私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

警察について思うこと

ストーカー殺人等が発生すると警察の介入について言及されることがある。


【すぐにわかる】羊たちの沈黙 独自解説 あの時レクター博士は何を言っていたのか The Silence of the Lambs review

羊たちの沈黙の解説で1時間43分ごろからFBIの学生が「女性を殺しているわ」と回答している。

警察的な答えで、動機なんて知ったこっちゃないという回答。

また犯罪が発生してからでないと動けないという回答をもらうことで、ストーカー被害者の相談に対応できなかったということで批判を浴びることもある。

 

警察とは本来秩序を維持する目的に設立された政府組織である。

警察の目的は政府に対して敵対的な人間や秩序を脅かす人間を社会から排除することである。

警察は市民の味方であるというプロパガンダが多用されている。

しかし元来警察は政府の犬である。

市民というのは政府にとって都合のいい人物であるという枕詞がつく。

そのため秩序を乱した人間は容疑者や犯罪者、テロリスト等さまざまな名前を与えられる。

ストーカー等の犯罪の兆候に対して警察が介入できないのは、秩序を乱した人間を排除するという警察の目的にそぐわないという側面があるからだ。

警察にとって最も大事なことは秩序の維持である。

犯罪が行われ、警察が解決すれば秩序の維持に果たす警察の役割が評価されることになる。

警察の信用度や善良さをアピールできる。

犯罪予防に対して警察は力を入れているように思われる。

しかし見回り活動等の外面だけの体裁を整えた程度のものでしかない。

見回りが犯罪抑制に効果を及ぼさないという研究結果も発表されている。

それは見回りをしていることにより、市民が安心してしまい予防措置を怠ることにも原因がある。

また犯罪者にしてみれば見回り時間を避けて行動したり、スーツを着ることで仕事帰り等を装うこともできる。

見回りしている人間に犯罪者か否かという判別がつくわけがない。

逆に害悪となっていることだってあるのだ。

警察が秩序の維持を目的としている組織である以上犯罪予防については自分たち一人ひとりが考えることが必要となる。

安心安全というのは一人ひとりの日々の取り組みによってなされるものであり、警察にまかせれば済むことではない。

被害に合わないように慎重に行動し、軽率なことをしない。

警察に予防措置ができる組織形態となっていないため期待するだけ無駄なのだ。