私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

安保法案や新三本の矢について思ったこと

民主主義の原則は多数決による決定と少数派に対する尊重の2点である。

にいるにも関わらず、少数派の意見により多数派の決定を覆すごとき言動が少数派に多い。

主に日本では共産主義者に多く、彼らは民主主義国家内において施行されている制度の上において共産主義という思考でもってデモや野次というおもちゃを使って遊んでいるに過ぎない。

 

マスコミは反対派と賛成派を両方同等に扱うことを旨としているが、比率において少数である方を過大に報道する姿勢を平等とは呼ぶことは無い。

マスコミ各社はまず責任を持って自らの政治姿勢を表明し、自分はこういう思考でもって報道しているという姿勢を示すことが求められる。

これこそが公平かつ中立性を保つものなのだ。

 

国会内においての安保を巡り、最終的には野党は暴力によって平和を勝ち取ろうとする60年代安保闘争に回帰した。

しかしその姿勢こそ民主主義を冒涜する行為であり、そこには政治家という姿は無く、ただの野蛮人がいるに過ぎない。

彼らは進歩主義者を自称していたが、進歩主義を思考するあまり、自然に回帰したらしい。

 

日本の防衛を考えるに当たって中国、朝鮮半島にたいしてどのように法律や憲法でもって対峙するかという基本的な構想をもった政党がないことが根本原因であろう。

場当たり的な対応にしゅうしし、互いの足をひっぱることしかしない政党など存在する理由が無い。

必要なのは日本をどうするかというビジョンを示すことである。

安倍首相の新三本の矢という構想もビジョンとしてはレベルが低いものである。

安倍首相の「美しい国」という構想を具体性をもたせ、発展させた概念の発表を行うべきだろう。

そして野党側もそういったものを打ち出す必要がある。

必要なのは日本をどの方角へもっていくのかという方針である。

介護職の離職率やGDPはその次なのだ。