私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

女をいてこました自慢をする老人に思う

飲み会で団塊の世代だけではないが女とたくさんやったほうが優秀であるという評価軸がある。

酒屋で飲んでいると隣の女性グループにちょっかいかけたり、独身男性に行けよと生贄にしようとする。

ふざけた思想だと思う。

女にしか価値を見出さないつまらないやつだと思う。

女の話、過去の自慢話のループは本当にうんざりする。

そんなことを言っているやつは女という成果物がなければ価値がないのだ。

男の価値はそんなところにない。

 

人にはそれぞれ生まれ持った器量がある。

器量はそれぞれ大小あるが性質もそれぞれ違うため優劣があるわけでもない。

人はその器量の範囲をいかに大きく使いながら生きるかが問われる。

男というより人の価値は日々如何に器量の範囲を大きく使いながら善く生きるかだと思う。

誰かに依存するわけでもなく自分自身と如何に向き合うかが人の器量がオーラ等に変換されて現れていると思う。

 

酒を飲み交わしたからと言っても判断能力が鈍っている状態で出てきたものがその人を現しているとは限らない。

金も出さされて女と愚痴と自慢話は人としてつまらなすぎる。