私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

忙しくて婚活する余裕がないことに思う

婚活をしている。

毎月不定期にお見合いしたり、お付き合いをしたり、ごめんなさいとなる。

しかし他にも仕事が多忙であったり、資格の勉強、趣味のネットや読書など忙しい。

仕事は転職して半年近くになるから少しは余裕があるが、日々いろんな仕事を任されるようになっているので負荷としては変わらない。

資格の勉強は電験三種を受験するのに数学から勉強をしなければならない状況でもある。

9月の受験が終われば簡単だと思うが、危険物4乙種の受験をしようと思っている。

そしてあいも変わらず軍事や外交等の情報を毎日収集している。

また最近はeスポーツで試合を見るのも趣味になりつつある。

当然ゲームもやりたいが時間がとれずにいる。

そこでふと思った。

忙しいから恋愛や婚活ができないのでは?

 

婚活サイトでは様々なことをに述べている。

大体相手を一人ひとりきちんと向き合いましょうという結論になる。

 だが娯楽や趣味をいくらでも見いだせるこの世の中で恋愛や結婚を考えること自体がかなりの労力を必要としている。

対人関係についてのゴタゴタが好きな人であれば問題なく労力を注ぐことができる。

しかしそうでない人にしてみればその労力が過去に比べてより高いものになったように思う。

 

ここに生物の存在意義は全て子孫を残すためにあるという命題がある。

いつの時代でも本能として求められている。

また欲求として誰しもが持っている。

しかし社会が発展する過程において人間は社会性を発達させた。

このことは人間の本能を押さえつけて発達させている。

近年、恋愛を楽しんだり、不倫に興じている人に対する風当たりがより厳しい気がする。

この現象があるとすれば社会性を極度に発達させたことにより、人間の本能を見たくないという感性の発露かもしれない。

ネットの登場により人間の異常行動や本能というものがより身近でみることができるようになった。

そのため恋愛や結婚について知ったような気になれる。

そして結末についても知ったような気になれる。

また一方では特に子供がいない家庭ではの夫婦が同期に比べて出世したりすることがある。

歴史をみても子供がいない家庭をもった研究者の方が研究成果を上げるという話もある。

現在では沢山の娯楽や趣味があり、出世にエネルギーを使わない人がそういった部分で発散できる環境がある。

 

つらつらと述べたが、社会性が発達した社会では恋愛や結婚ができる環境そのものが小さくなっている。

もちろん逃げているだけだという指摘もあるだろう。

だが本能をおし殺すことになれた人たちからみれば、本能を発露した人を野獣のようにみえる。

そのため逃げているという発言は、できないものがしさであったり、野蛮な連中が何を言っているということになる。

その裏側には自尊心を満たすために自分の社会性がいかにあるかを証明しようとするだろう。

実際モテるような人は野生的な要素が必要とされる。

持っていない人は男であればなよなよしているし、女であれば美人でない限り面倒臭そうという印象を与える。

そのため両者にはさらなる差が生まれることとなる。

 

よって忙しくても婚活する余裕がないというのはいいわけにすぎなことになる。

実際何股もしている人がいるわけだし、多くの恋愛をしている人が暇人ばかりでもない。

効率的に相手を引き込む状況を構築することがモテる人なんだろうと思う。

現代はあまりにも社会性に特化して、野生性を放棄することを求められることが多い。

そのために人としての魅力、男や女としての魅力に外目から見てかけた人が多いのだろう。

また社会性に特化してしまうこととして、人に対する嗅覚やいわゆる人を見る目がなくなっているように思う。

自分と相手は同じような人、相手にも社会性を無意識で求めてしまうため危険な人というのも見分けがつきにくい目になってしまっているのかもしれない。

だからこそ野生性をもったモテる人になれれば簡単にことが運ぶあるいみいい時代になったともいえる。

参入者が少ないのだから実入りは多いだろう。

とはいえ変わるためには苦労をすることには変わりないし、苦労する余裕もないんだけどね。