ポスト投函チラシと無能な働き者について思う
毎日のようにポストにチラシを投函されている。
宅配ピザや水道すぐ直します系や東急リバブルのような住宅のチラシが多い。
特に住宅系はさまざまな会社が投函するので数が多い。
見ていて思うが、ポストに勝手に放り込んで電話してくださいというのも営業としてどうなのかと思う。
仮に自分が家を探しているときにポストに投函されたらここだけは買わないなと思う。
第三者にまで迷惑をかけてまでものを売る連中にろくな人間がいるわけ無いと思うからだ。
今の時代何かを求めようとすればスマホやパソコンがでてくる。
情報量は紙媒体よりも豊富で比較検討も容易である。
ましてや家という高い買い物になれば慎重になるのは当然である。
そのような時代で未だにチラシをばら撒いているのは経費の無駄遣いである。
数十万の経費がかかっているのなら、その分値引きしてくれと思う。
とはいえ営業側に立ってみれば視点は異なる。
住宅供給はすでに過熱気味であり、家を買えるような安定した職種についている人自体も減っている。
そのような中で家を探している人にアプローチをかけることは並大抵のことではない。
サイトから来店につながる数や住宅情報雑誌等への広告で来店する人を待っているだけでは駄目だという発想につながりやすい。
なぜなら受け身で待っていることは精神的な苦痛を伴うからだ。
特に営業部長ともなると数字が全てであり、積極的に動くことを部下に指示する立場となる。
数字が悪いときには特に対策を考えろというようになる。
そうなると手軽なポスト投函が行われるようになる。
紙の値段は一枚2円もしないものである。
また雇う人は一枚投函ごとに5円程度の報酬でやる。
営業からしてみれば払う金額が少なく、一人でもつかまればOKという気軽さであるため今でも続けているところが多いのだろう。
また金額を投入すれば多くの家に配ったという成果もある。
数字が悪いときには言い訳の材料としては優秀である。
しかしこのような考え方自体が無能である。
現代社会において広告は大きな変化を迎えている。
それは万人に見てもらうということから、ほしいと思う人に見てもらうことに変化していることにある。
見たくないものを見せられた人は不快な思いをし、負の記憶として残る。
短期の一人の獲得の裏で多くの潜在顧客を食いつぶしたという結果が残る。
しかし無能な人間は潜在顧客の存在を軽視、もしくは無視する。
実際何人いるかということは数値としてあがってこないため経営層になれば余計に考慮外となる。
特に四半期決算という欧米スタイルを取り入れたために短期の数字ばかりを追いかけるようになる。
よって数年後、10年後を見据えた長期的な展望をかけなくなっている。
そういう企業は顧客のニーズを理解することもできなくなりつつある。
ネットに細かいところまで情報を載せているところは今後シェアを伸ばすことが可能となる。
ネットに簡単に書いただけであとは来店してくださいというところは客足が遠のくだろう。
なぜなら顧客は営業と有している情報に格差があることを知っているからだ。
来店すれば情報や知識は営業から得るしかなくなってしまう。
それは営業の言うことをうのみにすることしかできなくなる。
そういうのを騙しているというのだが、住宅などの営業では戦術として評価される。
都合の悪いことを隠し、いいことばかりを言う。
購入後トラブルを顧客が抱えても、営業は管轄外となる。
営業としては数字があがっているから問題はない。
しかし企業としてのイメージや対応というのはブログ等で拡散される。
検索上位に悪い情報があると検索者が一様にみるため、数年前の解決済みの情報でも解決前の不満や問題について知ることになる。
自分も詳細は失念したが、2012年の悪い対応についての情報に接したことがある。
ネットでは情報が残り続けるのだ。
住宅や不動産は閉鎖的で古臭い慣習が残り続けている業界である。
今後はそういったものを刷新していかないと経営に支障がでるだろう。
人海戦術のポスト投函も終わりを迎えつつあるし、資源の無駄なのでやめてもらいたい。