私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

自尊心の低さと能力について思う

平成が終わろうとしている。

この時代において4人の核家族という形態が一般的でなくなりつつある。

またマイカーやマイホームをもつとなるとさらに希少性が増すことになる。

結婚や恋愛ができない中年を指して平成ジャンプとまで言われている。

全体の平均年収は低下の一途をたどり、年収400万円あればいいという状況まできている。

多くの人が昭和時代に一般的になった上記形態について歴史上特殊であったとか、今はそういう時代ではないと言っている。

しかし怨念のようにネットを漂っている。

 

自分もそういった人間の一人だ。

とはいえ名前だけは知られた大学を出て、中小ではあるが正社員で就職し、一時期車も所有していた。

会社では評価が高く、将来は課長だ支店長だという話も何度も出ていた。

今の時代では結構恵まれた立場にあったと思う。

しかし自分には生まれてこの方彼女がいたことがない。

強烈なまでのコンプレックスを有している。

どんなに人間性に問題があろうが、非正規社員だろうが、Fラン大学や高卒であったとしても、彼女がいる人間は自分よりはるかに上位の人間だと思っている。

人間は社会性をもった動物である以上、一人では生きていけない。

だれかと関係性を構築しなければ生きていけないのだ。

そういった点において彼女がいる人々は何歩も先を行っている。

彼らは周囲と良好な関係を構築しやすく、また嫌われたとしてもそういったキャラということで受け入れられやすい。

しかし自分には彼女がいない。

そのため自分は別の方面で有能さを示さなくてはならない。

真面目さをアピールし、仕事に熱心に取り組み、成果をあげる。

なんども理不尽なことを言われても受け入れるしかなかった。

なぜなら対人関係において欠陥品である自分は躱す術をもっていなかった。

仕事上のいろんな知識を吸収し、仕事において皆に信頼される人物となった。

しかし結果は体に極度の負荷をかけすぎて潰れた。

 

転職して気づいたが、仕事上でどんなに成果をあげようが、必要とされようが意味のないものだと。

所詮は便利な人どまりなのだ。

いわゆる「いい人」どまりでしかない。

自分は自尊心が低いがためにこれだけのことができたという思いがある。

誰よりも仕事を頑張った。

そして能力を示すことができた。

それは今の仕事でも発揮されている自分の財産ともなっている。

しかし所詮「いい人」でしかない。

仕事をしすぎたせいで感情という機能が極端に低い水準で留まっている。

対人コミュニケーションも同様である。

すべてが仕事を中心に回っていたため人との一般的な交流に難があるのだ。

雑談と言ったようなことや共通の話題、趣味の話というのもない。

特に異性はどうにもならない。

一般的に言われている恋愛ノウハウを駆使したとしてもどうにもならない。

人の心が自分から離れていく感覚を何度も味わった。

 

自分は今猛烈な喪失感を味わっている。

仕事と孤立した趣味以外なんにももっていないことに喪失感を覚えている。

他者とのつながりがなく、孤立したまま老いていく恐怖、人とのつながりがなくなる喪失感。

虚無感といってもいい。

人は何かを成し遂げると自信がつくという。

確かにそのとおりだが自信にもいくつかある。

マズローの欲求の5段階と同じように自信にもそれぞれの階層に応じた自信というものがある。

また仕事なら仕事の類似性によっても自信が分かれている。

そのため例えば仕事でどんなに自信をもったとしても対人関係の自信がなければ砕け散ることになる。

自信は根源的な欲求が満たされ、獲得し続けられるという状態を経て自信を持つようになる。

では対人関係で駄目な場合はどんなに上位階層で自信をつけようが基礎が腐っているためたちまち倒壊するのだ。

人生にはやっておく順番というものがある。

それに失敗すると一生苦労することになる。

学生時代に恋愛できていた人は苦労が少ないだろう。

結局人間は社会性の動物である以上他者との関わりなしには満足に生きることができないのだ。