私は誰かの知識によってできている

自分の知識は誰かの知識や情報の集積体に過ぎず、そこに個はあるのだろうか?っという体でダラダラ書く

『明日死ぬかもよ?』ヒスイコウタロウ著作を読んで行動したこと

一ヶ月以上前になるだろうか。

著作を読んで感慨深いものがあった。

今もそうだが会社にて上司の当たりが悪く支店内がギスギスしている。

仕事も横槍がはいるようになり思うように動けず会社を辞めようかどうしようかと思っていたとき、たまたま書店で並んでいたのを買った。

ときたまあるピンときただ。

 

基本的に他の自己啓発本とさほどかわらない。

だが明日死ぬかもしれないという強烈なテーマは悩んでいて心理的にうろうろしていた自分にとって活力を与えるものだった。

仕事のことや人生のことを考えるいい本に出会った。

しかし今のところ転職するにもアイデアは0だしツテもなくできてはいない。

とはいえいつ死んでもいいようにと思うようになっただけで行動する気力がわいた。

同じように思って行動されている方が意外に多いということを『暇人速報』でしった。(いつ死んでもいいやって思いながら生活した結果wwwwww

 

とりあえず日々きちんと生活しようと思い立ったとき、岩崎夏海さんが今『ハックルベリーに会いに行く』というプロマガをやっておられ、その中で部屋活を推奨している。

とかく氏は部屋を片付け殺風景にしたほうがアイデアが出やすいと提言されている。

そこで家の中にあった

・新書、文庫、ハードカバー本300冊

・戦争もの、アニメDVD70本ほど

・コミック200冊

の本を捨てて部屋を片つけることを決め実行した。

DVDとコミックは売りに出し、本に関しては『BOOKSCAN』でPDF化することにした。

本をPDFにするだけで総額8万程度かかった。

しかし完全に捨て去るのには抵抗があったためPDFにすることで部屋を片付けれればと思い断行した。

いくつか確認のため見てみたが、普通に読めるのでよかった。

しかしキンドルなどの中に入れておいたほうが読みやすさはあると思った。

BOOKSCANではPDF化したものを携帯端末で読みやすいように変換してくれるサービスもあるため利用するといい。

コレで少しは部屋が片付きはしたが、いまだに未読本、コミックがそれぞれ100冊程度残ってはいるがひとまずこれで仕舞いとした。

残りは服などを整理し、部屋の不要物等を捨てればだいぶ部屋が片付く。

 

当初著作の中で「人生でやりたいことを10個書く」というお題があり、

1婚約者を作って飽きるまでセックスしまくる。
2自分の知識を具体化したもの(本?)を書いて後世に残す。
3社会をほんの少しでも変えられるようなことをする。(社会貢献活動?)
4部屋にある大量の本をとにかく読む
5婚約者つくって普通の幸せというものを味わってみたい。いちゃいちゃしたりとか……
6海外の戦場地跡に行って戦争と破壊を生で味わいたい。
7国内の慰霊祭のようなものに参加し悲劇性を実感する
知覧
8禅をやっているお寺に行って一日体験する
9国道2~9号線をひたすら走る。
10
11スカイダイビング(できるだけ高高度から)

とりあえず思いついたことを書いた。

下劣なことも書いてあるがとりあえず乗せておく。

とりあえず部屋を片付けるは本がなくなれば読む気も出てくると思いやったことなので4番に該当するかなと思う。

ブログを始めたのは2番をやるにあたって文章を書く練習の意味合いもあった。

3番にも通ずるものはあるがそんなアクセス数この文章で稼げるわけはないので書きながら情報をさらに収集した中で何かできればと思う。

 

人はいつ死ぬかまったくわからない。

現在の社会は死を感知しにくくなっている。

しかし死は確かにそこにあり、いつ死んでもおかしくはないという事実になんら変わりはない。

私自身母方の祖父の死に際を中学生のとき看取った。

いまだに鮮明に覚えていて自殺しようと思ってもできない最もな理由である。

筆舌に尽くしがたい光景というものがあるなら他者の死に際だと思った。

自分に子供ができたのならできるなら同じ場に立たせたいと思った。

人の死は直接自分に語りかけてくる。

「人が最後に教えるのは死についてである。」

そんなニュアンスの言葉があるくらいの出来事であり、その人のその後の人生を大きく揺さぶることだと思う。

平和を唱えるより、人の死に際を看取るほうが説得力は雲泥の差である。

わが子にやさしさを教えたいのなら是非ともといっていいのかはわからないが、立ち会わせるべきだと思った。

死水をとらないことは死に行く者への冒涜に等しい。

人が最後の力を出すそのときにわが子に学ばせないのは親の不徳だ。

この本を読んでそんなことを思った。

 

死を意識してから必要なもの意外を買わなくなった。

いろんなものを捨てて思ったが、無駄なものがあまりにも多い。

生きるうえで必要なものは多くはないことを改めて感じた。

これからも意識して行っていきたい。