ニコニコ動画の失敗と改善
ニコニコ動画(く)の批判が多くの人によってなされた。
お通夜のような発表会、見ていた古参ニコ厨による嘆きと諦め、過去の良き思い出が崩れていく感覚、怨嗟が渦巻いていた。
その後ツイッターによる経営陣のフォローが始まり、ついに川上会長が新規事業にのみ専念するという話になり、緊急で交流会が設けられた。
一連の流れをみていてもはや経営という体をなしていないお粗末極まる対応であった。
すべてが場当たりであり、大幅遅延させたにもかかわらず大々的に小細工を発表するという無能ぶりをさらけ出した。
あの程度で本当にユーザーの賞賛を得れると思っているのならば、脳は花畑となっている。
本来ならば経営陣は今までの失敗の責任を取り、退陣するのが道理である。
親会社は角川であるためどう考えているかは不明である。
しかし自分が角川の人間であれば自社のイメージを失墜させ、優良コンテンツをゴミに変えた経営陣の責任を追求する。
批判をしていても仕方がないので別の視点から話をすすめる。
今回の根本原因はドワンゴという会社が自社のイメージを掴みきれていないことに起因している。
もともと動画にコメントをつけることでユーザー同士のつながりから始まった。
会社はそのプラットホームを提供していたに過ぎない。
根本においてユーザーはこの理念に共感したから有料会員にもなり、ニコニコを使ってきた。
しかしドワンゴはそれだけでは経営の行き詰まりを懸念した。
もともとオタクのような連中が集まってできたものであるため市場の狭さがネックとなる。
特に月額会員制のため集客を増やさない限り成長が望めない。
好意的に考えるならば超会議といったものや一連のドワンゴの活動は新しいブランドを立ち上げることにほかならない。
ドワンゴはGoogleのようにすべてをインターネット上で検索できるようにするという明確なビジョンを立ち上げることを放棄したのだ。
無能な経営によくあるのは部下が作ったグラフや会員数をひたすら積み上げることに終止することだ。
これは数字という戦略レベルでは最下層のものである。
数字を追い求めるために新規事業や試みを行うことは経営をしているという錯覚を与える。
努力していることに愉悦を覚えるためだ。
だが悲しいかな世の中は努力を評価してくれないのだ。
ブランド構築には長い年月と不断の努力を強いられる。
明確な数値があるわけでもなく、ときとして身銭を切ることが必要となる。
ブランドというものは信頼を得る行為と重なる部分が多い。
問われるのは器量なのだ。
しかしドワンゴはこれを拒否した。
ひたすら新しいことだけを追い求め直近の数字を積み上げることに終止した。
その結果が中年三人が公衆の面前で自らの醜態をさらけ出す結果となった。
一度墜落したイメージを挽回するにはブランド構築よりも前途多難である。
ユーザーは泥舟から逃げ出し他のサイトの利点をみいだす。
一度愛着がわけばそこにいつくようになる。
どんなにドワンゴのいい情報が入ってきても過去の醜態が脳裏を横切りその情報を無視しようとする。
動画の画質やサーバーが急に良くなったとしてもユーザーは評価しない。
なぜならドワンゴという会社が自社ブランドを毀損させたためユーザーは信頼しない。
それに他サイト並になったとしてそれはスタートラインに立ったというだけなのだ。
私が提言できることは唯一経営陣の総入れ替えとブランドの確立を図ることだ。
これをなさない限りユーザーは減少するだけで過去の栄光だけが残る。
黎明期にニコニコ動画がありましたという名誉だけが残る。
角川含めてどう考えているかは不明だが早急に執り行う必要がある。