私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

哀れみの目でみられる

転職して年齢層の高い会社に入った。

自分が一番若いということでほぼ全員が結婚している。

精神的に落ち着いているような人が多く、既婚者あるあるな話題がよく飛び交う。

自分は結婚どころか彼女すらできない。

そういった場では精神異常者だと思われているように思う。

仕事はできると自負している。

大体のことは一回で理解し、不明点はとりあえず自分で考えて、駄目なら人に聞くという柔軟性もある。

また業務について逆に質問されたりもするので入社して半年も経っていないが上出来だと思う。

とはいえ雑談のような共通した話題が少なすぎることは問題だと思っている。

 

しかしミリオタしかやっていない人間には酷な話でもある。

前職ではそういうやつと認知されていたのでまだいい。

社会不適合者の集まりである会社だったから問題はなかった。

とはいえ今回はそうはいかなかった。

既婚者で普通の家庭を営んでいるまぁまぁな幸せを送っている人たちだ。

既婚者たちの幸せ要求は自分より高いレベルにあるが、その人達にしてみれば当然だと思うのだろう。

既婚者同士の常識というのもある。

相手がどういう人間であるのかを子供という共通項でうかがいしることができるからだ。

だが年が5歳以上離れた若い独身だと共通項がない。

ほぼ全員が既婚者であったため自分は異質な人間となる。

子供とどう接したらいいかわからない親みたいな目でみてくる。

自分にとっては哀れんでいるように思う。

彼女もいなく人生の何を楽しんで生きているのだろうと思われているようで不快になる。

 

自分自身は結構人生を謳歌していると思っている。

他者から見ればつまらないと思うだろう。

とはいえ自分としては生まれ変わってやり直したいと思わない程度には充実している。

後悔がないわけではないが、それも人生と思える程度であるだけいいとも思っている。

キャパシディがないため自分のことでいっぱいである。

だから楽しめるんだと思う。

しかし他者から見ればつまらないのだろう。

充実した恋愛を通じた結婚という一つの理想がある。

恋愛をすれば自分自身の成長にもなるというのは一つの事実としてある。

そういったことをしてこなかった人間はその分成長できていない子供という扱いになってしまう。

恋愛を中心に置くかどうかで価値観が変わってしまうので自分としてはどうにもならないことだと割り切っているけど感情としては不満がある。

恋愛以外を充実させてきた自分にとってみれば、恋愛は最後にやり残した遊びに近い。

既婚者たちは恋愛をやって結婚してしまったがばかりに他にやりたいことをいくつも残しているように思う。

恋愛以外でも人は成長できるということを知らないのだろうかと思う。

恋愛至上主義という梅毒に汚染された思考のほうが哀れにも思う。

 

とはいえ現実として自分は恋愛ができなかった奴である。

できていて当然という連中をみるのは辛いものがある。

人として当然とされているような常識というものを理解し得ない気持ちはわからないだろう。

結婚していればわかるようなことがわからない。

子供向け番組をみることもないし、家族でショッピングモールに行くこともない。

子供が熱を出して大変とか、学校での困ったことなぞ知る由もない。

自分が社会から孤立していることをつくづく思い知らされる。

そしてまた子供とどう接したらいいかわからない親みたいな目でみてくる。

孤立しているのは構わないが、仕事をする以上寂しいという感情が露呈することは避けられない。

人の温かみの喪失感を味わう。

自分を大事に思ってくれる異性がいない。

守りたいという家族がいない。

哀れみの目を感じる。

哀れみの目の正体は自分自身なのかもしれない。

だがどうにもならない。

婚活に資源を投入しても得るものがなく、袋小路に入っている。

ミリオタ以外にやりたいことがない。

社内恋愛も絶望的だとすると手段がないと思う。

最後にやり残したことがあまりにも複雑すぎる。