み方を覚えることとになる。

義務教育と4年制大学を分けるのはこの差にある。

自分で考え、質問を想定したりすることができる人が多いのが4年制大学だと思う。

これ差別ではなく思考の傾向に違いがあることを言っているだけだ。

現に私立の中学受験をするところでは問題が大人でも難しい思考法を問う問題が多い。

中学生からこういった考え方で勉強し続けるから大学では何が問題なのかを自ら問うことができるようになる。

特に現代は賃金格差が激しくなっている。

その原因の一つには自律的に行動できる人かがある。

低賃金に甘んじる人に多い傾向は誰かに言われたことをこなすような業務が多い。

学校でも会社でも自律的思考をする機会を奪われた人が受け身なまま社会人生活を過ごすこととなる。

よって最初に例を上げた受け身で言われたことをこなすだけの人は自律的思考ができない人なのだ。

またミーティングで外的要因ばかり言う人は自分は一生懸命やっているから自分は悪くない。そうなれば外的要因以外原因がないと思った結果だ。

しかし本来営業は客にアプローチをかけて売り込みに行くことになる。

客の需要や興味を惹くようにする方法を述べるという思考がない。

やってきた客に対して一生懸命やれば売れると考えるのは言われたことをこなすのとかわりはない。

何故なら欲しくてやってきた客に商品を見せるのは営業ではなく、客に言われて動いているに過ぎないからだ。

よく高卒と大卒で生涯賃金に差があると報道される。

その差は自律的思考をしているか否で変わると思う。

だからこそ4年制大学でも自律的思考を身に着けなかった人は将来に渡って人生に苦労することになるだろう。

とはいえそういう自分も東大生とかから見れば思考が足りないと思われるのだ。

一番このことで質が悪いのは自分がこのことに気付けないところにある。