若年層の貧困についての雑感
女子高生の貧困についての報道に国会議員を巻き込んだ騒動へと発展した。
その人が貧困であるかという指針についてはシノドスの下記記事がわかりやすい
記事では相対的貧困を基準にして考えることが必要であり、貧困者にも趣味がひつようであるという話だ。
貧困についてシノドスはジェンダーのことと合わせて熱心に取り組んでいる。
リベラルを売りにして記事を配信をしているところであるから当然なのかもしれない。
ときどきリベラル色が強すぎて読む気を失せることもたびたびあるが、それでもなかなか得られない情報を展開してくれることから定期購読している。
話が脱線したが、貧困騒動の後積読状態になっていたシノドスの定期購読をあさっていたときにα-Syodos vol.197にて「家族」というテーマがあった。
内容は前時代的な家族形態(一族という「家」を中心とした農村共同体)から工業化がすすむことによって核家族化してきた歴史。
戦後家族を基本単位とした社会サービスが展開し、高度成長期にみられるサラリーマンと専業主婦という単位によって社会の貧困をカバーしていた。
しかし現在は低賃金の男女が結婚をすることによって社会階層が固定化し、政府が戦後行っていた最低限の社会保障では間に合わなくなっているということだ。
またこの中で特に面白かったことは家族を持つには「溜め」が必要であるという指摘だ。
これは自分の人生で培ってきた「信用」「保証」といったものだ。
会社員であればローンが組みやすかったり、社会的に信用が得られやすい人とそうではない人がいるこということだ。
それは結局のところ家族を作る際に双方にとって大事なものである。
溜めが少ない人は人生で様々な本来必要のない苦労をすることとなってしまう。
社会の再配分能力が偏っていることがこの貧困の原因であり、社会が停滞すると細かいことに注意が向かい大きな再配分の仕方など制度に対しては何も言わなくなってしまう。
この記事では個人ごとに再配分をやり直す提言があり、若年層の貧困についてもっと知りたい人はぜひとも読んでほしい。