現代の軍人に求められるもの
ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)で書かれていた。
中世までの軍隊は血統や家柄によって選ばれた人々が戦場の主役であった。
もちろんそうでない人々の方が多かったが戦場における主役は選ばれた人々が担っていた。
しかし近代に入りナポレオン・ボナパルトにより農村の余剰人員を集めた人々が主役となった。
以後現代にいたるまでその方式は変化していない。
徴収兵から志願兵に移行しているが、基本的には客観的な指標による検査を通過すれば誰でも兵士になれる。
しかし二度の世界大戦により、戦争の違法化と市民権利の拡大があった。
その結果として現代の軍隊は血をいかに流さずに戦うかという中世への逆転がおこった。
中世の頃はいかに戦わずに相手を屈服させるかということに主眼が置かれていた。
血を流す戦いは下劣とみなされ、高い地位の人間は捕虜にして身代金をせしめる意味からも戦闘は極力回避された。
エドワード・ルトワックが日本4.0で述べたように米軍等現代の軍隊は死者をいかに抑えるかということに資源を投入している。
敵の重要施設を攻撃するために何千もの脅威ターゲットを破壊することを要求する。
これも戦争によって国民の犠牲を忌避するようになったことに依拠している。
一人の死者によって反戦運動や政府批判が噴出するからだ。
また兵器の高度化と予算の逼迫に伴い兵士の数も少なくなっている。
こういった事から兵士の専門性が向上した。
一方で貴族のように守られる存在となった。
捕虜になれば身代金も払ってもらえる。
また特殊部隊になるが、兵士犠牲率は「アメリカの都市で夜中まで開いているコンビニ店員が強盗にあう確率よりも低い。」
このため今後の戦争は戦闘では高度化した兵士側が勝利するが、戦争では安価な兵士が勝利に貢献することとなるかもしれない。
戦争に勝利するためには2つの目標を達成する必要がある。
一つは敵主力軍の撃滅、もう一つは敵の首都を制圧することだ。
敵主力軍の撃滅は言うなれば敵の無力化を図ることで、敵の首都を制圧することは敵の正統な代表者と和平交渉をすることである。
安価な軍隊は正面から攻撃することを避けるため主力を温存しゲリラ攻撃する。
また政府と国民が戦う意思を喪失しなければ戦いはいつまでも続くこととなる。
イラクやアフガンで米軍が脱出できなくなったように戦争の敗者をテーブルにつかせることは難しいのだ。
そうなると兵士は敵国内を散歩し、時々攻撃を受けて死者を出すこととなる。
中世のときとと同じように戦場での睨み合いに終始することとなる。
現代の軍隊は肥大化しておりもはや熱戦を戦うに耐えない存在になりつつある。
戦えるようになるためには安価かつリスクを恐れない軍隊にする必要がある。
いつの時代でも兵士が戦場に立たない限り勝利はないのだ。