自分の線の細さ
よく線が細いと言われる。
見た目もガリというレベルの細さなのだが見た目だけではない。
例えば誰かに責められたらキョドるし、仕事がキツくなると自暴自棄になったりする。
耐えるということが苦手である。
将来を考えると余計に不安となる。
会社で出世すれば板挟みになることも増えるだろうし責任の重圧もあるだろう。
失敗に対するリスクも増大するため線が細いことはデメリットが多い。
彼女ができて精神的に守るものが出来れば状況は変化するのかもしれない。
しかし現状ではそうはなっていない。
なぜそうなったのか。
ある研究では10台のうちにいい恋愛ができなかった人は鬱などになりやすいという。
そこまで極端でなくても学生時代の経験が人生におおきな影響を与えるのは事実だろう。
スポーツを部活でやっていた人はタフな人が多いように。
高校時代は酷いものだった。
女という存在が憎いものだった。
横を通るだけでもキモいというレッテルを貼られ、どうしても話すことができると2人で恐る恐る話しかけられる。
見た目という問題は障害者のように扱われた。
集団の排他性と異常者に対する攻撃性の恐怖を学んだ。
今でも引きずっている。
彼女がほしいとせつに願うが、自分が汚い存在である以上関係は発展しないだろうと思う。
お金を払えばキスしてくれたりすることに驚いた。
お金を払えばそこまでしてくれるのかと感心したものだ。
ある人は自分に恋愛感情に近いものまでいだいてくれた。
結局は実ることはなかったが衝撃的なことであった。
女性に触れると申し訳なく思ってくる。
こんな自分のために時間と労力をさいてくれることに。
だが恐怖心は拭えない。
親しくなると余計に思う。
いつあの目をしてくるだろうかと。
人を見下す様な、汚物を見るような目。
そう考えているから線が細いと言われるのだろう。