死刑廃止について
瀬戸内寂聴という人間は典型的な綺麗ごとで世界が救えると思っている楽天家である。
世の中には道徳的に正しくとも、公正を欠くことはいくらでもある。
死刑廃止もその一つだ。
そもそも犯罪を犯す人はごく一部を除いて利己心に固まった人間が犯すものである。
刑罰は更生を企図して行われるが、更生不能な人間がいるのは当然である。
更生できる人間は刑期の中で、利己心さを悔やみ被害者に対する贖罪を行う。
しかし自らが犯した法に対して、法の方が間違っていると考える人もいる。
更生の意思もなく、計画的に多数の人生を破壊するような人間を生かしておく理由がない。
社会にとって害をなす人間を捕まえるのが警察の役割であるならば、司法は社会にとって今後さらなる害をなす人間を裁く場である。
司法の最強の武器は死刑であり、犯罪を犯す人間にとって最大のリスクは自らが殺されることである。
その可能性を「人を殺してはいけない」という道徳心で排除するのはばかげている。
法を犯した時点でもはや異常な状態であるのに、正常時の判断を適用しようとする矛盾に気づかない。
異常な状態には異常な状態でしか通用しない刑罰がある。
彼女らのような人種には真に人の温かみや慈しみといった感情が乏しいと思う。
なぜなら自らが被害者の親族となったとき、加害者に死刑を望むのは当然であり、社会的制裁を軽減するような行動をとるべきではない。
誰しも聖者になれるわけではないのだから聖者に合わせた法律を制定しても効果はないだろう。