大学と軍事に関わる研究について思うこと
blog.livedoor.jp北海道大の研究は船から気泡を出して船体の抵抗を低減する研究らしい。
東大等でも防衛省に協力しないという姿勢を示している。
大学は日本の左翼活動の根拠地であり、未だに崩されていない牙城の一つでもある。
最近ではネットリテラシー的に評判を落としているgoogleも評判回復のためにペンタゴンに一部分野で協力しない方針を示している。
リベラル的に軍事から離れることで自分たちの手が綺麗であることを示したいのだろう。
国の助成金を受けて大学や会社運営ができている。
その国がなくなったらどうするのだろうかと思う。
もちろんひとつの研究をしないから戦争に負けるとかいう話でもない。
だが平時から協力姿勢がないのに非常時には足を引っ張るのは必然である。
戦争への道は善意の道で敷かれているとはよくいったもので、協力しないために助成金を出す国自体が消滅することとなる。
ずいぶんとぶっとんだ話から始めた。
とはいえ軍事に関わることを学内秩序や道徳を理由に拒絶する姿勢こそ日本の研究が世界から遅れていることの一つとみなせる。
だいたい世の中はすべてつながっている。
軍事にかかわらない研究というのも事実上ないのだ。
理系科目は軍事と密接である。
文系にしても例えば民俗学は相手国の風習を知るのに有効である。
言い出せばきりがないが、その線引はいったい誰が決めるのかと思う。
大学が言っている軍事分野というのはどういった基準なのかとも思う。
防衛省が出資しないものという定義も不十分だと自分は思う。
民間技術が軍事分野で成長した事例など枚挙にいとまがない。
どうせなら国の助成金をすべて断るぐらいの気概を持ってもらいたい。
自分たちは国に依存していないという姿勢を示さずに「おててが綺麗」と言っても説得力がない。
日本の大学研究はどこも予算がない。
国から予算が降りても厳しい審査や成果を求められる。
税金を投入している以上致し方のない面もある。
そんな中でも軍事分野はどの国も比較的審査は緩い。
なぜなら国家の将来に関わる分野であり、審査自体も実体を伴い成果物として証明しやすいからだ。
また軍事に関わると最先端の研究と一般市民は思うため、審査をする側も通しやすい。
カネがないという状況で大学側は厳しい経営を強いられている。
乗っかれば予算を別口からもらえるのだからいいんじゃないかと思う。
メンツにこだわるあまりに大局を見誤り、結果戦争に負けた国がある。
同じようにメンツにこだわるあまりに大学経営が立ち行かなくならなければいいけど、どうなんでしょうね。
また日本の大学が研究を拒否したとしても、他国で研究される。
結果は一緒なのだ。
自動運転技術は危険とかいろいろ言っている人達がいる。
しかし彼らが使っているスマートフォンはかつて携帯電話として普及し始めたときにさんざん危険性を喧伝されていた。
電話をするときに耳に当てると、電波が振動となって脳内を揺らしたり、脳みそが熱くなったりして危険と言われた。
また携帯の発する電波を大量に浴びると生殖器官の異常や生殖しにくくなるとも言われていた。
だが2018年現在、携帯電話はさらに進化を遂げた。
またLEDである青色発光ダイオードも注目を浴びたときに光が目に与える影響についていくつもの批判が出た。
しかし2018年現在、日本政府は2025年のCO2排出量25%削減の目玉の一つとして、照明器具のLED化を推進している。
日本の大学がどんなに嫌がったとしても、別の所の手柄となる。
なら自分たちで作ろうという研究者の気概がない。
そういった老人たちが若者に言っている覇気の無さというのは、自分たちのことではないかと思ってしまう。
批判されたくない、リスクを取りたくないという姿勢が現れている。
リベラルという都合のよい隠れ蓑に隠れて、研究者として成し遂げることを失念しているように思った。