私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

会社という呪縛

今の会社を今年中に退職となった。

原因は労働時間の不規則さや労働に対する責任の重さと中間管理職の疲れ等色々ある。

直接的な原因は元請の営業の方が過労死したことにある。

病気持ちであったが過労とストレスによって体調を崩されたことによる。

自分のやっていることで死人が出ることに戦慄したとともに将来も続けていけるとは思えないため転職した。

次の会社は来年に出社となり、今は有給消化中である。

そんな中でも会社から電話がかかってくる。

業務の引き継ぎのために一週間有給をとらず出社していたのだが引き継ぎは書面にて提出となった。

会社役員の決定が遅れたため有給と同時に発表とならざるおえなかった。

そのことで引き継ぎがダメだの有給を早く取りすぎだの言われた。

労働者の権利を平然と踏みにじり会社に全てを捧げろという姿勢に別の意味で戦慄した。

会社のために6年間働いてきた。

しかし労いの言葉もなく、あったのは今後大変になるという話ばかりだ。

それも経営陣には話を事前にしていた。

今後さらに会社を発展させるならば、教育システムの構築と上司のマネジメント研修が必須となり、今の業務形態では今後の社会情勢に適合できなくなる。

そんな話をしたが受け入れられることもなかった。

送別会は行われて一番世話になった元上司が労いの言葉をかけてくれたことは嬉しかった。

ボーナスも退職金も出た。

そして嫌がらせもなく、円満退社となっただけ他の人よりかは優遇されている。

とはいえサラリーマンがいかに会社中心で自分の価値観や人生を考えているかということを改めて目の当たりにした。

自分は仕事を趣味にしようとは思わない人間である。

やるからにはしっかりと責務は果たすが、同時に時間きっかりで仕事を終えてプライベートを満喫したいタイプだ。

そういうことが今の会社では不可能なので転職した。

しかし仕事を趣味としている人間は逃げているようにうつるらしく、次の会社では逃げないことも必要だと言われた。

上の人間はサラリーマンは出世をして稼ぐことが全てだと思っている。

だが自分のライフスタイルではごめんもうむる話だ。

100年時代の人生戦略という本を読んで世界が広がった。

程々の人生は負け組という風潮があるが、人生は自分のものなのだから気にする必要がないと思う。

できうることならばこういう考えをもった女性と結婚できればなと思う。