登録者数と評価数について思う
登録者数と評価数が高いほど売れている。
ブロガーにしろyoutuberにしろ世の中に溢れている多くの場面で顕著だ。
昔から企業にしろ、自営業者にしろ如何に多くの人に知ってもらうかが課題であった。
そのため広告代理店や大手マスメディアは儲けを多くした。
しかし現代ではさらに過激になり、自己満足を得る手段であったり、承認欲求を満たすといったことまで利用されている。
資本主義経済というのは人間の本能にある欲求を適度に利用しながら発展させる。
その点登録者数や評価数を公開してランキング付したりしているのは頭がいいと思う。
このブログは月に100~200アクセスほどされている。
登録者数も6人になっている。
自分としては素晴らしい数字だと思っている。
最初は0なのだから大進歩である。
とはいえ他の人からみれば取るに足らない数字なのだろう。
カッコよくスターリンの名言を引っ張り出すと、
「一人の人間の死は悲劇だが、数百万人の死は統計上の数字でしかない。」
同じように初期のブロガー等は自分は評価のためにやっているのではないという。
しかしいつからか登録者数ありがとうから始まり、登録者数や評価数を公表したり、広告収入まで打ち明けるようになる。
いつからか多くの人は数字として処理されるようになり、アンチの存在は数や収入を下げる要素として排除したがる。
中にはそうでない清廉潔白のような人もいるだろう。
しかしこれだけネットは普遍である環境下では誰しもがどこかで発信している。
当然そういう人もいるだろう。
登録者や評価を気にし、さらに多くを求める様は醜悪でもある。
日本人は特にお金を見せびらかす人を嫌悪する傾向があると思う。
眼の前で札束を団扇にして仰いでいたら腹が立つだろう。
しかしネットで広告収入がいくらあったとかという話は批判されない。
そして公開している本人も無邪気だ。
欲にまみれ、欲に溺れる人間の醜悪さを垣間見る。
自分の話をすればそもそも見てもらおうと思って書いていない。
ブログに書いているのは日記のようなものだと思っている。
人が読んだら見にくいだろうし、構成も思いつきのままなので一貫性に乏しい。
はっきり言って見ていただくには失礼で不親切な設計でもある。
やっと最近自分の更新頻度が5日に一回ペースくらいがちょうどいいということに気づいた。
そういうスタンスで書いているため評価や読者がつくと毎回顔がほころぶ。
自分の思考が他者から理解されると思っていない。
また理解してもらおうとする努力をしてこなかった。
そのためこのような見にくい文章でも読んでもらい、評価されるだけでも幸福だと思う。
評価を気にしたりすることは人間でいる以上は避けることができない。
しかしそのことに囚われ、自分の思考に影響を及ぼしたとき、その媒体は死を迎える。
その人の面白さや思考性といったものが一般化してしまい陳腐化するからだ。
他人に媚びるようになり、数字で物事を判断するようになるのは愚かしいことだ。
すべてが以前と逆転し、評価も下がり、登録者数も減少を始める。
その囚われを断ち切らない以上どうにもならなくなる。
特にネットで生計を立てている人ほど、禅をやったほうがいいと思う。
雑念を払い、何より欲を見つめることが大事だ。
パラドシカルロジックであるが、欲を出さず自分を表現すれば評価等があがる。
だってその人がみたいから皆が登録しているのだから。
また纏まらないが、ネットでの評価や登録者数について最近特に目にすることが多くなった。
またそれに合わせて収入の依存をしている人も多くなった気がする。
しかし数を気にするほど数が減っていくだろう。
結局の所今の自分のような状態が最も幸せなんだと思う。