私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

寄付について

イケダハヤトさんの検索広告で命を救う「OVA」がNPO法人化!ぼくも10,000円寄付したよ! : まだ東京で消耗してるの?を見て少ないが毎月1000円寄付をすることにした。

 

今まで生きてきた中で寄付というものをしたことが数えるほどしかない。

しかも金額は合計しても1000円いっていない。

単純に何故自分のお金を人様にくれてやらねばならないのかと思っていたからだ。

自分の家は決して裕福ではなく貧乏なほうなので税金をしっかり払っていればそれ以上は人様に渡す必要はないし、渡している人をみると金銭的に余裕がある人なんだなぁと思っているくらいだった。

それは社会人になっても変化することがなかった。

自分で働いて得たお金を見ず知らずの人に渡すほどの余裕はないとといういつもの理屈でいた。

 

ここ一年くらい前からネットでよく政府が手の届きにくいが必要とされているサービスを求めている人やそれに対してNGOがさまざまなアプローチによって支援していることを目にするようになった。

目にするからといっても自分はNGOで働いている方を偽善者や他者の賞賛を得ることで自己を肥大化させている人だと勝手に思っていた。

働いている方に対して失礼なことであることは承知してはいるが生きてきた教訓の一つに「他者の善意には裏がある」という考えから上記のようなことを思っていた。

この教訓自体は今でも生きており非対象性の交換によって善意は行われていると思っている。

すなわち親切をされる側はサービスの恩恵を受けるが、親切をする側も感謝や他者に認められることで自己を肯定されるような感覚を得ることによって交換が成立しているという考え方である。

話がズレたが政府が支援しきれないという情報を眺めているうちに他人事ではないなと少しずつ思ってきた。

訳は単純で仕事を続けるかとか将来をどうするかとか希望が持てないときなどいくらでも人生を外れてしまうきっかけが日常にあることを感じた。

今回はOVAという自殺等の関連する検索をすると広告欄にゲートキーパーのホットラインを表示させるものである。

効率性と自殺を水際で食い止める方法としては上策である。

以前テレビの特集で自殺するために森に来た人に対して元気付ける働きかけをするボランティアを見ていたが、自殺する人に必要なのは元気ではなく、寄り添い共に歩めるような関係を構築することが自殺抑制になると思った。

いつ自分が自殺をする側に回るかわからない現状、『APOLLON』にて先進国の自殺率が高いのはバイタリティが低いからではないかのエントリーにもあるように自分のバイタリティは低いほうなので戒めの意味もこめて寄付をすることにした。

寄付はその場だけではなく継続性が必要だと思う。

今後も寄付はこれ以外する気はないが、何かいいと思えることがあればするというスタンスでいくつもりです。

まぁ24時間テレビで寄付をする人をみると馬鹿だなぁと思う。