私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

誰かのために犠牲になることについて

togetter.com8月15日ということもあり、今日は戦争に纏わる話が多い。

来週になると通常に戻るのもお盆の時期に重なっていることも一因なんだと思う。

 

まとめでしかみていないが、過疎の町の買い物弱者を助ける女性というのが上がっていたので見た。

好きでやっている女性を非難する気はない。

だが見ていて思うのは「後先考えてないなぁ」ということだった。

今27歳だが、これから結婚とか人生についていろいろ考える時期になる。

30歳過ぎると体の不調が出始める。

また薄利で続けているが、病気や事故によって運べなくなったらどうするのかとも思う。

本人が一番苦痛を味わうが、その中には来てくれなくなったことに対する中傷もあるかもしれない。

少なくとも本人はできないことに対して苦しめられるだろう。

また買い物弱者が困ることにもなる。

本来は行政のやる範囲のことなのかもしれない。

しかし予算は限られており、老人たちに回す金はいくらあっても足りない。

セブン系やイオン系では買い物弱者を助ける活動もしているが、CSRの一環であるため広がりは遅い。

そもそも儲からないために店舗がなくなるのだから、その土地の役割は終わったのだ。

全員町をでるか、買い物が高くなっても呼び込むことや乗り合い車を走らせるような方法を取ることもできた。

しかし彼女が救うことで一体何が変わるのだろうか。

10年15年経てば買い物弱者はほとんどいなくなってしまう。

寿命によって購入者が減少する。

彼女の手取りもどんどん少なくなるだろう。

美談にはなるが、持続性はない。

 

土着の問題は先祖や家に関わる問題であるため容易には解決できない。

全員都会に移動してもらうにしても反対者はかならず出る。

そうなると人を呼び込み発展させるか、不便さを甘受してもらうこととなる。

そして不便であれば土地を離れる契機ともなる。

日本の社会インフラは全国津々浦々一定水準を保っている。

当然維持費も含めたコストがかかってくる。

どんなに離れた家でもインフラを提供することは莫大な金額がかかる。

人口減少に伴いこういった限界集落のような町は増加する。

アニメ「サイコパス」のような都市と無人化した農業地帯にわかれるというのは極端な話ではある。

しかし山を守る農林業者以外田舎に住むメリットは年々減っている。

情報化社会により人間はより密集する必要に迫られた。

田舎でスローライフしながら仕事とはいかなくなった。

情報の伝達力の速さに人間が追いつけなくなりつつある。

そしてあらゆる情報が遍在することで、都市にいなければイベントなどに参加すらできなくなっている。

田舎の優等生より都会の劣等生のほうが頭がいいというのも情報が集約するところだからだ。

この流れは変わることはない。

車で何時間もかかって遊びに行ったり、移動に1時間かけたりすることは贅沢となるだろう。

今は満員電車で1時間以上の通勤者が多い。

しかしバブルの名残で郊外に一軒家を建てている人が多いからでしかない。

今後は人口の集中が加速し、郊外の家も空き家が目立つことになる。

 

結局こういった時代の流れに逆行するような行動は美談にはなるが、何も残らない。

敗戦が濃厚となり、外交交渉も不調である状態でなんとか時間を稼ぎたい。

そういう考えから神風特別攻撃隊が生まれた。

もはや軍事行動ですらないが、敗戦する側はこういった行動をとることもある。

国のために命を落とした人々に貴賤はない。

しかし彼らの行動は称賛するたぐいのものではない。

結局そういう状況に追い込んでしまったことに問題がある。

国は焦土と化し明治時代より築いてきたすべてを失った。

 

制度や時代の流れに対して逆行することは押しつぶされる結果を生む。

それでもなお助けたいと思うのならば、持続可能性を追求するべきだ。

自分が動くことは楽だし、考える必要がない。

しかしほんとうの意味で人を助けるというのは、持続可能性をもったものでなければ意味はない。

自分が潰れてしまったら、いい結末をみることはできないんだから。